久しぶりにここに来ました。
別段、苦しくなったから逃げに来た訳ではありません。
いつも通りの日でした。
ちょっと家族に対して腹を立ててしまったくらいで、それもだいたいいつも通りでした。

私は、つぶやきにも何度か流しましたが、今は昔の自分を哀れむ余裕があるくらい幸せです。
座り込んでも、立ち上がる方法を知りました。
立ち止まっても、歩き出す方法を知りました。
だから、もう前のように暗い部屋にこもって泣明かすことはありません。

人と話せるようになりました。
出掛けたいと思うようになりました。
服の好みが明るくなりました。
自分に自信が持てるようになりました。

万人にとってそうではないのかもしれないけれど、私の支えになってくれたのは神様の存在でした。
こうして書くと、怪しい宗教に騙されてるのでは、なんて思われてしまうかもしれませんが、疑い深く臆病な私はきっと騙されたくても騙されないと思うので、心配ありません。誰に言ってるのかわからないけど。

けして大きくはないけれど、人も少ないけれど、教会は本当の家以上に私の家です。
帰っていい場所が、逃げていい場所があるというだけで、こんなにも救われるのだと私は知りました。

産まれてからずっと共に居た家族には理解して貰えないことを、理解はできずとも共感したり、励ましたりしてくれる教会の先生や友達に、ずっと救われています。

ただ、唯一胸の中に燻る問題としては、家族を信頼できなくなっていることです。
我ながら両極端だと思います。
神様は何も言わなくても、何も言えなくても私のことを理解して、怒って、許してくださるから。
何を言っても、最終的には私が折れるしか笑顔にしてあげる道がない家族と過ごす時間が、時折とても痛いんです。

家族は好きです。とても好きです。
きっと、すごくいい家族なんだと思います。
お金はないけれど、不器用だけれど、でも夕飯を共にして、ときたま外食したり、一緒に買い物に行ったり。
他愛のない話が出来る、素敵な家族です。
私は、そんな家族たちを悲しませたくありません。
だから、私は頑張ります。
空気が悪くならないように。
母が悲しい顔をしないように。謝らないように。
嫌な気持ちにならなくて済むように。
それは大変でも、けして嫌なことではないはずなのに、もっと心地いい場所を知ってしまったから、受け入れられないんです。
傷をつけあうだけの間柄なんていりません。
傷から目をそらすために新しい傷を産むのはもう嫌なんです。

こんなやり場のない気持ちを抱えていたからか、久しぶりにここに出てきてしまいました。
もう鬱から解放された私には居場所がないかもしれませんが、ときたま、顔を出せたらなって思います。
こうやって誰に言ったらいいのかわからない気持ちを吐き出しに。

お目汚し失礼致しました。