生き方について。また、自身の内面について。

まとまりのない駄文、失礼いたします。
相談というよりは、とりとめなく書きたいことを書かせていただければと思います。
他にかける場所がありませんので、ご容赦いただけると幸いです。

人生に対する悩みからか、日々辛い気持が消えません。
何に原因があるのか、断片的にはわかっているのですが、根本的にはわかっておらず、
解決策がなかなか見つからないという状態です。悩むこと自体が、癖になってしまっているような感じでしょうか。積極的に死にたいとまでは思いませんが、こんな人生、初めから無ければ良かったのにと思うことはしばしばです。人生、苦しいことが9割、楽しいことが1割、というのが実感で、その楽しいこと1割のために生きるというのは、かなりの苦行というか、わりに合わないなと思ってしまいます。

それはさておき。

まずは、月並みですが、仕事がつらいです。
上司である社長のハラスメントがあったり、今の仕事が不向きだと感じる・興味が持てない・楽しくない、対人的に他の人と合わない、等の理由から仕事がつらいのでやめたいのですが、他にやりたいこともなく、同じサラリーマンに転職したとしても同じ苦しさがあることには変わりないのではないかと思ってしまいます。また、心身の疲労から転職活動や将来のことに思いを巡らす余裕も持てていません。
それでいて、賃貸ですし、金銭的にも余裕はなく、家庭も有りますので、気軽に無職になるわけにもいかず、心をすり減らしながら日々を過ごしております。これまでアルバイトも含めいくつかの職場を経験しましたが、そのどれにおいてもしっくりくるものはありませんでした。「職場」という存在に、既に抵抗があるような感じです。

また、外的な環境だけでなく、自分のパーソナルな部分にも問題があると感じています。
自分のことがすべて嫌いというわけではなく、好きな部分も多いですが、そうした自分の性質的なことを多くのコミュニティでは認めてくれないと感じます。現にこれまで認められることはあまりありませんでした。今のままじゃ生きていけないから変われと言われ続けて育ち、本当の自分は殺してきました。道化を演じてばかりでした。最近は、自分に素直に生きようと決意し、実行しているのですが、やはり却って周囲との隔たりは広がるばかりです。余計な付き合いで神経をすり減らさなくて良くなったのは、いい事ですが。
非常に繊細で内向的な性格であるため、疲れやすく、この世の中で一般的に求められることが辛いです。社交、飲み会、コミュニケーション、毎日の勤務。。
暗いとか、覇気が無いとか、答えのないことを考えていてもしょうがないとか、笑顔で過ごせとか、やはり大衆的な価値観を周囲からはおすすめされます。周囲の意見を聞きたい・尊重したいという気持ちがあるため、そうした意見も無視はしたくないのですが、やはり鵜呑みにすることには抵抗があります。私はありのままで生きてはいけない部類の人間なのかもしれないと思い悩むことも少なくないですが、それでも私は、自分らしくありたい。無理をして道化を演じても、苦しいだけなのはもう充分に知っているのだから。

学生時代の話です。
私は全国でもかなり上位の進学校に入りました。何も自慢したいわけではありません。むしろその逆です。努力していれば報われるのだと、純粋な頃の私は信じていました。しかし、勉学とは全く関係のない能力が社会ではよっぽど求められると知りました。言い方は悪いですが、むしろ多少バカで鈍感で、口が上手い人間の方が相当生きやすいのです。そして私にはその能力がありませんでした。人間が作る社会の中で上手に泳ぎ、自分のやりたいことを思い描く能力が、著しく欠けていた。面接さえもくぐりぬけることができない。勉学を頑張ってきた分、また、飛びぬけもせず中途半端に学力を持ってしまったがために、それに気付いた時の失望感は、大きいものでした。そしてその時から私の前にあるのは、ただ真っ白な空白だけなのです。
大学を卒業後、私は就職ができず、一時的に無職になりました。今ならまあいいかとも思えるかもしれませんが、その当時の私にとってはショックが大きい出来事でした。それから2社ほど、会社を経験しそのうちの1社に在籍していますが、状況は先に述べた通り。ただ真っ白な空白が広がっているという状況は、実は今も変わらないのです。

やはり人は仕事をしなければなりません。社会とかかわらなければいけません。私のような個性の人間を受け入れてくれる仕事に就ければ良いのですが、そうでない環境にまた入ってしまったら、今度こそ心身ともに耐えることができないという恐れがあります。個人で仕事をやれるような能力があれば良いのですが、そういったものも特別ありません。生き方を模索したい。新しい生き方を。甘い考えなのは承知しています。それでもこれからは、自分に嘘をついて生きたくない。

こうした答えの無い悩みを相談する相手は、いません。両親や妻はいるのですが、私とは違うタイプの考えをする人間である為、理解してもらうべくもなく、私は自分自身の中で消化して答えを探すしかないかなと思っています。

最後に。妻はいますが、愛とはなんなのか、今もわかりません。人を好きになったことは、私には無いような気がします。錯覚していただけのような感覚です。おそらく自分を愛せない人は、他人を愛することができないのでしょう。
ゆえに?、子孫を残す気になりません。この辛い世の中に自分の子が産み落とされてしまうことをかわいそうに思ってしまいます。同じ思いをさせたくない。子供の人生は私の人生とは違うもので、必ずしも苦しいものになるとは限らないと頭ではわかっていても、やはり前述したような思いが消えないのです。私の遺伝子を残してしまうことにも抵抗があります。私の代で断ち切ることが、せめてもの救済ではないかと、そう思うのです。