今生きてるのがつらいです。
私は今二十歳で学費を貯める為にアルバイトをしており、ある程度用意できたら専門学校に通う予定です。
また16歳の時から精神科に通っています。
今の病院では軽度のアスペルガーと診断されてます。
カウンセリング開始は4月からの予定です。
自分で追い詰めたのにも関わらず、生きてるのがつらいです。
家庭環境ですが、父は職業柄が相まってとても厳しいです。
学費を貯める際も貯める条件としてスマホを買うなと提示されました。
貯める為だと思えば理解できないわけではないのです。しかし、現代で社会的に考えるととても考えれないんです。アプリなどでコミュニケーションをとるのが当たり前の時代なので現状とても自分自身閉鎖的です。
なのでこちらで投稿してるのも自宅にある家族兼用のPCです。
昔は殴られてたことも少なくないです。理不尽に怒りを向けられたことも。
勿論、慎重かつ冷静な部分に助けられたこともあります。ですがいつまでも機嫌を窺うのも大変疲れます。
人として酷いかもしれないですがこの先は距離をとっていたいです。
母はその父の影響か人を疑い深く父からの八つ当たりを私に向けることもありました。
そして半年に1度ほど夫婦喧嘩がありますが母がヒステリックを起こしてるのをよく目にします。
父もですが母の方がかなり情緒不安定だと思います。
そして2人ともですが相手を見下す態度や、文句ばかり、楽しい話と思えば相手への侮辱……
聞いてて食事の席は特に憂鬱です。ここ数年は昼は父が仕事なので部屋で1人で食事しています。
また感謝の言葉や謝罪も口にすることが少ないのです。
口先ばかりはそれこそ有り得ないかもしれないですが、それでも耳にしたことはほぼない。
自分自身書いてて呆れてます。
次に職場です。
女性ばかりの接客業です。昔から縁があってそこで働かせて頂いてます。
また上司にも自身の症状については話をしました。それで理解してもらえたと考えてました。
ですがその職場も常に人手不足で私も出来るだけ出勤していますが、2カ月に1度ほど精神的に不安定になり途中早退や欠勤もしばしば。
それで最近では上司には煙たがれていて、信頼していた、してもらってた(?)ので余計心苦しいです。
先日途中早退してしまい上司から「休まれると困るから」と突き放されました。
過去、小中学校の頃に昔に外見で嫌がらせを受け、それ以来学校という場所があまり好きではありません。
また一部の教師には相談したところ、「悲劇のヒロインきどり」と言われ、先生も信用できません。
あと痴漢に数回会っていて正直男性の方は今でも苦手です。
私に兄弟がいて2つ離れた姉と妹がいます。
姉はイラスト関係の分野の大学を経て就職。妹は語学関係の大学へ進学です。
二人とも努力家でコミュニケーションが上手で友人も多いです。
昔イラストを一緒に描いていて、姉と比較されて真似をしてるなどと言われて強い劣等感を持ってます。
今病院へ行ってることについては兄弟は理解してくれてますが、親には冷たい目で見られてます。
自分のことをざっと綴らせてもらいましたが、正直今は生きる意味が分からなくて、なのに甘えてる自分が嫌で胸を押し殺したいです。
人からの恐怖、劣等感で自分自身が情けないです。
何度も逃げてるから見放されるのでしょうか。言い訳してるから見捨てられるのでしょうか。
それともいい年齢なっても何も変わって無いから距離を取られるのでしょうか。
今信頼できる人はいます。
兄弟や恩師2人、友人。ですが皆多忙なので迷惑かけたくないと考えてしまいます。
楽しく生きるって何でしょうか。
泣きたくても泣けません。思いっきり泣けない。死にたいのに死ねない。生きたいのに生きる気がしない。
どうすればいいんでしょうか。
まだ時間の問題でしょうか…
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ひろし
π- 2018-03-17 09:38
仕事の中でメンタル面で調子を崩し、休職中です。
