誰にも相談できなくて見つけた相談口がここでした
長い話になってしまいますがどうか読んでもらえると嬉しいです

去年の1月、夫婦喧嘩が理由で母と家を出ました
喧嘩の理由も些細なことだったのですが、もうこれ以上ここにはいられないと思い
私が「家を出ていく、もうやっていけない」と父に言い、出ていきました
家を出たことを後悔していません
あの時出ていなければ、父と離れることは絶対にできないと思っているからです

私は父が大好きでした
父も私を一人娘だからと可愛がってくれました
それは本当に小さい頃の話で、今は憎くてたまりません
父は私が小1のときに、バセドウ病と診断されていたようで、そのせいか、母との喧嘩が絶えませんでした
怒る理由も本当に些細なこと、母の発言が気に入らなかっただけで怒鳴り散らし、取っ組み合いになり、壁に大きな穴を開けたり暴れ放題でした
小さかった私は、喧嘩する事は仲が良いからだと思っていたので、[どうせすぐにおさまって、また仲の良い2人に戻る]と二人の喧嘩をじっと見ていました
じっと見ていると言っても、静まるのをじっと絶える感じです
お皿の割れる音で泣き出したこともありました
今でも、鮮明に喧嘩の最中を覚えています
お互いに頑固で謝らない2人は、どちらかが折れるか、無言になるかで、折れると言っても適当にすいませんでしたなどと言うか、怒りながら土下座をするかでした
ほかの家庭の喧嘩はどのようなものがわかりませんが、今思うと、親の土下座を見るのってあまり良くないものだと思いました
好き同士で、結婚したはずなのに、床に頭をこすりつけて許しを乞うなど、相手を貶す、見下す、そういう印象を受けます
毎日喧嘩という訳では無いです
もちろん楽しい思い出もあります
でも、辛いことしか覚えてなくて不思議ですよね

中学生になって、私は思春期に入りました
私には反抗期がなく、親に反発する事はありませんでした
意図的にそうしていたわけではなく、父に怒られるのが怖かったからというのがあります
というのも、私が幼稚園のとき、家族でTVゲームをしていたとき、親で競い合っていて、私は後ろからそれを見ていました
親は夢中になっていて、私もやりたかったそのゲームをなかなか交代してもらえず
つい父に「あんた!いつまでやってんのよぉ!あたしにもやらせてよぉ!」と言ったら、怖い形相で、私の頬をちぎれるほどつねり「親にあんたなんて言うんじゃねぇよ!!調子に乗るな!!!」と怒鳴られて、それがトラウマなのか、下手なことが言えなくなりました
父の場合は例え、イヤミのない言い方でも、馬鹿じゃないの?(笑)あほじゃん(笑)と言えば、怒られました
なんだか、私は父に随分下に見られていたのではないかと思います
対等の立場なら友達と話すように、先程あげた言葉は普通に使えるはずなんです
母にも言ってますが、全然笑い飛ばしてくれます
コミュニケーションのひとつなのに父には通じません
逆に私や母には使うんです
自分のことをすごく上の人間だと勘違いしてるのではないかと思います
こういうこともあって、反抗できない、しない態勢が私の中にありました
だから、父の話はヘラヘラと愛想笑いをして聞き流し、父の言うことは必ず実行しました
母はどちらかというと私の味方でした
たまに父の味方もしたので、辛い時もありました
定期テストの点数が悪くて、自分も成績が伸びないのと勉強が頭に入らないことが嫌になっていた時、父が私に怒りました
「やらないからできないんだろ?どうせ家の手伝いもしないんだから、勉強くらいやれよ」
「やってるけどできないことだってあるんだよ!私もう勉強したくない!!」と言った時
「じゃあ学校やめろ!!中卒なんかが社会に出たって、野垂れ死にするか、体売って生活するしかねぇんだぞ!!」と、まぁ、現実味はあるけれど、中学生にいう言葉なのかなと今では思います
私のことを心配して言っているのか、ただ自分の娘が頭が悪いからイラつくのか、怒鳴られて言われては父の意図は全く伝わりませんでした
