死に関する考えと家族と価値観について。
ただ、書きたい、見て欲しい、そう思いで投稿します。

私は今大きく3つのことに苦しんでいます。
1つ目は死について。
大好きなアーティストを喪いました。
私は未だにそれに向き合えていません。
向き合っているつもりではいます。
だけど向き合えてないんだと思います。
「死」という言葉が怖い。
簡単に命が消えるこの世界が怖い。
「死」の乗り越え方がわからない。
乗り越えたくない。忘れたくない。
そんな思いでいっぱいです。
毎日普通に過ごしています。
だけど心の奥底では不安でいっぱいです。
忘れたらどうしようって。

それにこの世界は簡単に「死」という言葉を使います。私はそれが耐えられない。
簡単に人が死んでしまうこの国が耐えられない。亡くなっていく人がいることを忘れる自分が耐えられない。

そのくせ生きるのが辛いと思ってしまう自分が憎たらしい。
死にたいと思ってしまう自分が嫌です。

生きなきゃいけない、生きなきゃいけない
自分に何度言い聞かせても苦痛は消えません。生きることが苦しいんです。
何故彼が亡くなって私が生きているのか不思議で仕方ない。苦痛なんです。全部苦痛なんです。

生きなきゃいけないなんて分かってるんです。でもしんどいこととそれは関係ないでしょって思うんです。辛くて辛くてたまらない。
でも私の悩みを聞いて一緒に苦しんでくれる人はいない。共感してくれてもいつか忘れる。なのに私は吐露できない。だからここに書きました。ここならずっと残る。私の痛みが永遠に残る。そう思ったから投稿しました。

2つ目は家族。
私は母と本当に反りが悪い。
家族とは仲いいつもりです。
でも愛されてる自信も愛している自信ももうない。
私のどこに愛される要素があるか分からないし家族の歪しか今の私には見えないんです。
優しいです父も母も。でも人間として尊敬できない幼い面が多すぎる気がします。
母は話を聞かない。そういう所が心底嫌いです。
今日、母が「死ぬかもしれない」と言いました。それは簡単に軽率に言った言葉でした。今の私にはどうしても許せない。本当に明日死んでしまうかもしれない。なのに簡単にそんな事を言ってしまうんだ。そんな母を許すことは出来ませんでした。

もう母をほんの少し前のように愛してるとは思えないでしょう。
私は明日死ぬかもしれない。だから今日できることをやろうと真剣です。そんな私を嘲笑うような母の言動が許せません。

そして人間関係、私は人を信頼できない。
信頼できてないから言葉を考えて考えて考えて伝えることを辞めてしまう。
「私が言っても」その考えばかり浮かんで会いたいとか話したいとかそんなことが言えません。
だから私は好きなものに心酔しています。
好きなものは期待しなくても私に応えてくれる。私が欲しいものをくれる。でも私の周りの人間はくれません。私が期待を寄せても裏切る。期待するだけ無駄なのだといつも思うのに期待してしまう。もう人間関係にも疲れました。何もいらない。

愛を持って接したいと心から思っています。
でも疲れたのです。
私が与えた愛は虚空を飛ぶようにして
帰っては来ない。

返してくれているのだろうけど
私の期待には応えられない分の愛しかない。
私の莫大な愛はこれだけの価値しかないのか。
と思ってしまって。
そんなことを思う自分が嫌で。
もう何を見ても何を考えても苦痛です。

今は言葉が上手くまとめれないので、また編集するかもしれません。お目汚し失礼しました。


あんなに生きなきゃと思うのに私はまだ
死にたいと、なんで生きているんだろうと、
なんで私が生きなきゃいけないのかと
思っています。

苦しいです。