もう自分だけでたくさんのこと溜め込んでおくのがしんどくなってきました。
どう言葉まとめていいか分からなかったから、昔のことから書こうと思います。

物心ついて、いつからか、自分の家は仲のいい家族じゃない、と気づきました。

小学生の頃、自分が比較的優しかった父親に懐いていたので、母親は不機嫌になって、何かあるとすぐ怒ったり、話しかけても怖かった。
家族4人でご飯を食べることも、気づくとなくなってました。
「あれ」とか、「それ」とかの言葉が、そのとき何を指しているのかよく分からなくて、いつも怒られてた。(今でも分からないときがあって怒られます。)
ある日、「お兄ちゃん帰ってくるけど鍵開けてたらだめだよ(=お兄ちゃん帰ってくるからって鍵開けっ放しはだめ)」と言われて、何を思ったのか、兄が帰ってきても締め出していて大激怒されたこともありました。
反抗期真っ最中だった兄は、小さい私が邪魔だったんだと思います。よく、「邪魔」とか「消えろ」とか言われてました。兄も親も怖かった。
1年生の頃に学校で転落事故に遭ったとき、先生にどうして落ちたのか聞かれたので、混乱している中で必死に順をおって説明していた。前日からのやりとりの結果が、転落事故に繋がっていた。なのに、先生は「昨日のことなんてどうでもいい」と言って、ついに話を聞いてくれなくなりました。その時からずっと教師が嫌いになりました。
やりとりをしていた友達も先生も女の人だったからなのか、今でも女の人は大の苦手です。だから、ずっと男好きって言われ続けています。
小学校半ばくらいの頃、始業式は学校に行くことはなんとも思っていなかったのに、いざ翌日になると、玄関をでようとすると気持ち悪くなって、学校に行けなくなったことがありました。親は大激怒。もともと体が弱くて病気がちだった私。体調不良で学校を休もうとするだけで不機嫌になるのに、意味のわからない不登校。許してくれるはずもなかった。
どこかに出掛けたときも、大人しくしていないと怒られるから、親を怒らせないようにしてました。
夏休みとかも、「友達みんな住宅の前の広場で遊んでるから自分も行きたい」「広場で遊んでる子からおいでよーって言われた」「友達が遊びに誘いに来てくれた」と言っても、全然許可が出ませんでした。
友達が羨ましかった。
その頃から、怒られたりどうしていいか分からなくなると、勉強机の下や机の下の移動式棚の裏に隠れて、頭を叩き続けたり、机にぶつけたりしていました。
ひとり部屋なんてなかったから、そこだけが自分の唯一自由になれるスペースだったんだと思います。

中学生になると、母親と行動することが多くなりました。母親の機嫌がいい方が利点が多いと気づいたからです。母親の前では父親のことを嫌い、ひたすら愚痴を聞いて、父親の前では母親の愚痴をひたすらに聞いてました。それは大学生になった今でも変わりません。
休みの日のお昼ご飯は冷凍食品やインスタント。家事嫌いの母親は、出掛けるとなると一切食事を作らなくなりました。そんな食事もあり、どんどん太って、ますます自分が嫌いになりました。
6学年も離れた兄と成績を比べられ続け、「お兄ちゃんはやれば出来る子だった」と言われ続けました。まるで、私は出来損ない、でもその通りだなと思いました。
進学先を決める時も、相談にすらのってくれないくせに、最終決定の面談を父親に投げた母親。その面談で突然自分の母校を言ってきた父親。混乱していた先生には本当に申し訳なかった。結局、自分で決めた高校に進学が決まったものの、両親からも兄からも認められなかった。「自分のことは自分で決めろ」のはずだったのに。
友達関係もあまり良くなく、「死ね」と言われてものを投げられたり、「お前なんて嫌い」と面と向かって言われたこともありました。でも、なんとも思わなかった。「死んで欲しかったら殺してみろよ」って言い返してた。冷たい人ってよく言われていました。
中学では、教師嫌いは変わらないものの、信頼できる2人の先生に出会いました。その頃、自分のなかでいっぱいいっぱいになっていて、ついに手首や身体にカッターで傷をつけるようになっていました。そのこと自体には気づかれていなかったとは思うけれど、ちょっとした変化に気づいて声をかけてくれたり、いろいろ話かけてくれた2人の先生が大好きでした。