それが中1の時の話です
塾も変え、勉強もしようとは思ったのですがなかなか手につかなくなりました
秋に学校で体力テストがありました
私は文化部だったので、周りの子よりは体力はない方でした
でも、中学に上がったばかり、小学校の時は体育が苦ではなかったので、普通にできるだろうと思っていたら、持久走を走り終えた後、酸欠と過呼吸で倒れました
いつも一緒にいた友達に心配されましたが、その友達に「ちょっと大袈裟だよね」と言われて、かなりショックでした
冬になって授業自体が持久走になり、私は毎回酸欠、過呼吸になりかなり苦しみました
時には吐いてしまう時もあり、その度にみんなに迷惑をかけました
なりたくてなっている訳では無いのに、ある友達は「まただよ〜、かまってちゃんなのかな?(笑)」と言います
辛かったです
体力はないほうです
運動も得意ではありません
でも、なってしまうから仕方ないのにと言い聞かせました
それに、小6のとき長い距離を走ってもそんなに辛くなかったのが、急にこうなるものなのだろうかと不思議に思いました
体の異常はこれだけではなく、動悸、息切れ、多汗、過食、めまい、頭痛、立ちくらみなどいろんな症状が出てきました
特に多汗はひどく、冬でも滝のように汗をかきました
おかしいとは思いましたがただの汗かきだと思い込み、生活を続けました
中2になっても回復しなかったので、母と総合病院に行きました
そこで診断されたのは、自律神経失調症、その中の体位性頻脈症候群と言われました
私の場合、脈の調節がうまくいかないというのが大きな問題で、治療は成長していく過程で治るだろうと、特にされませんでした
脈も辛かったですが(病院ではそれが一番辛いと告げていました)、自律神経失調症のことを調べると、体位性頻脈症候群以外にも当てはまるものがあるなと思いました
でも、自律神経失調症はあまり治療して本当に良くなるか定かではない、病院の先生も手出しはできないということだったので、諦めました
診断を受けて、状況も変わらず、やはり勉強も手につきませんでした
その原因もわからず、自然と自分の気持ちを隠すようになりました
愛想笑いばかりで、今思うとよく学校に行っていたなと思います
でも、頭痛がひどくて、保健室にいるようになりました
授業もサボり、保健室で2、3時間過ごすような日々が始まりました
私はそれがおかしいと思いませんでした
普通に頭が痛いからと、保健室にいただけだったので
友達にも悩まされました
法螺吹きの友達がいて心労がたまりました
父のことも嫌になりました
勉強のことで、怒ってばかりでしたから
限界になり、学校でカウンセリングをお願いしました
自分の思ってること全部打ち明けましたが、結局解決には至らず、カウンセリングのことも母には言いませんでした
自分が悩んでいることで母を心配させたくなかったからです
中3になって、受験モードになりました、さらに塾を変えて、毎日遅くまで通うようになりました
その時から父は自営業を始めました
父は私が小さい頃から、同じ職種で、会社に勤めたりやめたり、自営業をやってみたりということを繰り返していました
私も中3だったので自営業をするのは家計が辛くなることだと、はじめの頃は貧乏になるんだとわかっていました
だから父も神経質でした
フリーダイヤルで依頼を受ける仕事だったので、父は家に篭もりっきりでした
家でダラダラし、電話が来れば仕事をしに行き、帰ってきてまたダラダラ、帰ってからまず言うのは客の愚痴、「ホントめんどくせぇよあの客、金も持ってねぇのに偉そうに」
「めんどくせぇ、めんどくせぇ、安さ目当てでうちに依頼しないで欲しいね」などと、お金を払ってくれる、依頼してくれたお客様に対して、ひどいことを私と母に毎日言うのです
流石におかしいと思いました
仕事に感謝しない、客が気に入らないと愚痴をこぼす父、依頼がたくさん来て、お金が沢山入ると大喜びする父、気分屋で私たちはかなり振り回されました
父はそのうちネットゲームにはまりました
