吐き出すので長いです。
小学生高学年の頃から何となく『自分は必要ない、死にたい』って言う考えが頭の片隅にありました。
自分のことが好きになれないので、太っても気にせず、見た目も気にせず、勉強が出来なくなってもどうでもいい、と努力することから逃げるようになりました。ADHD気味なので人より出来ないことが沢山あり、諦め癖がついてしまったのだと思います。
大学生になり資格試験も終わり、就職活動の前準備であるエントリーシートや履歴書の自己紹介欄にある、『自分の長所』などが全く書けないことに気付いてしまってから、通学の電車内、学校でも涙が止まらず、自分が社会から不要な人間だと再認識してしまい、最後はクリニックで適応障害の診断をもらいました。両親はあまり理解してませんでしたので、だらしのない、と注意をされていました。
『自分が病気である』と医師からの診断のおかげか、薬のおかげか認識できたので、そこから4か所に応募し、秋に内定を貰ってからはなんとかギリギリまともな人に戻れたと思います。就職活動の適応障害だったので、それが終わればあっけにないものでした。
しかし、そういう経験は心の古傷になるそうですね。今でも思い出すと苦しいです。

就職で親元を離れ、20代も半ばになり、『このままでいいのかな』と思った私は人生で初めてダイエットを始め、髪型を思い切り変えたり、前向きに変わろうとしました。
ダイエットは15kgの成功で、未だに続けています。周りの人にも褒められて、とても嬉しかったです。

その少しあとに遅まきながら初恋をしました。
特殊な職業の大好きな彼をそばで支えられたら、私の人生に意義が生まれるのではないか、という考えがチラホラありました。
たとえそれが人に誠実ではない、あまり良くない話を聞くような人でしたが、私はそれをひっくるめて大好きで、ユーモアとして見てました。なんでもいいから傍に置いて欲しい、と今でも思います。
彼にそこまでの気がないことは分かってはいましたが、出会って10ヶ月後にフラれてしまいました。(友人として交流はまだあります)
それが今年の二月末のことです。

それからは『私が何をしても彼が私を見ることは無い』『つまり何をしても無駄なんだ』と、言う考えに囚われるようになりました。
自分がただ痩せたいと思って始めたダイエットも『痩せたところで彼の好みの女性にはなれない』と、過食と拒食(軽症です)を繰り返し運動もやる気が無くなってしまいました。

自分のために始めたはずなのに、できない言い訳が彼になっている自分が今までより更に嫌いです。
楽しいことがあって笑っても、1人になった時に死にたくなります。
こんな自分が何をしても意味を感じることが出来ません。
昔の無気力な私に戻ってしまった気がして、尚更嫌いになりました。
『お前は何をやってもダメだ』という、15年近く囚われてるこの考えをどうにかする方法はないのでしょうか。
自分で自分を褒めても、別の自分が貶してしまいます。
仕事などが上手くいっても、『まあ、出来てもその程度までだよね』と思ってしまいます。
もうこんな辛い思いはしたくなくて、死にたいです。
自尊心が低いのでしょうか。

ダラダラとどうでもいいことを書き連ねてすみません、吐き出したかった。
あまり関係の無いタグが引っかかってしまってますね、すみません