高校生になっても、家族の関係は変わらなかった。父親はなにかあると不機嫌になって、食器や扉を大きな音を立てて扱ったり、大声で文句を言うようになりました。
高校に入ったとき、この学校には何があっても染まらない、って決めていました。だから、行事なんて興味もなかったし、友達も増えなかった。とにかく地味平凡に全てが終わることだけに尽くそうとしていました。
同じ競技をやっている母親から、他の競技者に対する愚痴とか文句を、ひたすらに聞いていた。その人と自分も面識があるのに、その愚痴を聞いてなかったことにして、だけど仲良くなると親は不機嫌になるから、表面上だけの付き合いをしてた。「世渡り上手」「猫かぶり」そう言ってきた母親。
部活も勉強も全部頑張った。だけど、いい成績をとっても褒められることなんてなかった。「その高校行ったなら当たり前だよね」と言われるだけ。「体育だけ3だなんて本当に私の子供なの?」って言われるのは、小学校のころからずっとだったから、もう慣れてた。
酷い風邪をひいていたとき、親に何回もお願いして、やっと病院に連れていってもらえたことがありました。肺炎と気管支炎の併発でした。あのまま病院に行かなかったらどうなっていたんだろう、って今でも思います。
父方の祖母が亡くなってから、説明はしにくいけれど、父親は変わりました。死ぬことについていろいろ話すようになっていました。
ストレスで食べなくなって痩せてから、痩せる喜びを知りました。「痩せた?」って言われるのが嬉しかった。まだ太ってるからもっと痩せたいって思った。2年くらいで7kgくらい痩せて、服のサイズもワンサイズ小さくなって、とにかく嬉しかった。
部活の同期の女子部員とは、上手くいかなかった。SNSでの揉め事も一切関与してないのに悪者にされたり、「私の好きな男子部員と仲がいい」って、自分のいないところで悪口言っていたのも知ってた。知ってて、表面上取り繕っていた。問題が起こる度に顧問に解決役に回されて、心底うんざりしてた。働けば働くほど反感を受けるだけ、なのに味方なんていなかった。
この頃から、自分も同じ空間にいるのに、目の前でのことが自分には関係なくてどこか外から見ているだけ、っていう感覚になるようになった。友達と話すこともあれば、1人で机に伏せてることもあったし、取り憑かれたように勉強していたこともあったし、連絡先を突然変えたり消したりしたことも何度もあった。
でも、3人だけ気を許せて信頼できる先生がいたし、何人かの先生もいろいろ話しかけてくれていた。なにより、大好きな友達が2人できた。この人たちのおかげで、なんとか過ごせていたんだと思う。

