こんにちは
今回は相談というより、自分の心理を理解 整理するために投稿しようと思います
私は現在不安症のような症状があり療養しています。

私は生まれつき 足に障害を持っていて、幼少期の施設での虐待や教師の暴言 障害に対する理解のなさ。
自分の軽率な発言によって、生まれてしまったいじめ。
障害を軽くするために行った手術は専門性に欠け、体に合わない手術をされたために
4年ほどは痛みに苦しむ日々を送りました。 そんな、たび重なる痛みから人を信じられなくなりました。

その上私の家庭は機能不全家族でした

母は私のために社会の理不尽な対応を何度も抗議して、改善してくれましたが
(幼少期の施設での虐待によって私はノイローゼになったそうです)
仲のよさそうな親子は仮面のようなものであり、実際は母親の意見を聞かざるを得ない環境を仕立て上げられていたという状態だったと思います

母に愛情がなかったわけではなく、「母親なりの努力」があったのは事実でしょうが
母の感情と私(娘)の感情が別固体であるという事を認識できなかったことと
父親(母から見れば夫)に人格否定され続けた母は、子どもとの共依存になることで自分の価値を
見出したかった
そして、障害のある子どもを 自立させることに対する不安に駆られ孤独だったのだと思います

母は私をほめたつもりだといい、一度もほめたことなどなく
術後の後遺症で寝返りさえ打てない私を 父の愚痴と 私への罵倒で埋め尽くしていきました

父は子どものことはお前(母、父から見れば妻)に任せているといい
聞く耳を持たず、会社での愚痴、家族への人格否定を繰り返しました
時には 父が間違っていると反論すれば、ものに八つ当たり
壁や机に穴が開きました

姉は唯一父に反抗できる人物であり、平気で父の言うことを破る人間でした
姉はモラルにかけるところがあり、自分本位の行動をする困った人間でしたが
それであったとしても、姉を追い詰めて、姉を殴っていた父の姿は今も鮮明に私の記憶に残っています。
それが虐待の領域だったのかは、分かりませんが決して「いい記憶ではない」
ことは事実です

私にとって一番辛かったのは、手術後やその前からの母の過干渉でした
特に述語の後遺症で、外にでることさえ出来ない私が
家庭教師の先生に、母の愚痴を少しこぼしただけで聞き耳を立て、私に怒鳴り散らしました

私が幼稚園ぐらいの頃から、父の会社勤めていたが倒産し
母と父が目の前で喧嘩をはじめ、父が母を打ったのを、今もはっきりと覚えています
そのあたりから私たち家族は、音を立てるかのようにおかしくなっていったと思います

小学校中学年くらいの頃には 自分の軽率な発言によって
いじめが起こったため、「笑うということすら出来なくなっていた」ようです
そのあたりから「視線恐怖症」を発症し、
悪口を言われているのではないかと怯えるようになり
空想に浸る日々を送っていたら、そのときの顔がにらんでいるように見えたため
いじめが悪化してしまったり
私自身が「相手にお礼をいえなかった」という人格的な問題も複合して
自分の首を絞めていったと思います

それでも障害があるから大人には好かれなければ価値が無いと思い込み
大人には必死で愛想を振りまきました

母親からほめられた経験もなく、自分で人生を選択する機会を奪われて
自分の人格が歪んでいたことや 人や社会が無条件で嫌いだったということもあり
「人に感謝も出来ず、自分を愛することさえ出来ない」人間になってしまったと気づいたことで
「自分を嫌いになることしか出来ずに、生きてきてしまった時間がとても長かったです」

私は、母や父、姉、責任逃れする教師 周りのルーティーンのようにターゲットを変えていじめを繰り返すクラスメート達を
まるで思い通りにならずに泣き喚く、赤ん坊のようだ
と 傍観し 心のどこかで周りの人間を蔑んでいました。
自分の意思を消し去り、傍観し 我慢を繰り返し、いつしか回りの人間を全て汚く思い、蔑むことしか出来なくなっていた
どろどろの液体のような人間だったと思います

母から自分の意思を持とうと思えるまでにも、ずいぶん時間がかかりました
自分の選択を放棄して母に委ねてしまったほうが楽だ
だって、反対したらなじられるだけだから、と 現実から逃げてきた自分の弱さ
頑張らねば、誰かに認められなければ 自分の価値がないという思い込み
自分の醜さという一部だけを見て、自分を客観視できずに自分や 世間や人に失望してきた日々

