初めて相談させて頂きます。
私は今年36歳になる独身(女)の派遣社員で、両親と五歳下の弟と一緒に暮らしています。
最近になって、この家族といると、自分の人生が辛くなる一方のような気がするんです。

両親は私を素直で快活で友人の多い人間に育てたかったのだと思います。
「優しさには優しさが返ってきて、意地悪には意地悪が返ってくる」
「媚びを売ったり、だましたりして自分を守るのは良くないこと」
「友達はたくさん作って、みんなと仲良くする」
そんな内容の事を聞かされながら、私は育ちました。
けれども、私はそうなれませんでした。

まず、小学校3年から中学校3年までの間、無視やからかい、暴力等のいじめを受けました。
両親に「やりかえせ」「強くなれ」と言われましたが、無理でした。
母に至っては、小学校5年生だった私が「お母さんは相談に乗ってくれない」と嘆くと、
「自分の事は自分でやれって言いたいだけなのに」と泣き崩れました。
この時の事は、今でも心の傷になっています。
「強くなかったせいで、母に拒絶されてしまった」「誰も私を助けてくれない」という深い傷です。

いじめをやり過ごすには、いじめっ子達に媚びへつらうしかありませんでした。
いじめっ子達の気に障るような目立つ真似は避け、何をされても服従していれば、むこうはそれ以上の攻撃をしません。
やがて、仲良しグループのようなものにも入れてもらいましたが、そこでも目立てば「ブスのくせに」と罵られるので、おとなしくしていました。
自分の意見を示せば仲間外れの可能性もあったので、グループ内の意見には常に従わなければなりません。
心の中で舌を出しながら、媚びへつらう姿を知られたら、両親は嫌がるだろうと自覚していたので、それが表に出ないように気を付けました。

その後、高校大学と、私はせっせと友達を作りました。
友人が多ければ多い程、両親は喜びますし、私も大勢の人から認められているようで嬉しかったんです。
けれども、それは裏を返せば気遣いの連続でした。
一度、親しくなったら、その人の機嫌を損ねまいと、気を遣い続けなければいけません。
しかも、それだけ気を遣っているにも関わらず、友人は何年か経てば離れていきます。
あれだけ気配りをしたにも関わらず離れていく友人に私は心の中で「恩知らず」と怒る反面、「私に至らない所があるからだな」と落ち込んでいました。
それが小さい頃から両親にかけられていた言葉だと気付いたのは、つい最近です。
自分が何か酷い事をされて傷付くのは、自分がそうされるような事をしたから、自分の心がけが悪いからだと言われて育ってきたのだと、最近になって自覚しました。

大学卒業時に就職活動に失敗してしまい、私は派遣社員になりました。
学生時代から付き合っていた恋人とも交際8年で別れて以来、結婚どころか恋愛もしていません。
両親は「お前の人生なんだから、お前の好きにすればいい」と言います。
体の不自由な弟の世話や将来の自分達の介護をしてもらう為にも、私に実家にいて欲しいようです。
私自身も派遣社員の給料で一人暮らしが難しいし、何の取り柄もない自分と結婚する物好きもいないだろうと思い、実家で暮らしてきました。

けれども、この年になって、自分が他の人より感情表現が上手くできない事に気付きました。
というより、笑いたい時に笑うと、楽しいのだという事に、最近、気付きました。
私の父は感情を露にされるのが嫌らしく、喜怒哀楽を表現するとからかい、後々、話題に出して馬鹿にしたりするので、私は基本的に無表情です。
すると、今度は「可愛げがない」と愚痴りだしたのですが、感情を表に出さないといじめっ子もつまらなくて寄ってこない事もあり、そのまま大人になりました。
そんな私だったんですが、何かとノリの良い友人に付き合って遊んでいるうちに、自然に笑うようになったんです。
「ああ、楽しいなあ。どうして、こんな単純な事に気付かなかったんだろう」と疑問に思って過去を洗ってみたら、結局のところ、育ちの問題だったという事に気付きました。

両親の私に対する接し方に疑問を抱き始めたら、過去の様々な事が頭によみがえってきました。
「人に媚びるな。素直でいろ」と言っておきながら、私が親の意見に反論したら頭ごなしに叱った事。
両親の意見はコロコロ変わるので、私はそれに合わせた言動をしなければならなかった事。
「お前の人生なんだから好きなようにすればいい」と言っておきながら、酔うと私の不安定な身分や独身である事について愚痴る事。
他にも挙げるとキリのない矛盾が、はっきりと見えてきました。

今まで、自分は一生実家にいて、障害のある弟の世話をし、両親の介護をするのだと思っていました。
とはいえ、派遣社員で収入もなく体力もない私に、三人の介護が無理だという自覚もありました。
その為、三人の介護が厳しくなったら、私が人目につくように自殺をして、三人を福祉の手に委ねるつもりでした。
私は両親の望むような明るく快活な人間に育たず、暗くひねくれた人間になりました。
家族の暮らしを支えるだけのお金も稼げず、稼いでくるような男性とも結婚できず、両親に孫を抱かせてあげる事もできませんでした。
こんなクズに等しい人間に育って両親の半生を台無しにしてしまったのだから、死んで詫びるのが当たり前だと覚悟を決めていたんです。
けれども、両親が私に与えてきた矛盾と、それによって傷ついてきた事に気付くと、「何故、私が死ななければならないの?」と思わずにはいられなくなりました。

私は両親に愛されたくて、随分、頑張ってきました。
障害のある弟の世話も、小さい頃から一生懸命やって、常に気を配ってきました。
それだけ頑張った私に、それ相応の愛情が注がれたとは思えません。
そのままの自分を認めてもらえず、必死に表面を取り繕ってきたのが現実です。

何だか、全てがバカバカしくなったので、両親とまともに口をきくのをやめてしまいました。
両親が口げんかをしそうになっても間に入ってなだめるような事もしなくなったので、両親はしょっちゅう喧嘩をしています。
それに弟が怯えているのも分かるのですが、もう、それすらもどうでも良いと思いました。
今、私が必死になっているのは、普段使うお金を切り詰めて、クレジットカードのリボ払いと奨学金の返済を早く済ませる事です。
全ての借金をなくしたらお金を貯めて、家を出る事にしたからです。
今の収入では確実にワーキングプアなのですが、それでも、この家にいるよりはマシだというのが今の考えです。
家族には家を出る話をしていません。
引っ越し先を決めてから話して、できれば行先を告げずに引っ越したいと思っています。
要は絶縁をするという事です。

こちらのサイトの毒親判定では高確率で毒親という結果が出ました。
その結果に私も納得しています。
その反面、毒親とはいえ老いつつある両親と、体の不自由な弟を捨てて家を出る自分は人でなしかなとも思っています。
やはり、私はどうしようもない人でなしなのでしょうか?