大学に入って、環境がガラッと変わって、馴染むのにかなりの時間がかかった。
家に帰りたくなくて、出掛けたついでにふらふらして、夜になってから帰るようになった。
帰ってきたとき、玄関のU字ロックが何回もかけられていて、何回も締め出された。家にもともと居るのに、居ないと思われてたり、帰ってきたことに気づかれなかったこともある。靴見れば居るのかどうか分かるはずなのに。部屋のドアから光が漏れてないんだから分かるはずなのに。間違えて締め出したなら、気づいたときに解除したり、ひとこと謝ってくれればいいのに。私は家に帰ってこなくていいのかな、って思った。
春休みから参加していた部活で、トラブルに巻き込まれて、高校時代の大切な思い出のものを全て失った。
母親は競技の選手から運営側に立場を変えて、よりいっそう愚痴が酷くなった。ふつうの選手は知らないようなことも愚痴に混じってるから、そのことを聞いてなかったことにするのは本当に大変だった。先輩は運営側への苦情を私に言ってきて、母親は選手への苦情やその他もろもろを私に言ってくる。完全なる板挟み状態。その上、母親は試合のたびにプレッシャーまがいなことを言ってきた。知らず知らずのうちに追い込まれていた。「結果悪かったら家に帰れないんじゃないか」なんてずっと思ってた。ついにイップスのような状態になって、抜け出せなくなった。その状態を、母親には呆れられ、バカにされ、先輩にも弄られて、同期にもネタにされて、「やる気ない」「逃げてる」って言われ続けてる。好きでこんな状態になってるわけじゃないし、助けて欲しい。だけど、だれも理解してくれない。
気づいたら、手首の傷は増えて、指先の皮や荒れた鼻の皮を血が出てもひたすらめくって、ひたすら食べて、2ヵ月たらずで10kg太っていた。いつも食べ物のことばかり考えてて、馬鹿みたいに食べて、吐けない代わりにサプリや非刺激の整腸剤、そこそこの値段のするダイエット機器を買い込んだ。とにかく痩せたいのに気づくと遠出してでも食べ物を大量に買い込んで食べ続けてる。もっともっと痩せたいのに、どんどん太っていく自分が醜くて大っ嫌い。

小学生の頃の転落事故がきっかけなのか、寝ていると、突然高いところから後ろ向きに落ちていく感覚になって、飛び起きることが多くなりました。上りのエスカレーターや窓の近くの台に登るなど、後ろに何も無い状況が怖くなりました。
小さい頃から地震は怖くて仕方がなかったけれど、3.11のあとから、地震に関わることを見聞きすると、とてつもない恐怖が襲ってきてどうしようもなくなります。耳を塞いだり、震えたり、寝れなくなったりします。遠征先のホテルでは、電気は消せないし、窓際で寝れないし、何かあっても速報音で気づけるようにテレビは消すことができません。
いつからやっているのか覚えていませんが、決まった時間に決まった場所で決まった内容のことを決まった順序で毎回ほとんど同じ言葉でお願いごとをしています。大体が地震関連です。これをしないと不安で仕方がないし、いざ何か起こってしまうと、とにかくお願いごとを増やしています。
いつもどこにいってもイヤホンが欠かせなくなってました。音楽聞いて周りの音が聞こえないようにして、下向き加減で歩く。そうじゃないと出歩けなくなっていました。人の視線も音も怖くて仕方がない。知らない人がすれ違いざまに何か話してるだけで怖い。気づくと痩せてる人を見てしまう自分も醜くて。大きな音は本当に苦手だし、ガヤガヤした感じも苦手。陽の光もライトも眩しく感じるようにもなっていた。
昔から朝起きるのが苦手で、朝はだらだらしがちで、高校生になると立ちくらみが酷くなっていました。親は私が体調不良を訴えると不機嫌になっていたので、ずっと言い出せなかった。高2の頃、やっとの思いで昔からの主治医に相談して、起立性調節障害と診断されました。だけど、このことは父親は知らないし、母親も「私だって低血圧だけどちゃんと朝起きるから」と納得も理解もしていません。病院に私を連れていくのも面倒だそうで、診察にはいつも1人。大学生になっても、疲労感や倦怠感が酷くなっていくばかりで、何も良くなってない。何もやる気がでない。

こんな自分に嫌気がさして、毎日が憂鬱で、さすがにそろそろどこかに相談した方がいいのではと思って、大学のカウンセリングを受けました。心理テストで「普通の人すぎて個性がない」と言われました。授業の関係で今は受けていません。

今の状況を少しでも良くしたいんです。
何かの病気?それともただの甘え?
私はどうしたらいい、誰か助けて。
お願いします。