小さい頃から母親と叔母の過干渉に悩んでいます。近くに同い年の従姉妹が住んでいて何についても比べられ、叔母からは私がいかに従姉妹より劣っているのか言われていました。今になって考えれば、優劣のつかないことや私の方が優れていたことの方が多いのですが、子供の頃は大人の言う事が全てで、私には何も取り柄のない存在価値のない人間なんだと言う事が刷り込まれたように感じます。

また、母親は自分の存在価値を認めるために私や弟のことを利用していたように感じます。小さい頃から、母のことを自分勝手な感情的な人間だと思ってました。自分の思い通りにいかないと「出て行け」と子供だった私達を家の外に出して鍵を閉めてしまったしました。理由は忘れましたが弟とお風呂に入っていたら、その時の何が気に入らなかったのか、小学生だった私達を裸で外に出して鍵を閉めてしまうこともありました。とても悲しく恥ずかしかったことを覚えています。

母親や叔母を見ていると、子供を自分の気持ちのはけ口に利用しているようにしか見えず、結婚に恐怖感しかありません。私の父は物覚えが着く頃には、すでに海外出張に単身で出ており、子供の頃の思い出にはあまり登場しません。また、叔父と叔母はいつも夫婦喧嘩しており子供ながらに「叔母がバカでみっともない」と思っていました。すがりついている姿がみっともなく見えました。

祖父が同じ土地で暮らしたいと、私が幼稚園の頃今の土地に引っ越してきました。なので、叔母とも四六時中顔を合わせましたし、この土地に引っ越してきたことで母親の感情が不安定になっていました。

母は学生時代は私の友人関係や学業に何でもかんでも過干渉でした。弟の進学に力を注いでいたこともあり、私のことは過干渉かつ否定的。「一番でないと意味がない」と言わんばかりに、成績が上がっても「よかったね。次は一番になりなさい」といった感じ。なにもかも弟優先。私が怒りをあらわにするとおきまりの「出て行きなさい」。脅すことで私の事をコントロールして行きました。

成人してすぐに母が末期ガンになりました。この頃、父親が帰国して家にいるようになりました。母親不在で一緒に暮らしてこなかった父が家にいる事で、弟が根を上げて家を出て行きました。幸い母のガンは治りましたが、闘病生活が長く、この間、私は自分のことを考える事が出来ませんでした。親族からも「仕事を辞めて家に入れ」と言われ、なんだか自分の自由が奪われるというか閉塞感とともに、「社会的価値のない私だから家に拘束されてもいいんだ」と言うなんとも言えない気持ちになりました。
ストレスが強かったようで、胃が常にキリキリと痛く、ストレス性の脂漏性皮膚炎に罹患しました。

母の病気が開放に向かった頃、仕事でイジメに合いひどい鬱になりました。学生の頃から怒りをうまく表現できず、常に「消えたい」と言う気持ちを持っていたのですが、この頃はその気持ちが強く「誰にも迷惑かけずに消える方法」や「痛くない、苦しくない死に方」を考えてばかりいました。毎日寝るときに、「明日、このまま目が覚めなければいいな」と思いながら眠りについていました。

この頃、カウンセラーにも通いましたが、母が心配からか病院からかかってきた電話で勝手に診察をことわってしまったしてました。考える力も無かったので、いろいろな事が嫌で嫌で本当に消えてしまいたかった。

「自分には価値がない」と、根底にあるみたいなので、今でもあまり友人を作りません。自立する事を否定されてきたので、今でも実家暮らしです。夕飯を作らなくても良いと伝えていたり、自分のことをやれるのですが二言目には「なにもしない」といつも責められます。家を出て自立をしようとしたこともありましたが、「家を出たかなんて悲しい」と意味のわからないことを言い出しました。
自立できない方がうまく立ち回れるからなのか、ストレスからなのか、買い物や食べ物など適切な量がわかりません。

文書にすると甘えているだけのようですが、小さい頃からの呪縛をどうやって撃ち砕けばいいのかわかりません。自分の人生なのに、自分のやりたいことや将来のこと、なにも思いつかない。自分のことすらよくわからない。

70代になった母は今でも自分勝手な行動をしています。これは家族に対してだけで、自分の知り合いには尽くしてます。自分がいい人に見られる事を率先してしています。

叔母もまだ近くで生活しています。

仕事も多忙で不規則なので、彼女たちに言い返す気力もありません。よくわからない彼女たちの「当たり前」を押し付けられるだけなので、嵐が吹き去るのを待つだけです。