私は今年17歳になる学生です。
といっても、高校は途中から行けなくなり、今は家に引きこもっています。
私は今ここで17年間に起きた事を話して意味があるのか、分からないけれど、ただ今は沼にハマって抜け出せない状態で、正直自分が何がしたいのかも分かっていないけれど、お話させてください。
私の家庭は、母と10上の兄と私の3人家族でした。
、父という存在は物心ついた頃から家にはおらず、パパと呼んでいた男性なら時々家に来ておりましたが、いつからか行方が分からなくなりました。
母はお酒は飲んでおりませんでしたが、その分タバコを沢山吸っていて、頻繁にパチンコに行っていました。
なので幼い頃はよく兄と2人で留守番をしていました。
私が小学生になり、家の鍵を持つようになると、私は家に1人で留守番するようになりました。兄は中学生、部活で帰ってくるのも遅いです。
私が小学四年生になった頃には、兄は家を出ていました。私は家出をしたのだと思っていましたが、私の家庭は当時生活保護を受けており、兄は家を出て一人で暮らさなければ行けなかったそうです。家に兄はおらず、母もパチンコに行く頻度が多くなりました。夜は怖くて仕方ありませんでした。ご飯も滅多に作ってくれず、時々渡される500円でコンビニまで弁当を買いに行ってご飯を食べていました。母が帰ってくるのは遅くて夜の23時以降、早くて21時頃でした。500円を貰っていない時は料理も出来なかったので母にお腹が空いたと電話をするしかありませんでした。ですが、パチンコ店はうるさく、電話にはあまり気づいてくれません。でてくれたと思えば、今いいところだと怒られて切られてしまいます。その後、家に帰ってきたら沢山叱られ、殴られることもありました。
そんな生活を小学校6年生まで送っていました。
私が小学六年生になった頃、母は知り合いのスナックで働くようになりました。この頃には当時の私は家出だと思っていた兄が姿を現すようになりました。
スナックだと、夜遅くまで帰ってくることはありません。更に寂しい生活がはじまりました。
そんな時私の家にパソコンがやってきました。
兄の真似をしてTwitterや、ネット配信をしてその寂しさを紛らわしていました。
これが私がネットに依存する始まりでした。
私は寂しくて仕方がなく、ネットで彼氏を作りました。初カレがネットでした(笑)
家のパソコンだったので滅多に連絡も取れず、結局好きな人ができたと振られました。
その人にも沢山の迷惑をかけてしまいました。
そして小学六年の最後の冬休み頃、母はスナックで出会ったおじさん、まあ、母の彼氏を家に連れてくるようになりました。
連れてくるだけならまだしも、母はそのおじさんを家に泊めるようになりました。
私はそれが嫌で仕方がありませんでした。この頃から少しずつ体調を崩しやすくなりました。
驚いたことにそのおじさんが家に来るようになって母はパチンコにあまり行かなくなりました。ご飯も作ってくれるようになりました。
ですが、おじさんがいない日は、パチンコに行くし、ご飯も全く作ってくれませんでした。普段、おじさんの目の前では怒らないのですが、おじさんがいない日は叱られて、殴られることが頻繁でした。この頃から少しずつ死にたいと思うようになりました。
中学一年生になった頃。
大人に1歩近づいたんだ!と喜んで中学校生活を楽しいものにしようと息巻いておりました。
ですが、思春期の子供たちが集まるその生活は悲惨でした。小学校にはなかったいじめがそこにはありました。いじめといっても、悪口をひたすら言われる程度のものでしたが。私が通っていた小学校は正義感が強く礼儀も正しい、素晴らしいと周りの方たちからいつも褒められるほど、いじめも何も無い、いい小学校でした。
そんな所で学んだ私は「みんなと仲良くする」というのが当たり前だと思っており、いじめを無くそうと必死に止めておりました。
ですが、やはり思春期、反発され、嫌われ、いじめのターゲットになっただけでした。
