別居の実の家族(親兄弟)についての漠然とした不安で心が疲弊します。
漠然とした不安というのは介護です。
将来、まさか私が世話を?と思うと頭がグチャグチャになります。
まだ具体的な事はなにも起きてません。
それなのに起きてない事に常に苛まれます。
でも、確実にその日はくるし、
来た時は金銭、精神、体力、全ての面で地獄に落ちます。
子供の頃は地獄が当たり前でした。
また家族と親密に関わる状況が恐怖です。
大人になり、自分の幸せを得ました。
だから余計怖くて今の幸せな環境に恐怖を感じます。
恐怖から逃れる為すべて捨てて地獄に戻りたいと衝動的に思います。
常に昔のことを思い出し、心の中で家族を責め憎悪が積もる日々です。
子供の頃は、私が大人になったら地獄から救い出してあげる事が夢でした。
それ以外の夢はありませんでした。
「自分自身の夢」は見ませんでした。
大人になったら、無知と精神疾患で一般的な給料に届かない私でした。
家族を丸ごと幸せにする経済力も精神力もありません。
出来なかった言い訳をすべて家族に結びつけ心の中で罵ります。
そもそもそれが夢だった環境を嫌悪します。
地獄も家族が自業自得で作り上げた環境だと気付きました。
そして自分のうまく行かないことを心の中ですべて家族のせいにしてます。
でもこれは、家族と同じ事をしてます。
大嫌いで軽蔑するようになった家族と自分は同じ思考をするようになりました。
自分の幸せよりも家族の幸せしか考えてなかったのに、
家族にうらみつらみしかなくなり困惑します。
最近、家族に何か起きても心配もしないし悲しくもない事に気付きました。
自分に降りかかる火の粉の事しか考えてません。
そう思うようになった自分にも失望します。
情なのか愛があるのか、体面なのか、よく分かりませんが家族を完全には切れません。
お金で苦労を軽減できると思い働き始めてウン十年、切り詰めに切り詰めた節約の日々です。
働いたお金は家族の為の貯金がまず第一で贅沢や自分への投資というものができません。
家族がしっかりしてないツケをなぜ私が背負おうとするのか。
自分でもおかしいと思いますがこの思考や行動を止める事ができません。
まとまりがない長文になりすみません。
相談は、
・常に不安(起きてもいない介護)が頭から離れない
・家族を四六時中憎む気持ちを消したい
・家族が困った時に備えて大金を準備しなくてはいけない切迫感がある(精神疾患で給料が安いのに)
どうぞよろしくお願いします。
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マキ(ココオルスタッフ)
π- 2020-06-16 17:28
マキと申します^ ^
地獄と感じるほど、家庭環境か耐え難いものだったようですね。
そして救おうと思っていた家族が、実は自業自得でそうなっていたと気づいた時、今まで耐えてきたことや想いが裏切れたように感じ、ものすごく悲しかったですよね。
たしかにうまくいかないことの原因が全て家族のせいかどうかは分かりません。
しかし家庭環境の影響で、社会とうまく関われなくなってしまい辛い思いをする人達は沢山います。
実際に極端すぎる幼少期の家庭での経験は、対人関係に影響を及ぼしてしまいます。
家族をもう大切に思えないと思ったり家族のせいにしたり憎んだりするのも、仕方がないことではないでしょうか。
そしてなにより、地獄と感じるほどの思いをさせてくる人達を大切にし続けることが出来る人はいません。
なので、ご自身の今の気持ちを素直に受け止めても大丈夫なんです。
まずはそこから始めましょう。
その気持ちを抱くことは当然のことで、正しいとか間違いとかはないんです。
すこし言い方がおかしく感じるかもしれませんが、安心してその気持ちを認めてください。
将来的に起こり得るかもしれない扶養の義務について考えてしまうとのことですが、
かつて地獄のように感じていた環境でも家族を救おうと考え夢見るほど、ご自身の責任感が強かったからこそそう思えるのではないかと感じます。
そしてもともとものすごく愛情深いところもあるのだと思います。
だからこそ、家族のことを四六時中憎むほどになってしまったのではないでしょうか。
その責任感と愛情がゆえに、家族を手放すことに罪悪感を感じてしまっているように思えます。
今までご自身が出来る範囲でやれることをし、自分なりの幸せを、自分の知恵と行動力であなたは得ています。
手放すべきはどちらかは、すでにご自身で分かっていることと思います。
罪悪感を受け入れて今の幸せを守りながら生きるのか、それとも地獄に戻るのか。
自分が大切にしたいと思えるものを守ればいいです。
あなたの人生はあなただけのものです。
もう十分に家族のことを考え頑張ってこられました。
これからは全力で自分のために生きても良いのではないでしょうか。