感情爆発により物品破壊が行われた後のメンタルリカバリーについて

先日、パートナーがネットゲームにて非常に理不尽な目に遭った結果、怒りが爆発して物品を破壊してしまいました。
壊した物品は私のテレビです。
パートナーは、床に自分の私物であるコントローラーをぶん投げた結果、私のテレビにバウンドして、画面損壊しました。

そのことそのものは私は構わないと考えてます。
しかし、パートナーは自分の感情を爆発させてしまったことで、自分自身にいたく傷ついてしまったようで(そりゃそうだとは思います)、とても落ち込んでます。

その後、パートナーは4日ほどそのキッカケとなったゲームから離れているようなのですが、先程「遊んでもいい?」と恐る恐る訪ねてきました。
そこで私は思わず「あの時、感情爆発してとても辛かったみたいだけど大丈夫?」と訪ねました。
そこで私は、構わないけど、また爆発したりしない?
一度、何かしらノートとかに、不安とか怒りとか書き出してみては? などの提案をしてみました。
そうしたら、「結局自由なんてない」「縛られてる」「私の父親と同じ、いいこと言ってる風だけど、やるなってことでしょ」と、泣き出しました。
そうではないし、縛るつもりもないし、ただただ感情爆発の辛さや怖さや不安とどう付き合っていったらいいか一緒に考えませんか、というメッセージだったのに、そんな風に解釈されるのは、なんだか、愛を信じてもらえてないというか、縛るか縛られる、自由か不自由か、の二項対立でしか判断されてないのが、私はとても辛いです。

感情爆発をしてしまったパートナーの後悔を、また引き起こさないように、己を守る武器や鎧を一緒に考えようとしたいだけなのに、どうして縛る事になるのでしょうか。

対等な立場で話してないということでしょうか。

私が一方的な保護者のような形になってしまってるということでしょうか。

ただただ、一緒に悩むために提案したのに、否定ととられるのは辛いです。
どんなコミュニケーションがありうるのでしょうか。

対人支援的や福祉的な形を目指すのがいいのでしょうか。

答えは無いとは思いますが、どうして感情爆発させてしまって後悔してる人に寄り添おうとして、失敗するのでしょうか。

もしくはネットゲームに依存してるのでしょうか?
感情コントロールを一緒に取り組みたいというだけなのに。
それとも、それがとても困難で、自分には不可能だとパートナーは思っているのでしょうか。

書かなきゃいられなかったので、乱文失礼しました。