こんにちは 今回も相談ではなく自分を見つめなおす作業として
投稿したいと思います

前回私は 母に感謝できない その理由は 母から認められた経験がないからではないか?
という趣旨の投稿をしました

それらのことを精神科の先生に相談すると

ある程度感謝してるなら いいんじゃないの?
あなたはどうして母親に認められたいの?

といわれハッとしました。

過去に母が「もっと感謝してくれ」と私に過剰に期待していたように
私も母に「認められること」 「もっと認めてくれ」と過剰に期待していたのです

母が「母は子に感謝されるべき」と思っていたように
私も「子は母に認められるべき」と思っていたようです。

母と私は別固体の人間です

他人の人間同士なら 感謝されることも 認められることも 期待しないでしょう
親という 名の 他人ならば言うことを聞かなければなんて 追い詰められることもないはずなのです
母の言葉の全てを真に受けて 「感謝しなきゃ」 なんて。

私自身は親と自分の 区別をしっかり出来ているはずでしたが
私自身も 「親に認められたい」とか 「感謝しなきゃ」
なんて過剰な期待と 応答をしていたのです

まさにこれこそ 共依存の正体だとおもいました

精神科の先生が言っていました

「私は家族をあまり信用しないの、だって家族だと過剰に期待する(または期待しあう)でしょ?」
「他人のほうが(期待しないから)優しかったりしない?」

家族だからこそ ああしてほしい ああしなければ

そんなふうに強制したり依存してしまうのです

私は心の中では 母に感謝している部分はちゃんとあります

だから「母の希望に(感謝しろとか)過剰に答えなくていい もっとくれってなるから
あなたはあなたの人生を生きて」 そう 先生は気づかせてくれました

先生は「あなたはお母さんと一緒に生きているの?(違うでしょ?)」と問いかけて気づかせてくれました。

「母親だからって 家族だからって認められなくたっていいでしょ?」

「他人だったらそんなこと思わないでしょ?」と。

別に母という他者に認められなくたっていいし
ある程度自分なりに母に感謝できているならそれでいい 自分でしっかり自分のことをしたいと思うなら
母のことなんてお構いなしにすればいい

 私は足が不自由なので 頼んだり 感謝したりするのも疲れるということも
「自分で自分の事ができるように 自分が勝手に動いてやってしまえばいい」と先生は言っていました

私は 母に 自分のことは自分でできるように、高い位置のものは下げてほしいといいましたが
「収納が上にしかないから無理」といわれ 諦めていました。でも
自分ができるように勝手に私がいじってしまえばいいだけの話です

「自分の範囲で 自分の出来ることを したいと思うことを すればいい」
そういってくれました

私現在 アパートの騒音に悩まされ 聴覚過敏になっていますが
そのことも「そのこと自体にとらわれずに生きること」

「あなたの人生を生きて」と念を押されました

よくここの相談でも 「親に認められない」といった趣旨の 相談を目にしますが
親が過剰に子に期待するため 「認めない」 そして子も自分の親だからこそ 「認められたい」と親に過剰に期待してしまうのかもしれません

そしてお互いが認め合っているのに 期待しすぎて 互いにそのことに気づけていないということもあるでしょう

家族という 血の繋がりを特別視してしまっているために
家族という 別物 という考えが出来ずに
お互いに期待しあい 支配したり 依存してしまうのかもしれません

先生は最後に「あなたのお母さんは寂しいのよ」 といっていました

私の母が寂しくて 自分に自身がなくて 支配したり 感謝されたがっていたように
私も寂しくて 自分に自信がなくて 依存したり 認められたがったのだと思います

私は自信のない自分も全て「自分で」 認めてあげること それがいつしか本当の自信になり
真の自己肯定感の誕生になるのかもしれない と思いました

自分を認めてあげられるのは 自分だけ それを分かっていたつもりでも
他者からの価値 それも 親からの価値を 過剰に期待していたのだと思います

それは 他人を信用しないではなく 自分の揺るがない価値を自分自身で作り出す
ということであって
「変動する他者から 自分の価値を求めるのではなく 自立した自分の中での価値を確立する」ということこそ
真の自信であり 自己肯定感なのではと 改めて感じました

それが出来ていると思っていても 親から認められたいと 自分の価値を依存し
親に言われたから 親に感謝しなきゃ なんて 支配されていたようです

家族だからといって 恋人だから 色々な関係性を 特別視して
期待するのは 依存するのは 支配するのは 支配されるのは 違うのですね。

母に伝わっていなくても私は母にある程度感謝しています
ならば母だって私をある程度みとめてくれているはずなのです

過剰に期待しあって お互いにそのことに気づいていなかったのです。
それに母は別物の他人なんだから 認められなくたっていいのです
自分が自分を認められていれば。

私を見つめなおすために投稿させていただきました
長文乱文 すみません
最後まで読んでくださった方 ありがとうございました