また、最近、原因不明の腸閉塞になってしまい、
4日間絶飲食、2リットル以上の点滴、抗生物質の点滴を受けました。
トータルで一週間、入院しました。
まず、生きる目的について。最近、「死ぬために生きている」と思っています。
つまり、どういう死に方を望んでいて、そのためにどういう行動をするのかということです。
迷惑をかけるということが「不徳」とするなら、死ぬことって大きな不徳を積むことだと思うのです。
死んだら、自分の亡骸や遺品などは、他人に処理してもらわないといけません。
その時に、「よく頑張ったね」って思われるのか、「迷惑ばかりかけて」と思われるのかは、生き方次第です。
だから、ボランティアとかして困っている人を助けたり、ポジティブな言葉で場を和ませたりして、徳の貯金を増やしていくのです。自分自身を苦しみから助けてあげるのも、よい徳積みだと思います。
死ぬのはダメです。大きな不徳です。人生修行の修了は、神様が決めてくれます。
人との関わりをたたざるを得ない時間は、自分自身を見つめる時間になります。
そういうときは、読書がおすすめです。ジャンルを問わず、面白そうだなって思う本は片っ端から読んでみるといいかと思います。読書は、本の著者との会話。それが、後々財産になるはずです。
病気で入院するって「運が悪い」って考えますよね?昔の私なら、そう考えると思います。
でも、この前入院したとき、「私は、かなりの強運の持ち主だ」と思ったのです。
腹痛がおさまってきたら、点滴こそ受けていましたが、頭はしっかり働いていたので、
看護師さんと相談しながら、自分の衣類を洗濯したり、物を揃えたりしていました。
家族や親戚は、遠いところにいて、電話しても来れる状況ではなかったので、
点滴を受けている病人とは思えないぐらい動き回っていました。
退院して、帰宅して、疲れて昼間から寝てしまいましたけどね。
物事は捉えようかなって入院してから思いました。
看護師さんが3交代勤務で働いているところなんて、普段間近で見ないですから、
異業種の人が働いているところを観察していました。
病気のことについて、お医者さんに質問しているうちに、知的好奇心が刺激されました。
同室に患者さんを見て、自分なんてまだましだなって思えました。
楽しかったし、大きな成長に繋がったかと思います。
目の前の嫌な出来事をどうよいことにとらえ直すかと考えてみるといいですね。
なぜか知らないですが、この年になって周りの人に誉められる機会が多くなりました。
周りにできるだけ迷惑をかけないように、自分に関することは自分で一生懸命こなしているだけです。
それだけでも、認めてくれる人がいるんだなと感じています。
私も、両親にバカにされながら育ってきました。今、やっと両親も人になったかなって感じです。
「成長させてくれるために困難な環境を与えてくれてありがとう」って気持ちになれればいいですが、
まだそこまでの境地には至っていません。
夏希さんは、すごいと思いますよ。専門学校にいくために、自分で学費を稼いでいるのですから。
多くの学生は、バイト代は遊びに使います。その点で、一歩同年代の人より先にいっています。
成長の評価の基準を他人に持っていくのではなく、自分に持ってくるといいですよ。
「点滴を受けながらも、コインランドリーに洗濯物を自分で持っていって洗うなんて、成長したな」って
自分で自分の行動や考え方の変化を褒めるのです。
24時間、一緒にいるのは他でもない自分自身だけなので、良いところはいっぱい褒めてください。
そうしているうちに、劣等感も消えていきますし、オーラが明るくなって、よい人が集まるようになるでしょう。
夏希さんは、まだ二十歳でしょ?
私なんて、もう30歳越えているのだから、夏希さんにはまだまだ成長のチャンスがあります。
30歳までによい縁(男も女も)があればいいなぐらいで気長に自分の成長を楽しんでいければいいんじゃないでしょうか?
ここまで読んでくださってありがとうございました。参考になれば幸いです。