初めての投稿です。
私の家族構成は父(50代)、母(50代)、姉3人(全員20代)、父方の祖父(80代)、祖母(80代)です。
私は4姉妹の末っ子です。1番上の姉とは10歲近く歳が離れていて、上3人は歳が近く、私だけかなり歳が離れていました。
そのことからか、小さい頃から父に「上はこう育てたけどお前には何もしてないからな」とか、「お前だけなんか違う」とよく言われていました。
家族で旅行に行くにも姉妹で遊ぶにも、いつも私だけ扱いが違いました。姉の話にはついていけないし、皆が進学や就職の話をしていてもよく分からず、姉妹で話していても私はいつも蚊帳の外でした。
歳が離れているし、まだ子供だし、仕方が無いとは思っていました。でも、そのどう足掻いてもどうにもならないというのがすごく辛かったです。
姉を見て、自然と私は言葉遣いや立ち振る舞いが子供の割に大人っぽくなってしまい、そんな私を見て姉は子供らしくないと気味悪がりました。
私はどうしたらいいか分からなくなりました。

小さい頃から体調を崩しやすく、どこかが痛むと母にいつも訴えていました。私が何度も訴えてしまったせいか、母に「自分が子供の時は痛みに耐えて誰にも頼らなかった。お前は気が小さい。」と言われてしまい、それからは体調を崩しても誰にも話さず黙っているようにしました。
小学校を卒業してすぐ、私は膝蓋骨不安定症になりました。生まれつき膝の皿が小さく、いつ発症してもおかしくない状態だったと診断を受けました。
中学校ではバレー部に入り、最初は足を気にすることなく練習に励んでいましたが、練習中に皿が外れてしまい、私はこんなにすぐにまた発症すると思ってもいなかったのですごく不安になりました。母に仕事を中断して迎えに来てもらい、家に帰る途中の車の中で母は私に聞こえるように「めんどくさ…」と呟きました。私はすごく衝撃を受けました。家に帰ると私は「産んでくれた親にこんなこと思いたくないけど、私だってこんな体で生まれてきたくなんかなかった。痛いのも辛いのも私なのに。」そう思いながら親に隠れて泣いていました。

その後バレー部を続けられなくなり、吹奏楽部に入りました。
昔から運動をすることが好きで、部活は絶対に運動部に入ると決めていましたが、それができなくなり、やりたいことじゃなく、やれることから選ばなければいけなくなってしまったのが嫌でした。私がやりたいことはいつもその範囲の外側にありました。
吹奏楽部の顧問は差別が激しく、部活の空気はいつも重く、休みがちな部員や、辞めていく部員が多かったです。そんな部活にいたくなかったので私も辞めてしまいました。6歲くらいの頃急に連れていかれた水泳教室を途中で辞めたこともあったので、そんな私に親は「気が小さい、弱い、何をやっても長続きしない」という印象を持つようになりました。

部活を辞めてすぐに成長期だからと避けてきた手術を受けることになりました。母は仕事の合間をぬって病院に見舞いに来てはくれていましたが、「面倒くさい」と言われたことが頭から離れず、私は「きっと迷惑だと思っている。お姉ちゃんはこんなこと何もなかったのに小さい頃からずっと私ばっかり迷惑とお金をかけてしまってごめんなさい。」と思っていました。
手術後、手術前よりも足が不自由に感じました。歩き方がおかしいと姉に指摘されるようになり、私は普通に歩くことができなくなり、自分はおかしな行動をしているんじゃないかと、周りの目を気にするようになりました。瞬発よく足を踏み出すのが怖くなり、体育では思うように動けず、自分に自信がなくなっていきました。

私は周りに迷惑ばかりかける、弱くて自信のないやつなんだと思うようになりました。
それから人と話すのが苦手になり、何て返したらいいか考えすぎてしまい、会話がスムーズにできなくなりました。どれだけ周りに迷惑をかけないようにするかを考えて常に周りに気を配っていました。家族に対してもそうでした。

私の家族はあまり仲がいいとは言えず、両親は離婚はしていませんが全く口をきかず、お互い子供を通して話を伝えてもらうことが多かったです。そんな両親に姉は異常に気を使っていて、私も子供ながらそうしなきゃいけないんだなと思い、そうしていました。母は祖母とそりが合わず、いつも愚痴をこぼしていました。私は家族はこんなものだと、これが当たり前なんだと思っていました。でも、友達から家族の話を聞いていくうちに、家がおかしいんだと気づくようになりました。
父は自分が正しいと思い込んでいて、周りからしたら正しくなくても、誰がなんと言おうと自分を曲げない人です。でも他人に関しては悪い所しか見ず、悪口ばかり言っていました。兄弟差別も色々と理由をつけていましたが、私たち本人はそれが嫌でした。
母は口を開けば嫌味ばかりで、否定的なことしか言いません。
姉3人はそんな両親の話をよく愚痴っていましたが、私はまだ小さかったので、よく分かっていませんでした。
私も両親を不快に思い始めた頃には姉は皆家を出て進学や就職をしていたので、愚痴る相手がいませんでしたし、一人でそれを受け止めなければいけなくなりました。
できれば両親とは会話をしたくなかったので、いつも部屋に篭っていました。
母は姉が皆出るとすぐに家事の手を抜くようになりました。料理は簡単なものは作っていましたが、毎日のようにインスタント料理が続き、外食も増えました。姉が帰省すると私がいる時とは違い手の込んだ手料理を何品も作っていました。でも、姉が帰るとその日からすぐにインスタント料理に戻ります。私はまだ私がいるのになと思いましたが、もう歳だし、仕事大変だし、このくらい我慢しなきゃと思っていました。

