今、全日制の私立高校に通っている高校2年生です。今は学校に行けていません。1年生の時も何度か学校に行けなくなりましたが、2年生からまた頑張ろうと思って2年生をスタートしました。私は学校に行かないといけないということは頭では分かっているけど、学校に行くことは出来ていません。誰にも相談したことがないので少し長くなるし文章がよくわからなくなると思うけど、誰かに聞いて欲しいのでここに書きたいと思います。
私は電車も通っていない田舎の方から市内の私立高校に進学したので、寮に入る予定でしたが電車で通える距離のところに叔母(夫婦)が住んでいたのでそこから通わせてもらうことになりました。そこでの生活が始まってからすぐの頃はとても楽しかったです。夕課外や部活などで家に帰れるのは早くて7時半でした。通学にやや時間がかかるので始めは何も言われませんでした。でもある時、義叔父が私のお母さんに「毎日遅くに帰ってくる。全然喋らないから分からない。」とLINEが届きました。義叔父は船の仕事をしていてあまり家にはいませんでしたが、よく叔母と喧嘩をしていてとても怖い印象だったのであまり喋れていなかったし、私は特進コースで勉強時間を確保したかったのであまりリビングには居れませんでした。しばらくして、義叔父が船から帰ってきている時私が家に帰っていつものようにただいまと言っても何も返してくれなくなりました。それからほとんど無視をされるようになりました。すごく辛かったです。叔母とはお弁当を作ってもらう約束をしていました。初めの頃はすごく丁寧にお弁当を作ってくれていました。でも、日が経つにつれてお弁当がなくなっていきました。朝課外のため、朝は5時半に家を出ていたし、帰りも遅く課題などがあるため自分でお弁当を作る時間はありませんでした。初めの頃は売店でパンを買っていたけれど、お小遣いもすぐ無くなり、小さなタッパーの冷凍ご飯をチンしてそのままそれだけを持っていったことも沢山ありました。ご飯はお友達と食べていたけれど自分だけ白ご飯のみなのがとても恥ずかしかったです。叔母の家を出て、また違う叔母の所に移ることにしました。家に荷物を取りに行って、帰ろうとしていた頃、叔母が強い口調で、「なんか言うことないの?」や、「うちでこんなんなのにまた同じこと繰り返すの?すごいね。」と言われました。当たり前ですがこんな経験は今までしたことが無かったのでその時の叔母の表情や無視をされていた時の生活がいつまでも忘れられず今でも夢で見ることがあります。私は人を心から信用することが出来なくなりました。次第に電車に乗る時はイヤホンをしないと乗れなくなったり教室に長時間いることが辛くなり学校に行けなくなってしまいました。
春休みのうちにしばらく休んで、2年生がスタートする。ということをきっかけにして私は久しぶりに学校に行きました。やはり周りの声や視線はとても嫌で毎休み時間にトイレに逃げるように入っていました。それでも頑張って学校に行っていました。2週間ほど学校に通って、委員会を決める機会がありました。自分はジャンケンで負けてしまって、誰もやりたがらない体育委員会になりました。担任の先生は1年生の時とおなじ先生で、その先生が、「体育委員会で大丈夫?」と聞いてくれましたが、どうせ変わってくれる人はいないと思って、「大丈夫です」と答えました。すると、担任の先生が「また学校休むとかやめてよね。」と言ってきました。周りのみんなはクスクスと笑っていました。私はもう無理だなと思いました。なんのために頑張って2週間も学校に行ったのかがわからなくなりました。もう同じ学校にはもどりたくありません。母には通信制高校への編入を相談していますが、反応はイマイチです。数日後に担任の先生と母と学年主任の先生と4人で面談の予定が入っているのですが、担任の先生には会いたくありませんし、学年主任の先生にいたっては、話をしたこともないので話せる自信がないというか、話をしたくないです。編入するために自分が先生と話をすることはとても重要な事だとは分かっていますが自分はそれに出たくはありません。
長くなってしまって申し訳ないのですが、やはりそのような面談には必ず出ないと行けないのでしょうか。