現在高校2年生(男)です。私は女の子と話をするのは苦手です。世の中でも異性と話をすることが苦手と言う人は少なからずいると思います。しかし自分はその多くの人の中でも極端なものだと思っています。
まず話を切り出すことが苦手です。相手の気分を害してしまうような話をしたくなくて、考えに考え抜きますが結局は話せないことが多いです。
そしてたまに切り出すことができますが、切り出せたとしても今度は極度の緊張に襲われます。さっきと同じように気分を害すようなことを言わないか気にしたり、声が震えたり、相手の目を合わせて話をしていたのに自然に目をそらしてしまうことが起きます。女の子と話している間ずっと緊張しているのです。結果話が続かなかったり、相手から話しかけられてもうまく返事ができないなどということが起こります。そして女の子と一緒にいることが物凄く息苦しくなります。こんなことでずっと悩み続けています。
私は高校に入るまで女の子のことにはちっとも興味がありませんでした。そんな自分にも女の子に興味が出てきたようです。そして周りは普通に性別の違い関係なく喋っていることに気がつきました。最初は自分でもできると思っていました。しかしそうではなかった。周りは当たり前のように喋って、彼女ができるやつもいて・・・自分だけ取り残されている気がします。そして次第に今の自分と過去の自分を憎みはじめました。しかしどれだけ憎んでいてもちっともこの問題は解決しません。なので解決しようと努力をしてきました、しかしできない、そしてまた憎む。そして自分が嫌いになりました。泣いては寝て、また泣いては寝る。そんな夜をここ最近は毎日です。この絶望から一刻でも早く出たいと思って相談することに決めました。
長文となりましたが、この投稿を見ていただきありがとうございました。
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参考:似ている悩みと対処法
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さとらない
π- 2018-02-09 21:29
エーリッヒフロムは「愛するということ」という本の中でこう言っています。
『愛に飢えている大半の人びとにとって重要なのは「どうすれば愛される人間になるか」であり、その目的達成のため、男性は社会的な成功、富と権力を求め、女性は外見を磨いて自分を魅力的にする。男女とも共通して用いる手は、好感を持たれる態度を身につけ、気の利いた会話を心がけ、謙虚で押し付けがましくないようにすること。ほとんどの人が考えている「愛される」というのは、人気があることと、セックスアピールがあることを合わせたようなものを求める。』
『ただ「愛される(おのれの渇望が満たされて)からその人を愛する」というのは幼稚な愛である。「こちらが愛する(与える)から愛される」というのが成熟した愛なのだ。』と言っています。
また愛とは、(愛せる)人との出会い(対象)ではなく、相手を愛する(与える)能力であり、愛する(与える)行動であり、愛する(与える)技術であるとも言っています。能力や技術には、知識や修練の習熟が大切で、はじめから上手い人なんていないわけで、失敗をし続けても、前に進む努力が必要だ言っています。(詳しくは本を読んでね)
話は違いますが、神学者のラインホールド・ニーバーの言葉はよく依存症のワークで使われます。
『主よ。
変えられないものを受け入れる心の静けさと
変えられるものを変える勇気と
その両者を見分ける英知を、我にお与えください。』
(失敗したとしても)変えられない過去をクヨクヨしてないで、そんなこともあったよなぁとさっさと受け入れ(さっさと忘れ)、「いま・ここでの前向きな選択をする」ことにココロを注ぐ(松戸市出身の宇宙飛行士が言ってた言葉)。
「いつまでも下を向いていたら、虹を見つけることは出来ないよ(チャップリンの名言)」チャップリンって孤児院や貧民院を転々とした苦労の人なんだな。
実は私もいまでも女性と気軽に話するのは苦手です。っていうか、あれは別の生き物だと私は思うんですよ(笑)。