はじめまして。
もう約10年経過するかな?なのですが、元主人の無口、些細なくだらないチョッカイ、たまに言葉を発すると大概は、ヤラズメ、ウマズメ、威圧的な言動に常に気を張って生活をし、元主人よりも遅く帰宅すると、怒りのオーラで遅くなってごめんね、すら言えない雰囲気。
くだらない冗談はよく言うのに会話となるとまるでキャッチボールができず、顔色を伺いながら、今はこんな感じかな?という風に戦々恐々と生活していました。
必要最低限のご飯できたよ、位しか最後3ヶ月位続き、限界がきたのか、気づいたら土下座しながら私が悪うございました、アンタ程良い人はいないよね、とこちらも余計に逆上させるような謝り方をしました。
そして、気づいたらソファに座らされ平手打ち数発、メガネは歪み、ソファに何度も押し付けられ、首を絞められていました。歪んだ眼鏡越しに元主人に睨み返し数分?数十秒?このまま目を合わせていたら本当に殺されると思い、目線を外したら何とか逃れられました。
元主人は坊主頭で巨人でプレイをしていた現役の頃の清原に似ていて、その後大好きだった野球も清原が出てくると思うと怖くて見なくなりました。
引退してもTVに出ていたりCMに出ていたり、出演が分かっていれば見ないようにしていましたが、CMは避けられず映った瞬間に凍りつき、息が止まり、心臓バクバク、過呼吸、震え、が止まらず、身動きが取れないので何とか目をそらす程度しか対処できなく。チャンネルいじってる時にたまたま清原が映った場面に出くわした瞬間にもそんな状況になってしまいました。逮捕やなんだで取り沙汰されてる時期ももともに情報番組も落ち着いて見れず。
別人なのはわかっているのですが、清原がデッドボールでピッチャーに向かい怒りの顔でアピールした時の顔が元主人も真似ていたので余計にイコールとして蘇ってしまい。
親元に戻ってから一緒にTVを見ている時にそんな場面に出くわすと息を飲んでしまい震えが出るのを見せまいと、必死に過呼吸と冷や汗をバレないように下を向いたり。一緒にTVを見ることもやめました。
新聞や雑誌などでもチラッと見かけるだけでも元主人のあの形相が蘇り、未だに克服できないでいます。これを書いてるだけでも呼吸が荒くなっています。時には普通にまるで他人事のように話せる事も出来たりします。かと思えば無意識に涙目になってしまう事もあります。
親元に戻り仕事に就いたものの、どこかで怒号や大きな声を上げているのを聞いたり、背後に男性が立たれる、通り過ぎるだけで首をすくめてしまう癖も抜けず、父が無意識に背後にいるだけで、ヒステリックに、後ろに来ないで!と叫んでしまいます。
こんな恐怖に苦しむなら、あの時いっそ目を逸らさずに首を絞められて殺されてた方が良かった、と変な後悔をしてしまいます。
仕事も気づけば怖くて行けなくなり、親には具合が悪くて、としか言えず。
親にはだらしない、ガムシャラになれ、などと叱責されながら結局仕事も辞めてしまい、いくつか転職したものの全く続かず。
夢でも首を絞められて目を合わせてた瞬間の映像が。一部記憶が無く、どういう流れで土下座になったのか、何を言われたのか、言ったのかも抜け落ちてて、どんな流れでそこまでになったのかを思い出そうにもわからない。とにかく、あの形相と息のできない苦しい状況が消えません。
幸いにも嫁ぎ先と実家は飛行機に乗らないと行けない場所なので、どこかで会ってしまうかも、という心配はないのですが、暮らしていた家の電話に実家や私の友人の自宅など登録されていたり、もちろん私の実家の住所等も年賀状などでわかっているし、離婚後にタンスに置き忘れてた下着などが実家に届いた事もありました。電話機も新しくしていたり、携帯から削除されていれば安心材料なのですが、こちらも元主人の覚えやすい携帯番号も自宅の電話番号も覚えていないし、削除もしているので確かめようもありませんが。心残りは、私の写真アルバムが戻ってきていない事。嫁入り道具として両親から買ってもらったタンス3竿、お客様用の布団セットなど、人質ならぬ物質として取られた事。婚約指輪は渡さない。と。私が親に買ってもらって使っていた物を手元に置いておくというのは見るだけでムカつくだけだと思うのに。今更タンスなど戻されても困りますが。処分されていなければアルバムだけでも返して欲しい。余談もありましたが、タンスとアルバムのせいで忘れようにも悔しくて、そんななので余計に殺されかけた事も頭から削除されず。
親には、順番があるんだから、先に逝くのは1番の親不孝だと言われるし、死にたいのにそれを言われたら死ねない。鬱病にもなり、更年期障害な年齢にもなるし、親も年老いてるし。手助けしたくても自分が一番伏せってる始末で。心配、迷惑かけているし、親不孝と思われてもいいのでとにかくもう生きているのがしんどいです。
長文失礼しました。