本音について

私は自分の本音を隠してきた。
誰にでもある事ながら、私に至っては度を越していた。
他人と違うことは薄々勘付いていてそれでも
懐疑心は肥るばかり、本音を隠しながら
新しい自分を造り上げていくのは難しいことだった。
自分と他人を騙り続ける。
理想的で、都合の良い誰かを演出する
良い人を演じるのは 思いの外楽しかった。

友人関係と恋人関係を、愛憎入り混じった理屈と本音で関係を破壊しながら自分の尺度でモノを語る。

私が今までやってきた
"自我を無理矢理、捨てさせる自己抑圧"
"ただ正しいことと我儘を押し付ける本能に従った獣のような蛮行"

私は改めて、自分が如何に ヒトという存在と
歩むに値しない悪人であることを思い知らされた

「これは罰だ。」「俺の何が間違ってんだ!」
他人の違うことを知り、他人を理解しないまま
自分を切り売りしながら生きる
私にとっての日常。私にとっての普通。

ここに この理解に至るまであらゆる痛みを
飲んできた。味わい苦しみ、嗤ってきた。

片想いや恋心は この世で最も不要なものだ
何度も何度も振り回される。
儚さなど 尊さなど 風呂に浮かぶ身体の垢のように 酷たらしくそして鮮明に残り続ける。

人が慈しみ、想い分かち合うモノを私は
独りで 何度も傷口に沁みるように浴びてきた。
立ち上がる度に、現実が 人生が
私に無駄だと 問いかけてくる。

ずたぼろになりながら、何もかもに憂い
羨み 求め 愛し 渇きを 本能に従って
前を歩き続けた。 ゾンビのように

上手く取り繕う毎に、自分が遠のいていくことは
私自身が理解していた。
自分らしくあることを放棄して、夢を見る事を
選んでしまった。
他人になりきって、人と話し合い楽しみ 分かち合う。 健全で良い事だ
渇いて剥がれて、肉から骨が垣間見えそうになるような脆い精神状態をモルヒネのように
楽しいという本音で誤魔化す。

皮肉なことに、私は他人のフリが上手く、楽しいことが大好きな "良い人" なので

だから だから… ああ 人に良くしよう?
えっと なんだったか もう忘れてしまった。

徐々にこうして、言いたいことがわからなくなる
忘れていく、薄れていく。
私の本音は散り散りに明日へと流れていく

私の悩みなど、大差ないのかもしれないな
私の痛みなど虚しく 誰にも 理解されないのだろうな。