こんにちは 相談というよりは 自己分析だと思います
私は初めての場所に 一人で出向く事に 強い抵抗感 恐怖感がある
人間不信
団体に属する事への 不信 恐怖感というのが強い部分があること
病院への不信
それは何故なのかというのを 分析したいと思います
まず 最初に一人でどこかに 知らない場所に出向くのが怖いのは
幼稚園の頃に 職員に 唯わけのわからない事を怒鳴られて
部屋から出してもらえなかった記憶
知らない部屋に閉じ込められて
どうでもいいといった感じで 一人解放されたので
幼稚園の知らない廊下を ただただ さまよっていた記憶がある。
それが外出への 恐怖の一つではないか?
あとは 移動するのが身体障害で 当時杖をついていたために 行動が苦痛だったというのもあると思います
こんな事は 一度や二度ではなく 学生の頃 繰り返されていました
また 外に出れば 杖を付いている子供が珍しく 好奇な目 または後を付かれるという事が多発した事もあるでしょう
あとは 団体に属する事への不安について
やはり 私が身体障害であることで 団体で行動する組織に属すと
同じようにしなければいけないから手伝ってもらわないといけない部分がある
本当はそれ自体が苦痛でも そうしてもらわないといけない
精一杯ありがとうといわなければいけない それの全てが苦痛だった
また 障害があることで 私に対する特別な処置を取ってもらわなければならなかった
それが 非難を浴びた経験
また 自分の障害があることで 貴方は普通の体ではない
ということを しらしめられるような 精神的苦痛を 繰り返した。
体育の時間に 仲間はずれにされる事 普通に運動する事は困難である事など。
人間に対する不信というのは
療育施設で 虐待行為を行なった職員
幼稚園の頃に 軟禁のような事をして ただただ 悪い事もしてないのに
怒鳴った職員達。
両親による 持続的なヒステリーや否定 暴力行為
人からしりたげられた経験。
教師達が めんどくさい生徒 という風に見てきたことや セクハラ行為
医者に対する不信感というのは 大した説明もなく 専門性もなく
大掛かりな手術を これまで2度行なって 後遺症が起こったこと
こういう 苦痛が 繰り返されたという事に
防衛反応として 同じ事を繰り返したくない という気持ちから
拒否反応が出ているのでは? と感じるのです。
なので こういった苦痛が繰り返されないと
自分で区別する必要があるのかなと思いました。
今日はきついのでここまでにしたいと思います
ありがとうございました
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イリス
π- 2019-11-25 18:31
できない事などを頼みたくても出来ないから 一人でやろうとして失敗する
たとえば 杖を付きながら物を持って移動させる事ができずに とりあえず叱られる
出来ない子 というレッテルを張られた気がする
あとは療育施設等々の 飲食の強要
小食な私は 全部食べられない飲めないと 激怒された
小学生の時の給食の時間に 完食習慣というのがあって みんなが見ている中で 全部食べるようにコールされる。
母親は外では過干渉な母親なのだが 少しでも何かを相談しただけで
全部お前が悪いといわれる
母親に誉められた経験がない 会話が成り立たないヒステリーで
父親も同じような感じだった
ただただいつも誰かの目があった
いつも見られていた
それが いつも苦痛だった
フラッシュバックが酷いからそれを解消するために書いている
でも親はそれを理解してくれずに 攻め立てる
イリス
π- 2019-11-26 15:39
実際そういう側面はあった
ただ それは実際は 母親のいうことを聞く言いなり的な過干渉であった
表から見れば 中がいい親子に見えたかもしれない
だけどそれは私が演じていただけだ 外の時だけ
じゃないと 何をするか分からない母だから
毎日母はヒステリーだった 私は自分の事を話すだけでキレた
話は盗み聞き もう耐えられなかった
失敗作だの 捨ててくるだの 散々罵った挙句 殴った 蹴った
父親のいないところで。
父は姉を殴る 家具にやつ当たってぼこぼこだった
父は母に暴言を吐く それが全部私にやってきた
私を支配する事で母は存在意義を見出したかった
父は酒乱で 人格障害の気があった 母もおかしかった
家族みんなおかしくなっていった
父も母も会話が通じない
私が他のところを面接したい
身体障害での車の運転免許は取れないかもしれない
そういうと人格を否定するような言葉を投げつける そんな母だった
母はとても視野が狭く 人と自分が感覚の誤差がある事を理解できてない節がある
他人をほめられないのは 自分がほめられた経験が無いから
私が怪我をしても 病院に連れて行かず 罵ったのは 自分が親に適切な処置をしてもらえず
親に放置された経験があるから
母親はネグレクト 父は肉体的虐待を受けた傾向がある
そういうので共依存に陥った夫婦なのだ
イリス
π- 2019-11-26 16:33
また 会話を理解するのに いちいち想像して組み立てないと理解できないとの事だった
そういった理解能力が低いのは 幼少期のコミュニケーション発達の段階 1から2 3歳ごろに
親に話しかけられる経験を持つことでコミュニケーションの発達が決まってくる
そういうときに話しかけられなかったのだろうと思う
実際母親はかなり放置状態で育ったことがうかがい知れる
鰹節を削る かんなのようなもので自分の指をかなり削ってしまったのに
肉がそがれているのに 母の母は 包帯を巻くだけだったとか
風邪で具合が悪くても 心が弱いからだと 母の父に言われたと語っている
母のは母は 全く家事ができず 物心付いた時には 自分で失敗しながら 自分でアイロンがけや
料理をしていたと話している
また まともな食事を与えてもらえなかったといっていた
母の母が勤めている カップラーメン工場の カップラーメンを食べていた
母の母は 味噌汁も作れずに ぶった切りのねぎと お湯で薄めたしょうゆ汁をだされ 幼少期の母はそれを飲んでいたという
今の時代なら 立派なネグレクトだ
お金はなかったわけじゃない
会話もなかったという
実際 まともに育った母の姉妹は 長女 私の叔母の一人だけで
他の姉妹は 自分の子供の育児放棄をして 自分の子供を里子に出している
元々まともな育児をされていないのだから 私の母が正常な母親になれるはずがないのだ
父は 自分の父親に 何かをとって欲しいといっただけで殴られたと語っている
本人が 虐待を受けていたといっていた
暴力を見たり経験した子供は感情制御が難しいように脳が変形するといわれ
学習してしまうため 暴力を振るう親になるケースは少なくない
父はその典型といえるだろう
ただ 父は 自分の母には愛されていたようで
私の父はどうしようもない暴君であり
一言で表すならば 当時の父は 独裁者という位置づけだと思っている
ただ 必ず勉強をした時 検定を取ったとき 成績優秀だった時
ほめてくれたのは 紛れもなく 父であった