仕事の依頼をこなすと帰ってきたらすぐパソコンに向かい、食事、トイレ、お風呂、それ以外はずっとゲームをしていました
課金もかなりしていて、家計が苦しいのをわかっていながら、そんなものにはまる父が許せませんでした
さらに、家族で出かけることがなくなりました
前までなら、日曜日になると必ず家族ででかけていたのに、お前らふたりで行って来いと自分は家にいるようになりました
たまに、出かけるか、と言ったものの、やっぱめんどくせぇから俺行かねぇとドタキャンしました
家族のつながりがなくなりました
食事もおかずができたら自分だけ先に食べ始めます
家畜のように好きなだけ貪った後、すぐにゲームです
私は食べるのが好きだったので、父に食べ物を取られてはと必死に食べました
そこだけは負けたくなかったようです
その結果私はぶくぶく太りました
満腹中枢がおかしくなって、胃がはちきれそうになるまで食べるようになりました
過食することで、食べることで、幸福感を得るようになりました
過食は止まらず今も続いています
体重は48からMAX69まで、今は66です
周りの子はみんな細くて可愛くて写真写りも良くて、自分も細くなりたいのに、痩せないという思いがさらに私を過食へと追いやりました
母にも、自分が太っていることを自覚してないでしょ?と言われてショックでした
私は今日まで、太っていることが嫌で嫌で、自分の体型を醜いと思い続けています
運動もする気になれないし、してもどうせ、痩せないし、食べるのはやめられないしこう思ってしまうようになりました
母も父には悩まされていました
その愚痴はすべて私のところに吐き出されました
母が辛いのもわかりました
私も辛かったからです
でも、いつのまにかその愚痴も私を苦しめていました
あんなに大好きだった父が、死んで欲しいほど憎くてたまらなくなるなんて、思ってもいませんでした
昔のような、優しい父になって欲しい、過去のことを思い出すと、今が虚しくて仕方なくなりました
そして、自傷行為をしてしまいました
流石に罪悪感に陥り、保健室で打ち明けました
その日の夜電話で母にそのことが伝わりました母は泣いていました
私の傷を見て絆創膏を貼ってくれました
自分を傷つけないで、ごめんねと抱きしめてくれました
その時はそれで終わりました
父はそのことを知りません
言っても仕方ないからです
そして、父から離れるために土日は母の実家で勉強をするようになりました
受験生なのに、父と一緒にいては勉強もままならないからです
そして年が明けて1月あの喧嘩が起こりました
「お前らめんどくせぇから出てけ!!せいせいするわ!」と言われたのは、本当に辛かったです
父にめんどくさいと思われていたなんて、本当に愛されなくなったのだと
前から父が叩くつもりでもないのに手を上げるそぶりを目の前で見るとビクッと怯えてしまう時がありました
本能的にですなぜか父に怯えている私がいました
その時の喧嘩で、母はこれまでにないくらい土下座をさせられました
私の目の前で、母がかわいそうで仕方ありませんでした
後に知ったのですが、父はモラハラではないかと思います
相手を貶す発言が当てはまるし、普段は普通だからです
暴力というより言葉の暴力でした
家を出ていく時父に突き飛ばされたのは衝撃的でした、右足をくじきましたが、その時実感しました、酒に酔って、娘に手を出す
最低だ、謝りもしない、母に土下座をさせた、ましてや出てけといいながら今は出ていかなくてもいいだろうと私たちを止める
わけがわかりませんでした
父と母は離婚して私と母は実家に暮らすことになりました
私は、父から離れて勉強に集中できるようになりました
学力もぐんぐん伸びて地元の進学校に受験ができるまでになりました
そして、無事に合格、奇跡と言っても良いほどの賭けでした
合格発表の日父から電話がかかってきました
受かったというと、大喜びしていました
あんなに勉強嫌だって言ってたのにまさかっ、と大袈裟な言い方で話していました
別に嬉しくなかったです