大丈夫、私には親友も友達もいる。そう思っていました。親友も友達もみんな離れていきました。当たり前です。その場にとけこんだみんなが、優秀でした。そうすれば虐められることもない。私は学校に行くのが怖くなりました。
学校もそうでしたが、家庭の問題もあり、私は限界がきて、部活の顧問の先生に相談してみることにしました。それがいけなかったんです。
私が全く学校に行けなくなった頃、顧問の先生が家に迎えに来るようになりました。でも私は行きたくなくて居留守をつかっていました。
ですが、顧問の先生が鍵を開けて家に入ってきました。母が、顧問の先生に家の合鍵を渡したんです。学校に行って欲しいがために。
私は扉をトントンされるのも電話をされるのも、そして電話をするのも怖くなりました。
無理矢理連れていかれ、悪口を聞かされ、そんな生活、もう嫌だと、私は死んでしまおうと思いました。遺書まで書いて、飛び降り自殺しようと。いざ自殺しようとすると怖かったです。自殺はできませんでした。ただの意気地無しでした。
しばらくたって、兄がドライブに行こうと夜連れ出してくれました。昔から私はお兄ちゃん子で、なんでも兄の真似をして、なんでも兄を頼りにしていました。
きっと兄なら分かってくれるはず、そう思って、相談をしました。
ですが、全て否定され、ただの正論を言われ終わりました。友達を大切にしろ、母のことも少しは分かってやれ、甘ったれんな。
そして兄が怖いものとしか思えなくなりました。
家には相変わらず母の彼氏がいて、2人が楽しそうにテレビを見て、一緒に寝て、それを聞いて見たりしているのが辛くて、気持ち悪くて。
兄は私に厳しくしようといつも怖くて。
学校には悪口言われるのが怖くて。
もう何もかもが怖くて仕方がありませんでした。
中学二年生になった頃には全く学校に行けなくて、部屋に引きこもっていました。
それでも私には演劇がありました。
演じることが楽しくて、こんな汚い自分じゃなくて物語の誰かになれるのが楽しくて仕方がありませんでした。
だから中学三年生の頃は部活だけでも頑張ろうと少しずつ学校に行っていました。
部活の大会も終わった頃にはもう、学校に行けなくなっていました。
高校ももういいやと思っていて、それでも担任の先生が頑張ろう!って家まできて応援してくれたので、私立も公立も受験することができました。全く勉強をしてこなかった私ですが、なんとかどちらとも合格しました。
私の事を知ってる人がいない高校に行きたかったため、バスで1時間ほどかかる公立のほうに行くことにしました。これから変わるんだと、決心しました。
高校一年生。私は今度は誰も信用しない、上辺で生きようと決めました。そして元々人数の少ない高校でしたが、同級生全員と仲良くなることが出来ました。みんなと笑いあって、大会に出たり、司会をやらせて貰ったり、部活を作ろうとして、みんなが参加してくれたり、とても楽しくて、かわれたんだと思っていました。
でも、やっぱりここにもいじめはありました。
私は両者の相談を聞いて、何とかならないかと試行錯誤して、解決はしました。でもまた別のいじめが始まり、また相談を受ける、そして解決する、その繰り返しでした。
先生にも期待を寄せられ、同級生にも、期待を寄せられ、辛くても、苦しくても笑って、もう訳が分からなくなっていました。
そして学校もまた行けなくなって、留年間際で、母に、あんたはまたなんでそうなの。困らせないで。と怒られて泣かれました。
だから私は留年しないようにと先生方が用意してくれたプリントを何とか終わらせ、無事進級しました。
私の意見はいらない。迷惑かけちゃダメ。大丈夫って私は頑張りました。
高校2年になって、最初の方は学校に行けていましたが、やはり、無理矢理持ち上げた気持ちだけじゃやっていけませんでした。また引きこもるようになりました。
バイトもしていましたが、もう全てどうでもいいと感じました。
私は遺書を書きました。
今度こそしんでやろうと。
