受動型アスペルガー


小学校
作文のコンクールがあり、私は校内特選賞で学校代表で選んで頂きました。選考理由が「他の人とは違う視点で書けている。内容も段落構成もしっかり出来ていて面白い」。当時は他とは違うという特別感がただ素直に嬉しかったのです。

中学校
頭のいい自分を演じるようになっていました。上位にいたがゆえ苦手教科で低い点数だったりすると「いつも高いのに珍しい!」と驚かれることにプレッシャーを感じていました。苦手があっては悪いのか、私は出来なきゃいけない人間なのだ。と言い聞かせながら勉強していた苦痛の3年間でした。
厳しい学校であったため受験時期は当然のように進学校に勧められ、特に目指しているものもなかった私は流されるようにそこを選んでいました。国語の時間に志望校と理由を書くという作文の授業があり、やりたいことが無いのに勉強するのは無駄だ、遊びたいからラクな近い学校になどと受験生には御法度な本音を正直に書きました。放課後に先生に呼び止められ、あぁ、そりゃ怒られるか…と思った矢先。
『やりたいことが無いのは悪い事ではなく出会っていないだけ。とりあえず進学しても高学歴でフリーターなんてたくさんいる、それに気づけたお前は賢い。こんな風に書いたのは1人だけだが、それがお前の意見であり個性なんだからこの作文は充分評価に値する。
まぁ受験で言っちゃダメだけどな笑』
と、初めて人と違う=個性という存在を知り、肯定に涙したことは今でも忘れられません。うまく言えない私にどう言えば周りを説得できるか一緒に考えてくれたりと様々な手助けをしてくれ、無事に近くの高校に行くことが出来ました。

高校
テスト期間中だけ1日のスケジュールを立てて提出するということがありました。最後にトータルの勉強時間を書くこともあり、どれくらい勉強してるのかを知りたいのだろうと思った私は教科名と時間のみを簡単に書いて提出しました。テスト後に先生に呼ばれ私と数人のスケジュール表を見せられました。そこには起床・就寝時間やゲームをしてた、テレビを見てたなどと書かれたものがありみんな細かいなぁと感心していると、
『こんな風に書いているのは君だけだ。勉強時間はもちろんだが、生徒がどう過ごしているか生活リズムも知りたいんだよ。スケジュールとは1日の流れを書くものなんだからこれは違うだろう。どうして人と違うことをしたがる?もっと周りを見て。友達と見比べたりしなかったのか?』と。
友達に聞くとその数人と同じように"1日"を書いており。はっきりこう書いてって言ってよと思うと同時に、人と違うことをしたい訳じゃない。自分だけが意図を理解出来なかったことにショックを受けました。

社会人
医療事務をしています。
元からチームプレーや集団に馴染めず、人のミスをどうして自分がカバーしなければならないのかわかりません。個人の責任じゃないのか?自分のミスも誰かに助けてもらっているのかもしれない、でも自分のせいなので自分で解決したいのです。何かあると助けてもらえるという癖を付けたくないがために頼ることが出来ないんです。
話を聞きながらメモを取る、イレギュラーへの対応、物事の優先順位がわからない、仕事上とても苦痛です。
この職業を選んだのも周りに流されての決定だったことに今更ながら気づき、後悔する毎日です。

人と違ってはいけない
みんなに合わせなければ
空気を読まなきゃ

個性って一体何??


私はみんなができるような事ができなかったりすることがあります。それでもどうにか周りに合わせてきました。
あるきっかけで「アスペルガー症候群」という単語をネットで目にし、調べていくと「受動型」というものに全ての症状に当てはまっており、今までの上記のような疑問に思ってきた出来事に納得がいったような気がしたのです。
しかし親や周りに言ったところで思い込みだと片付けられるので何も言えず、自分でもそうなのではないかと思いながらもこちらに相談して見ることにしました。

まとまっていない文章ですみません。