父のために頑張ったわけではなかったので、電話もしたくありませんでした
それから連絡もなく高2なって、久しぶりに電話がかかってきました
近況を聞かれて適当に答えました
それからは父の一方的な会話でした
相槌をうち適当に笑い返し、父の期限を損ねると養育費がもらえなくなる、何されるかわからないからという理由でしたけど
それさえなければ連絡も断ち切りたかったです
ただ、父には友人があまりいません、自分で俺は友達選ぶからと言っていましたが、それは父の性格がおかしいからだと思います
かまって欲しい人だったんです、ひとり友達ができるとしつこくしすぎて、いなくなるというのが多々ありました
なので、私に電話をかけてくるのもかまって欲しいから
さらに、呪いのような言葉を言われました「お前は俺の世界でたったひとりの娘だから」と気持ち悪かったです、あんな事言っておいて何を言っているんだろうと本当に嫌悪しました
さらに電話で母の悪口を言います
あいつは馬鹿だから、それに対して私は何も言いませんでした
私を愛してくれる母を私に対してそういうのは、最低なことだと思います
でも、父に何を言っても理解しないので無意味だと思ったからです
それから頻繁に電話がかかってくるようになりました
ある時再婚の話をしてきました
一般的に、父と娘がいい関係ではないのにそんな話しませんよね
父は勝手に私との壁が壊せていると思い込んでいたのです
再婚の話をされるたびに、苦しみました
母にそのことを言ったら、父に話をしてくれました
でも、再婚の話をやめてくれません
1度わかったと言ったのに、今度は遠まわしに相手のことを話してきます
写真も送ってきます
しかも日本人ではありません
フィリピン人でしかも子持ち、ありえないと思いました
Skypeで知り合い、1週間家と仕事をほおって置いて彼女のところまで行ってしまいます
さらに、日本ではあまり理解されない刺青まで入れてしまいました
先日その写真を送ってきて、
「奥さんの名前入れたの、良くない?向こうで入れてきた」と言ってきました
「奥さんともおそろいね、お互いの名前入れたの」と
再婚した事は聞かされていませんでした
遠まわしに言われて、見せつけられて、怒りも覚えませんでした
呆れました
こんな人だったのだと、
私は今でも、父に縛られています
おかけで、勉強も手につかなくなりました
必死に頭に入れているだけで、楽しくありません
過食はやめられません
毎日父の顔が思い浮かびます
自傷行為もやめられません
母は知りません何も
私がたくさん食べるのは食い気だからと、太ればまた太ったねと言うだけで、私が痩せるためにご飯減らそうかなと言うとどうせ続かないからと毎回言います
母は好きだけど、それだけは許せません
痩せれない、太る
太っていることが嫌なのに
おしゃれな服も着れない
足も出せない
笑うと顔がパンパン
醜い自分が嫌です
自分に甘い自分も大嫌いです
痩せたら少しは明るくなれる
彼氏もできる
そんなことばかり考えています
父に縛られず、楽しい食事ができて、可愛くなりたい
自傷行為もやめたい
明るくなりたい
もしこの悩みを母にいうならなんて言えばいいのかわかりません
過食のせいで胃も荒れています
でも食べるのをやめられません
自分のお小遣いで、パン屋に行き10個くらい買って家に帰ってすべて食べ尽くしたり、コンビニに行き甘いものばかり買ってそれも食べ尽くします
晩御飯も食べます
流石に体は悲鳴を上げて、食道が焼けるように痛く胃酸が戻ってきます
吐くことはありません
いつか病気になりそうで怖いです
もう一人分の量もわからなくなりました
母に隠れて食べると快感があります
見つかったらきっと怒られます
病院も行きたいですが行く勇気もなければ、お金もない、母にバレそうになるので行けません
どうすればいいのでしょうか
もうわからなくなりました

長い文章で、すみません
私の今苦しいと思っているものを、すべて書きました
過食をやめて痩せて心も体も健康になって明るくなりたいだけなんです