私が精神疾患の症状が具現化してはじめて、自分の全てと向き合う覚悟をしたように思います。

私は「今まで人を傷つけたり、自分を嫌い続けたことで、自分を罰し続けた 自分を拒否し続けた自分」
に謝罪をする決意をしました。

高校生の頃に交際していた相手に、「君は人を傷つけたかもしれないけど、だからっていじめたりするのは間違ってる」
「どうしてそんなに自分が嫌いなんだ」と
「君は悪いところもあるけれど、いいところもあるんだよ」と そういわれたのを思い出したのです

今思えば人を傷つけたりしながら、時には誰かを助けたりしながら生きていくのは当たり前で
問題はそこから先、その過去からその痛みと向き合う事や 人生の喜びを学んだり 反省して 
その経験をいかして 生きていけるのか その自分の上を行くことが出来るか?
ということだったのだと そう思うことが出来ます。

「自分の好きも嫌いも 自分の全てを嫌いながら生きていくことは間違っていたのです」

「自分という人間は 家族でもない 一生付き合っていく ものなのに
自分の醜さも、それを背負って生きてきたという 自分の姿を
悪いところも いいところもあるのが 自分で それが人間の本質であって
長所も短所もひっくるめて自分を愛せなかったことそれもふくめて」

「別に履歴書みたいに 自分の長所なんて さがさなくったっていい
ただ辛さを背負いながら 自分の嫌なところを見つめながら
それでも生きてきたよね 頑張ったよね」

ずっと自分と一緒に生きていくんだから
そんな自分が生きていてもいいんだよね
これから悪いところや いいところをさがしたり 治したりしながら
生きていく そんな自分が生きていてもいいよね


そうやって自分を誇大評価でもなく 過小評価でもなくありのままの自分の生きてきた道筋を
愛せるようになってはじめて「自己肯定感」が誕生するのではないか
と  私は思ったのです

自分の価値は 他人からの評価で得られるものではない
なぜなら他人の評価は 時々で変動してしまうから

他人の言葉は誰かを傷つけたり、誰かの背中をそっと押してあげることぐらいしか出来ない
誰かに価値を期待するのではなく

「自分自身のありのままの 好きも嫌いも 愛せることこそが 自分の価値なのではないか」
と 私は思うのです

「自分が 変りたいと思う その 思いを抱くことこそが 自分を愛し 理想の自分に近づく大切な一歩だと私は思います」

自分を変えることができるのは、他の誰でもない 自分だけなのだから。

 親だって、私を愛していないのなら、ちゃんとご飯を食べろとか
そんなこと言うはずがないのです
だからもう 親や周りを恨むことは少なくなりました

近所の人に挨拶されるとか そんな些細なことも 幸せだと 思うことが
幸せだと 自分の周りに幸せの断片は転がっていて
それに気づく力がなかったから
物事や人の不幸で悪い側面しか見ていなかったのだと思います

誰にだって 幸せの断片は転がっている それに気づいて拾える力があるかどうかは自分次第で
世界は醜いけれど、一生連れ添っていく自分の これまでや これからの人生の道筋を愛して
自分自身を愛せるような人が一人でも増えてほしい

と思ってこの文書を書きました
そして自分の人生を見つめなをしたかったのです

これだけのことがあれば 今の私が不安障害のような症状になるのも
納得できるような気がしますが
心の病になったからこそ、自分を見つめなおし、人の痛みに寄り添いたいと思ったのかもしれません
だからこそ 誰しもが背負う人生の痛みは 人の痛みに共感できる財産にもなりえるものだと思います

もし、生きるのが嫌になってしまったら、これまでの 嫌な自分も 好きな自分も
背負って生きてきたことを 自分自身でほめてあげてください

自分を理解して 愛してあげられるのは 自分なのですから

同情がほしいわけでもなく 後ろ指を差されたかったわけでもない

私自身がこうして 自分を見つめなおしたかったのです

それが誰かに勇気を与えるきっかけになれれば幸いです

長文 乱文申し訳ありません
最後まで読んでくださった方ありがとうございました

赤裸々に書いてしまったので そのうち消しますが。
ありがとうございました