独り言みたいになってしまってすみません。
でも、先日やっと一人、信頼できる人に事実をいうことができて、(それでも半分くらい嘘でかためてしまいましたが)
そのとき心が一時的にでしたがとてもすっきりして、安売りのカップめんもいつもよりおいしく食べられて嬉しかったです。
いまはまだ、これ以上現実の誰かに相談しようと思える状況ではないのですが、吐き出して少しすっきりしたくて身勝手ながら、こちらに書きます。
返信は、ぜひほかの方を優先していただきたいです。

端的にいうと家出してしまい、今は大阪のネットカフェやゲストハウスを点々としつつ、日中は即日払いのティッシュ配りのバイトや軽作業の派遣バイトをしています。
はじめは、趣味のために貯めていたお金でやりくりしていたのですが、三週間半を過ぎたあたりで底をつき、親が振り込んでくれているらしいお金を必要な時は少しずつおろして使っています。
親には都会にいて、犯罪などに巻き込まれたわけではなく、風俗にいるわけでもない、という連絡だけはしました。心配してくれているのとか、怒っているのとか、伝わってきます。申し訳ないですし、いますぐにでも帰ろうかという気持ちにもなります。でも同時に、こんな私など家にいないほうがいいのではないか、しんだことにされたほうがマシではないか、あるいは、本当に心配しているのか、私が何か犯罪などをして親として恥をかくことやさらにお金がかかることを気にしているから「帰って来い」といっているだけなのではないか、という考えがぐるぐるして、きちんと説明しなければと思いながらも、言葉が出てこず、電話やメールをしようとすると涙が止まらなくて思考停止して結局何もできません。こわくて電話にも出られません。
大阪に住んでいる友達も何人か顔は浮かびまずが、連絡したとたん親に情報が行って家に強制的に連れ戻されるのではないかということや、友達にも迷惑をかけてしまうのではないか、そもそも数年間会っておらずろくに連絡もとっていないような人間が家出して困っているところで、今はみんな忙しい時期なのだから構っている暇などないのでは、など、考えがぐるぐると回り、考えるたびに疲れています。

嘘やごまかしをする自分、薄っぺらな人当たりの良さしかとりえのない自分、やらなければいけないことから逃げる自分、それでも家に帰るのが怖い自分、ふと考え始めると堂々めぐりになって、ネットカフェの個室や駅のトイレで涙が止まらないことがあります。
本当は帰りたい、でも、帰ってもどうしたらいいのかわかりません。家に帰り、学校に戻り、バイト先に戻り、放り投げてしまったものすべて迷惑かけてしまった人すべてに謝罪し、苦しくて限界だったから逃げ出したのにさらに努力して努力して結果を残して認めてもらってもなお、私が一度放り投げた事実は帳消しにはなりません。それなのに、もし結果を残せなかったら?そもそもまた努力できなかったら?今度はいったいどこに逃げだすのでしょうか。とてもこわいです。
これから家にもどっても、戻らなくても、私は一生、逃げ出した自分を恨み、恥ずかしく思います。それに加えて一度挫折したものへさらに立ち向かうことは、今の私には怖くてとてもできません。

今月末から、食事つきの住み込みのバイトが決まったので、衣食住の困らず、またお金を今よりもずっと稼げる生活が決まりました。自分にやっていけるのかどうかはかなり不安ですが、それでも、このままネットカフェや深夜の飲食店を点々とするより、駅のトイレで仮眠をとるよりも、前へ進めると思ったからです。家には帰れない、という気持ちが皮肉ながら私を生かしているような気がします。
これは常識的に考えていけないことだなとは思います。でも、私は、家に帰る気持ちになれないのです。家に帰ったら、もちろん怒られることもいやですし、それからどう生きるにしてもやらなければいけないこと、片付けなければならないことがたくさんあります。祖父にはきっと嫌味も言われます。でもそれ以上にこわいのは、またその状況でもがんばれない自分、素直になれないであろう自分です。私は22年間も、大好きな両親や親友にすら、悩みを真正面から相談したことがありません。周りの人たちがするようなちょっとしたことの悩みは、自分の中で押し殺すようにどうしてもなってしまいますし、どうしても自分で処理しきれない悩みがあるときは、一部分だけを当時の恋人やSNS上の友達に打ち明けるか、またはある程度解決してから友人に笑い話として話していました。だから、悩みの相談の仕方がわからないのです。そこでまた悩んでしまうので、なるべく人前では元気でいるように心がけています。でもこの状況はつらいです。

数年前、よく眠れず、情緒不安定な状況が続いたため、三か月ほど、精神科に通ったこともあります。でも、せっかくの診察時間も、涙が止まらずたいていはパニックになって終ってしまい、薬も効く感じがあまりしなくて、通うのをやめてしまいました。先生はいい人だったと思いますし、受付のおばさんは少し癖のあるひとでしたが親切な人でした。近所にあって清潔で予約の時間だってたいてい守られていて、いいところでした。でも、私はそんないいところでもまともに自分の不調すらうまく説明できずに、時間と親からもらった診察代とお薬代を無駄にしてしまっている、そんなことが気になって気になって、診察が終わって家に帰ってもずっと泣いていたこともあります。
そのうち、個室で一対一で話すということが非常にこわくなりました。病院に通う数年前、誘拐されそうになったことがあり警察にお世話になりました。そのとき三日間ほど、事情聴取のために警察に通いました。状況、相手はどんな顔だったか、どんな車か、その日の私の行動は、性的な乱暴はなかったか、などで、私のスマホも一度あずかられました。それから嘘をつかないように真実をいうようにという意識や、返答にまごつかないようにすることに強迫観念のようなものを抱いてしまい、精神科のときもよく警察の取り調べのことを思い出していました。
学校の先生と話すときやバイト先の店長と話すとき、就活の面接練習などでも同様になってきてしまい、どんどん話せなくなりました。嘘をついてはいけないからです。でも、同時に、返答にまごつくと、私のせいで貴重な時間が奪われてしまうのです。警察の人たちは税金を使って調査してくださいました。怪我もなく性的暴力も受けず、なんともなかったのに、私がその程度で110番なんてしてしまったせいで何台かのパトカーが動いて十何人もの人が深夜に駆けつけてあげくなんともないのです、私がグズだから犯人の特徴や車のナンバーだってよく見てないし、私がもっとしっかりしているか、あるいは殺されてしまっていていればよかったのにと思います。
もちろんこれは馬鹿な考え方なのはわかるのですが、でも考え出したらこうなってしまうのです、とまりません。

自分の過去の行いや過ちを知る人と関わることが本当に恐ろしくてかないません。これは困っていることです。家に戻るにしても戻らないにしても、こんなにも自分を知られたり自分と距離を詰めてこようとする人が恐ろしく、また他人からの評価がいやでも気になってしまうことは、これからも毎日私の生きるうえでの障害となっていくと思うのです。何かアドバイスがありましたらお聞きしたいです。
人には「気が利く」と言われることが割とあります。でもそれは、他人の評価を気にして自分のためにやっている行動の結果なんだと思います。自慢したがりの人が自慢したり、話好きな人がおしゃべりするのと同じで、自分の満足のために他人に気を配っているだけです。こんな薄汚い感情だということをだれかに知られるのもまた、こわいです。