こんにちは
これまでも騒音問題などで相談させていただいたもので、今回も前回同様自分を見つめなおす続きとして
投稿させていただきます

私は生まれつき足に障害があり、車椅子生活をしながら 不安症の症状があるため自宅療養しています

これまで、私の家庭環境や人生について
機能不全家族だったことや、幼少期の施設での虐待、母との共依存 父や母の言葉の暴力 八つ当たり 姉が父に殴られているのを見たりしたこと
そして専門性にかける手術を半ば強制的に病院側にされたことで人間不信になり、(そのため以前より不自由になりました)
中には教師の中にも障害に対して理解がなく、永遠と責め続けられたり 理解を得られないことはしょっちゅうでした。
そのため自分自身の人格のゆがみが生じ、人や世間 自分自身も蔑んでいたことが過去としてあったこと(それによっていじめも起こりました)
母が毒母で肉体的精神的支配があったこと、人格否定 人生の選択の自由を奪ったこと
を前回投稿しました

私自身に頑張らなければいけない 価値が無いと思い込んでいた
異常な頑張り癖もよくなかったと今は思います

今回はその続きのようなものです
どうして自分が精神疾患のような症状になったのかと。

私は上記のような環境で育ち、その後 父と母が別居(私は母についていきました)その後離婚となりました
姉が別居直前に、私の前で泣き出して 私はしっかりしなきゃ 泣いちゃいけない
なんて思いましたが、今思うと一緒に泣いてあげればよかったのかな
我慢なんてしないで。 とも思います。

母親に半ば強制的に進路を決められ、障害者専門の自動車教習所で免許取得のため
寮生活をしていましたが、途中で家が変っていた というのもショックだったし
私の運動神経が悪かったりで 途中で教官が教えるのを放棄してしまったり 怒鳴られたり
なんてことがあって、三ヶ月耐えて退所しました(免許も取れそうになかったので)

そしてそれと同時期に公務員試験を受けなさいと、母から言われ
何年か前から対策の勉強をしていましたが 結果は2次で落ちました

教習所にいたときの車椅子仲間のほとんどが、地方公務員の内定をもらっていて
劣等感にさいなまれました (勉強は出来るほうだったのに)

そのあと 長年付き合っていた彼氏に 心身が疲れ療養生活をしていたら
君は努力をしていないとか 人格否定だとか
あとは彼の先天性疾患が遺伝することが発覚して 子供は産まない といわれたこととか
そんなことが積み重なって、学生時代から付き合っていた彼氏とも別れを決断しました

彼自身が親に虐待を受けて育った過去があり(それを彼は認めていません)
彼がブラック企業に勤めていたこともあって
おかしくなっていたんだと思います。

最後の別れのメールの文章は 別れたいのか 別れたくないのか
支離滅裂で訳が分かりませんでした。(文脈が本当におかしい)

数年療養生活をすることになりましたが、努力しろなんていわれたって
母からも 彼氏からも 出来ないときは出来ないんだよ

酷いときは何もかもが怖くて、部屋の外にすらでられない日々があったくらいなんだから。
ずる休みなんかじゃない 自分を蔑む必要なんてなかったんだ
だってもう体も心も 努力しきって 疲れて 1度壊れてしまったんだから

最初は自宅療養する自分が ずる休みみたいで嫌だった
だけどそれは大切な自分を作り直す期間なんだなってそう今は思えています

これまで辛いことが何度もあって、精神疾患になるのもうなずける気がします
私は私なりに頑張ったと思っています
自分に劣等感を持っている人は、自分で自分をほめてあげてほしいです
だって生きているだけで素晴らしいから。

 私は最近近所を自分だけで散歩に行けるようになり、近所の人に挨拶される
それだけで嬉しいと思えるようになりました
障がい者だから同情されているんじゃないかとか
そんな悪い考えも減りました それに別にそれはそれでいいとも思います

母の堂々とした意志の強さも今は 受け入れられています

公務員を否定するつもりはありませんが 私はpcをカタカタ打っているだけの仕事は嫌で

私はHSPという敏感な体質を持っているけれど 相談員の仕事をいずれしたいと母に話したら
NPO法人を自分で立ち上げたらどうかといわれました
私の意見に賛同してくれたことに喜びを感じます

今はアパートの騒音問題で大変だけど、「やめてください」といったら
注意はしてくれはじめているし、悪い物事に囚われないように
騒音も1日中ではないので、「騒音がするかも」とか騒音がしていないときまで
囚われてしまわないように

自分らしく自立して生きていけるように
頑張らずに 頑張りすぎずに 生きていこうと思います
頑張りたいとき頑張ればいい 頑張ることが全てじゃない
大事なのは、苦しい人生と世間の中で、すこしでも自分らしく生きているか だと私は思います。

花が咲いていて綺麗だったとか そう思えた自分も「自分らしい幸せ」だと思います。

こうして自分史を書くことで自分を見つめて 受け入れられているように思います
こうして自分を見つめなおしたかったのです

長文乱文 すみません
最後まで読んでくださった方ありがとうございました
少しでも誰かに 私の言葉が勇気を与えられたら幸いです
ありがとうございました