去年の5月頃、母は突然私にアパートに引っ越さないかと話しました。そんなにこの家の居心地が悪いのかなと思い、私も引っ越すことにしました。学校からも近いし、周りも栄えていたので、私としても便利でした。しかし、もともと会話をしたくない相手と二人暮らしをするようになり、実家にいる時よりも距離が近くなってしまい、ストレスが溜まるようになりました。
足を悪くしてからストレスを感じるようになり、実家にいた頃からそれが強くなり、二人暮らしを初めてそれが爆発したのか、去年の7月頃から私は入眠障害になりました。

それから私は学校を休みがちになり、二学期は1度も学校に出ていません。
高校では友達もいて部活も充実していたので、何不自由なく過ごしていました。
睡眠不足によって身体的にも精神的にも辛くなり、学校に通えなくなりました。
誰もが仕事や夜ふかしで睡眠不足を経験したことがあるからか、親からはただの睡眠不足で学校を休むなんて、サボリだの甘えてるだのと言われ、ついさっきやっと眠れたばかりなのに叩き起されます。本人がどれだけ訴えても聞いてくれません。
私も学校を休んでいることに罪悪感があったので、ネットで不眠症と検索すると、不眠症で仕事や学校を休んでいる人や、同じように偏見を持たれて周りから理解されていない人の記事がたくさんでてきました。私と同じように辛い思いをしている人がいるんだと心強くなりました。

私は睡眠不足によりイライラしやすくなっているので、いつもは流している母の嫌味にいちいち反応してしまうようになりました。余裕がなく、あからさまに不機嫌な態度をとるようになってしまい、母には不眠症のせいでこうなっているだけと一応伝えましたが、二人暮らしをしているからか、母がその矛先が自分にきているんだと思い、私に言いたいことがあるなら言ってと話してきました。母から話してきたので、自分が責められることを言われる覚悟をしてきているのだと思い、私も話し始めました。しかし、母はすぐに言い訳をしたり人のせいにしだしたりしました。私も話を聞いて欲しいので一所懸命に伝えますが、母は認めず、やっぱり無理だと思い諦めました。
でも、母は何度も私に言いたいことを言ってと話してきます。私はその度に一応伝えますが、いつも同じ結果で終わるので、だんだん嫌になり母とは口をきかなくなりました。
それを母はただ私が反抗しているだけだと思い、私が無視をすると分かっていながら、誰かの前でわざと話しかけ、周りに自分は可哀想な人だと見せびらかします。

そんなやり取りが続いたある日、母が私が産まれる前に実はもう一人子供がいたと話し始めました。そのことを父に話すと、もう子供が3人いて育てる余裕もないし、歳も離れてしまっているのに産んでどうする。産んでも俺は育てない。と言われたそうで、母はショックを受け、その子を降ろしたそうです。母はもう二度とこんな思いをしたくないと思ったと話しました。しかし、その後私がまたできてしまい、私を産んだと話しました。
母はそのことを私に話してどう思ってもらいたかったのか分かりませんが、私はその話を聞いてさらに気持ちを塞ぐようになりました。
今までは疎外感はあってもこの家に産まれるべくして産まれてきたから耐えられたことも、本当に望まれてなかったとなると生きている意味が分からなくなりました。
もう子供が必要ないから、産まない理由があったから降ろしたのに、もうそんな思いをしたくないと思っていたのに、どうしてまた私ができてしまったのか。そんな中途半端なエゴで私を産んで欲しくなかった。

入眠障害になってから家族は私の話に耳を傾けてくれるのではないかと期待していましたが、この家族にそんな期待も虚しく、私がこの時間にこういうことをされたら辛いから辞めて欲しいと言うことも辞めてくれず、私の治療より学校のことばかり気にかけています。
私がどうにかして良くなることなら自分で何とかするけど、周りが関わってくると自分だけではどうにもできないので、ストレスから離れるために、私は一人暮らしをしたいと親に話しました。
姉はそれを単なる私の我が儘だと思っているみたいです。どういう気持ちで、どういう考えで一人暮らしをしたいか話したのに、後2年我慢しろよと言われました。
もともと高校に上がる時に遠い高校に行って一人暮らしをしたいと話しましたが、反対されてしまい、諦めていました。姉が皆進学して一人暮らしをしているから金銭的にも余裕がないんだろうなと思い、あと3年我慢しようと思っていました。我が儘で家を出るならとっくに出ている。でも、どう思われていようと一人暮らしができることになったのでとりあえず安心しています。父は皆大学を出るまで支援すると決めているようで、その先は本人達次第だと話していたので、大学を出たら分籍をして、そのまま離れていこうと思います。

何から書けばいいか分からず、長くなってしまいすみません。