私の恐怖のトリガーになっているのは

幼少期の施設での虐待行為

幼稚園での軟禁に近い行為
中学生での 尋問による軟禁行為

手術台という逃げられない状況
手術による絶対安静の状況
手術をしたことによる 療養による外出できない
状態
そして 手術は体に後遺症を残しただけで無意味だったとしる

母親が 聞き耳を立て続け 罵詈雑言を浴びせ 監視しているような長期的な状況
病院に連れて行ってもらえなかった事も。

人生における強要

手術自体も同意書はなく 急な変更 半ば強制だったのである

ここから見て分かるのは 「私は絶対に逃げられない状態」を作られており
それが 最も大きなフラッシュバックの原因であると考えた

身体障害であることから 常に注目を浴び続けてきたというのもそうかもしれない

私が一番辛かったのは中学生時代の 手術前後
絶対安静だった時期である

父のモラハラを 母は私にぶつける事で解消しようとした

ギブスをつけ トイレも自力では出来ない
痛い 長期的な激痛
寝返りも打てない

あれは 死ぬより辛かった
学校ではズル休みといわれてた

痛い 体が動かせない 母親の罵倒 父は私に死ぬんだといい リスカを繰り返す私に姉は死ねば?といった
そして私は歩けなくなった

正直 よくあれで生きていられたと 自分で思う

自殺したいと何度も思ったが そもそも体が動かせないから
思ったような自殺の仕方なんてない

首にロープを巻いたがそれくらいでは苦しいだけで自分では死ねないのだ

当時 「自分で死に方を選べる人は幸せだと思った」

罵詈雑言を浴びせる親に復讐がしたかったので 部屋に火をつけ
全部焼き払ってしまおうかと思った

苦しいけれど 私が死に 親に復習する死に方はこれしかないと。
動く場所に制限があるから それしかないと思った

でも今はそれをしなくてよかったと思う

復讐のために 自分が罪人になるなんてばかばかしいから。


私は自分の自由が縛られる場所が 人が
怖くて仕方がないのだと
これでようやく理解できた

病院の待合室
知らない店で待つ
知らない道を歩かなければならない時
集団に属する事 そして母

今日は唯それだけがいいたかった
私はフラッシュバックを 終わらせたい

手術台や 職員の軟禁 暴言 虐待 両親からの苦痛
そのフラッシュバックを終わらせたい
唯それだけのために今日は書くことにした