薬を飲んで死のうとしましたが、薬全て飲みきることが出来ず、結局生きて、体調不良と、薬へのトラウマだけが残りました。
もう生きられない、でも死ねない、辛くて仕方がない。
兄とまた話す機会がありました。
私は全てを話しました。自殺未遂をしたと。
もうそこまで来ているんだよと。
それから兄の接し方が変わりました。
嬉しかった、でも本当に死んでいたらどうしたんだろうとずっと考えています。
遺書も見せました。
家族全員が変わりました。
その後私は精神科にいき、抑うつ状態、適応障害だと告げられました。
学校も辞めることになり、通信に行く。
頑張らなきゃとバイトを沢山入れました。
そこでまた私は、ダメになりました。
ストレスが溜まり体調不良が悪化しました。
バイトも行けていません。
死にたくて仕方がありません。
でも死ぬのが怖い。死ぬ勇気がほしい。
助けて欲しい。でも迷惑をかけたくない。
家族は普通なのに私だけこうなったのはどうして。普通になりたい。まともに生きたい。生きていたくない。縋りたい、縋ったらダメ。
沢山迷惑をかけてごめんなさい。沢山人に甘えて楽して生きてごめんなさい。ごめんなさい。
家族の憎しみ全てが消えたわけじゃない。でも沢山の迷惑をかけた。本当にごめんなさい。
長文失礼しました。言葉もばらばらで何を伝えたいのかよく分からないと思います。正直私もわかりません。どうしたらいいのわかりません。
ただ、普通の家族団欒があって、普通に学校行って、普通がしたかった。
もう、わからないです。
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けい
π- 2019-11-04 02:20
私はあなたのような経験はありません。あなたのような辛い過去はありません。だからあなたにとって腹の立つような言い方になるかもしれません。ですが、これから言うことは全て心の底から思ったことです。
とは言っても私は自分の心がわかりません。誰かを傷つけまいと優しい偽善の言葉を言いたくないのに言ってしまいます。そんな奴に言われても嫌かもしれませんが……
まず、
辛かったと思います。私なんかより苦しい過去だと思います。よく今まで耐えていたと思います。辛かったですよね。苦しかったですよね。きっと痛くて怖くて泣きたくなったと思います。私でそうなんですから。違ったらごめんなさい……
私も死にたいと思っています。でもあなたと同様、死ぬ勇気がないんです。死ねない。死にたいのに。死ねない。だからこそあなたはすごいと思いました。私には薬を飲む勇気も、遺書を書くことも出来ませんでした。だから、凄いです。とても凄い。
心無いことですよね。……すみません。
私にはあなたに何か励ましが言えるとは思ってません。私ならとっくに壊れていたから。だから凄い。としか言えません。力になれずすみません。あなたは誰よりも心が強いと思いました。そんな辛い過去があったのなら、誰よりも強いと思いました。強くないと思うのなら、それでいいです。あなたは強くないです。でも。少なからず私にはとても強くてすごい人に見えます。
本当にホントのことを言います。これは本当に私の本心だと信じて言います。……書きます。
死んで欲しくない。とてもすごい人だと思ったから死んで欲しくない。生きて欲しい。あなたは最低でも、約立たずでも、クズでもゴミでもない。少なくとも私には。だから……死ぬのは勿体ないと思いました。ごめんなさい……これ程最低な言葉はないですよね。それは私も知っています。私も嫌です……ごめんなさい。ごめんなさい。
私はきっとあなたよりも年下でまだまだなのでしょう。年下からのアドバイス程イラつくものはないでしょう。なので、私の思ったことを言いました。
すみません言葉がぐちゃぐちゃで。
最後に最低なことを言ってしまって。でも嘘ではないことだけは信じてください。
……コメントって初めてでこんな最低なことを言っていいのか分かりませんが……どうか幸せに。