毒親チェックで毒親の傾向があると診断されたので投稿させて頂きました。

まず、私はなんとなく「自分は何らかの精神病なのではないか?」と思う機会が何度があり、それから毒親の疑いを持ち始め(ストレスの原因を探すと、心当たりが家庭しかなかったのです)、そしてこうして相談するに至りました。
本当に悩んでらっしゃる方に比べると、私は恵まれているかもしれません。けれど鬱病だった方のお話に「周りよりマシと思って我慢してはいけない」とあったので相談しようと踏ん切りがつきました。

私が相談したいことは、まず、毒親問題を公的機関に相談する場合どこに相談すればいいのかわからないということと、精神科の受診を考えているが、明らかな鬱などの特徴がある訳でもないのに受診していいのかわからない、受診しても何を話せばいいのかわからないということです。
この二点を特に聞きたいと思っています。

ここからあとは愚痴のようなものなので、読んでいただかなくても問題ないと思います。

また、私の親の話について……私が親に抱く気持ちについても聞いていただきたいです。こちらは相談というより愚痴などの要素が強くなってしまうかもしれません。申し訳ありません。
私が親の言葉で酷く傷つき、忘れられない言葉があります。
まず父。私が高校生のとき母に深夜家を追い出され、田舎の祖母の家まで自転車で行くのは危険と判断し近所の派出所に行きました。
当然警察からは補導されました。母に追い出された旨を話し、母に連絡しましたが繋がらず(後に聞いたところによると、祖母の家付近まで車で私を探しに行っていたらしいです。嘘ではないでしょうが、馬鹿馬鹿しいですよね)、致し方なく、眠った父が残る家に電話を入れました。
父は眠っていたので私が追い出されたことも知らず、経緯の説明から始めました。近所でしたが迎えに来て貰うことになって、不機嫌な父と一緒に家に帰りました。
そして投げられた言葉が、「本当にお前はめんどくさいな」でした。
深夜に追い出されたことに関する心配の言葉はありませんでした。今まで追い出されそうになっても、何とか家に残っていた私が、家を出た気持ちの変化を気にすることもなく、ただ「めんどくさい」の一言で片付けられました。彼から愛されていないのだろうと、私の中で見限った瞬間でした。

その時の原因となった母(元を正せば私が母を怒らせたのですが)は、度々私を家から追い出そうとしたり、殴ったり暴言を吐く人でした。怒り方がそういうタイプの人でした。母方の祖父がそういう叱り方をする人だったらしいので、きっとその影響でしょう。
小学生のとき、細い棒で叩かれしばらくミミズ腫れが足に残りました。
中学生のとき、恥をかかされたと泣きながら責め立てられました。
高校生になってからはもっと酷くなりました。

高校生になると、私はアルバイトを始めたのですが、そこで私はうまくやっていくことが出来ず一人の社員の方から疎まれていました。
自覚があるのかないのか、えこ贔屓をされ、流れ作業で「前の人に追いついたり後ろの人がつっかえたりしないような量の荷物を持って仕分けをしなさい」と指導しているくせに、私よりたいへん少ない量の荷物を持って私の後ろにつき、「仕分けるのが遅い。また詰まった」と責め立てられることが多々ありました。
また、教えられたことをしていただけなのに、「つぎは○○をして貰おうと思っていたのに!勝手に行動するな!」と怒鳴られました。失敗したわけでもないし、その「○○をしてもらおうと思っていた」は怒鳴られたとき初めて言われた言葉です。私に非はないじゃないか、とその時は腹を立てました。
その他にも、パワハラの常套句のような「そんなんじゃ他に行ってもやっていけない」という言葉も言われました。それらの言葉が積み重なり、当時の私は軽い鬱のような状態になっており(無料診断の結果なのでどこまで正しいかはわかりませんが)、一年半ほど働いてそのバイトはやめました。
そのことの相談をしている時、母は途中まで私の味方であるようにふるまいながら「まあでも、あんたが悪いわ」と最後に言いのけることばかりでした。家族に相談しても意味は無い、会社に相談しても曖昧な反応をされる。それがきっかけで、私はしばらくアルバイトをしなくなりました。
「他に行ってもやっていけない」その言葉が足枷になったように、アルバイトを選り好みするようになりました。選り好みしすぎて、アルバイトはしませんでしたが。

そして卒業するころ、自由登校期間になると、ずっと母に「アルバイトしないのか」と言われ続けました。うちは決して裕福ではないし、さすがに探し始めなければと何回も面接を受け、どれも落ちているような状況ででした。
「受けてるよ、でも落ちてるんだよ。知ってるでしょ」と言っても不満なようでした。「周りの子は働いてるのに」そればかり言われました。
「周りの子は偉いな。もうアルバイト見つけて始めてるなんて」
と言っていました。
なんで?私は学校と両立させてアルバイトしてたとき、偉いなんて言われたことないよ? 休みの期間に、かれこれ二週間働いてる周りの子たちの方が、部活と学校と両立させながら一年半働いた私より偉いっていうの? と、内心不満に思いました。
また、母から言われた言葉で、「役立たず」が酷く心に刺さったのを覚えています。
私が休みの日にご飯を炊いていなかったりすると、その言葉がほぼ100%の割合でふってきました。「ああ、私は母にとって家政婦みたいなものなんだな」と思いました。自分が休みの日に何もしていなくてもヘラヘラしてるのになぁと嫌悪感を覚えるようになりました。
最近は母を怒らせるたび「役立たず」「ほんま嫌い」「おっても意味無い」「死ねばいいのに」「産むんじゃなかった」などと言われます。昔はこんなに酷くなかったのになあ、と思いながら聞いています。

しかし、私は嫌悪感を覚えるなどと言いながらも、彼らに愛されたいという意識がどこかにあるのです。
「ちょっと抱きしめてくれない?」「いいよ」くらいの会話ができたらなと願っているのです。なんの理由がなくても、優しく包み込むように抱きしめて欲しいのです。
私を理解して欲しい。私の価値観を理解して欲しい。私の考え方を理解して欲しい。
そう思って、私は母によく自分の意見を話します。けれど、私と母の考え方は真逆なようで、その度喧嘩になるのです。
喧嘩するのはしんどいし、話さなければそうなることはないのですがーーそれでも、何度も話していれば理解されるのではと思って話してしまうのです。
喧嘩になったとき、私は自分の意見を言います。言わないと怒られるからです。でも、言っても怒られます。「ああ言えばこう言う」と怒鳴られます。
かと言って、「うん」しか言わなければそれもまた怒鳴られるのです。
そんな説教を誰が集中して聞くのでしょう。「どうせまたうるさく喚いてるわとしか思ってないんでしょ」、そう思うなら黙ってくれ。もう話さないでくれ。自分で判断できる歳だと私に何度も言うのなら、自分で反省もできるだろうと説教するのも控えてくれ。
そういつも思っています。

毎日のように怒鳴られる私にも非があるのでしょう。自分の性格に難があることはわかっています。それでも、その度にかけられる言葉が鋭利すぎやしないかと思うのです。


すみません、まとまりがないことばかりで…愚痴のようで。
お目汚し失礼しました。せめて公的機関と、精神科の受診の仕方?についてだけでもお教えいただければと思います。よろしくお願いします。