新たにご相談致します。
見づらくなってしまったら申し訳ございません。

プロフィールを更新し、そこに少し触れましたが、父と母に関する事なのです。
相談が長すぎるかもしれません。
申し訳ございません。

父の父、私の祖父は先の戦争で爆弾が当たり、盲目となって帰ってきました。
それにより祖母はとても苦労したのでしょう。
厳しい家庭環境であったと思います。
しかしキツク当たってしまうこともあったようですが、愛情はありました。
祖父も、他県からお客さんが来るほど腕の良い按摩となって頑張りました。
けれど、父が祖父の様子を見守るため、「どこまで出来るか見るため」、そばで祖父の様子を窺っていたことが裏目に出ました。
周りから随分と責められることになってしまいました。
一番多感な時期にイジメられたので、未だに愚痴をこぼすほどの傷となってしまいました。
父は自分でも自己分析して「嫌な性格」だと言っていますが、自責の念が強すぎ、強すぎるがゆえに怒りっぽくなり、他人にもキツク当たってしまうのだそうです。
そして完璧主義なのです。
内攻的で完璧主義。
今では「死にたい」が口癖です。

母はより深刻です。
母は、発達障害ではないかと思われる祖父の元に生まれました。
会社で上手く振舞えず、アルコール中毒で、普段は気持ちが悪いくらい優しいのに、ふとした時にキレる人だったそうです。
実の母親は生まれてすぐに追い出され、その後祖父は複数の女性と結婚したらしいのです。
その後一番長く結婚していた女性は、とても大人しくすぐ疲れる人だったので、母には甘えるという発想はありませんでした。
生まれてから一度も甘えることが出来なかったのだと思います。
岡田尊司先生の言う「愛着障害」、そのものズバリの問題を抱えて生まれてきたと思われます。
成長し、祖父を恨み、男性が嫌いになってしまいました。
しかし同時に男性に対して極端な理想も持っていたのではないかと思います。
結婚後、母は、とても弱い癖に自己の主張を押し通す、興奮して激すると止まらない、そのスタイルで父と接します。
夫婦喧嘩で包丁を持ち出して追いかける、そんな母を見て父はどう思ったでしょう。
ここで全てを書くことは不可能です。
しかし我が家はいつも暗く不幸でした。
母の生家を見て父は驚いたと言います。
そして、始めのうちは、全くの世間知らずの母に色々と教えました。
しかし弱くて逆説的にプライドが高い母は、馬鹿にされたと思ったのか、それも喧嘩の種になったようです。
いつからか父と母はかみ合わなくなっていきました。
しかし、とても愛しにくい母を、父は父なりに愛しています。
母は父を嫌ってはいません。
ただ怖がっています。
やがて妄想が激しくなり、措置入院などで統合失調症と診断されました。
投与された薬の所為か、大人しくなりましたが、同時に自信を全て失ってしまいました。
ただ「死にたい」と言います。
「不幸で良い」と言います。

父はまだ自分の人生を引き受け、生きる意志があります。
ただ家族の不幸せを見て、絶望しているだけです。
しかし母は生まれ持っての環境のために、幸せという概念自体を知らないのです。
そしてその環境から作られた性格の為に、不幸になる考え方しか知らないのです。

私は母にどう接して行ったらいいのでしょう。
母を変えるのは不可能だと分かっています。
しかし、一緒にいて辛いのです。
ダメな親ですが、それでも愛しています。
不幸せな親を見て、切なくなります。
少しでも「生まれてきて良かった」と思わせてあげたいのです。
それがどうしてこんなに難しいのでしょうか。
距離をとって、傍観するのも違うと思うのです。
私に出来る事は一緒に苦しむことだけなのでしょうか?