20代中盤にもなって、ようやく生き辛さの原因がわかりました。

医者の父親を持つ私とその家族は、5才の時に田舎の社宅のような家から、クリニックと一つになった家に引っ越しました。

周囲にはいつも友達やその家族がいて皆でわいわい楽しく日々を過ごす生活から、突然に誰のことも知らない、しかし周りの人々は誰もが私のことを知っている(あの病院の子、という風に)という環境に置かれ、人とのつきあい方がわからなくなりました。

さらに、両親はその新しい病院を回していくのに手一杯で、次第に一人の食事が多くなっていきました。

幼稚園、小学校と学校で上手くいかず、家に帰っても仕事で疲れあまり私のことに構っていられない両親しかいない。

両親は、その環境で一応身内と言える唯一の存在だったために、反抗して見捨てられたら本当に一人になってしまうという恐怖が強く、私は二人に出来るだけストレスを与えない話し方、行動を心掛け、二人の意向に沿うように必死に頑張りました(おかげで「手の掛からない子だった」と今でも言われます。必死に頑張った結果なんですけど)。

そうして二人の意向に沿うように生きてきた結果、ついに二人は私の意識をないがしろにするようになっていきました。

学校でのストレスや環境のストレス、親の意向で始めた習い事のストレスについて、拙い言葉で必死に伝えようとしても、「皆そういうものだ」とか「自分ばかりが辛いと思うな」とか、

ついには「あなたは本当はそんなことを思っていない」など、考えを丸ごと否定するようなことを言われました。他にも「そんなこと言っても、楽しそうにしてるじゃない」という、子供の言葉よりも自分が見ている、思っていることの方が現実とでも言うような言葉を言われ続けました。

私の評判が病院の評判に直結すると思っていた当時、私は学校でも外を歩くだけでも常にどう見られているかどう思われているかを気にし続け、そうしてヘトヘトになって帰ったら習い事に行かされるか、両親のいない部屋で一人夕飯を食べるか、という生活を送っていました。

そうした生活が常態化した結果、中高では挙動不審さがイジメの対象になりました。それについて親に相談しようとしても、「皆そういう辛さを経て強くなる」というような返事しか帰ってきません。

親は本当に忙しかったのか、「私たちは本当に辛い思いをしている」というような言葉をいつも言っていました。

それを聞いていた私は、私自身が外面的には恵まれた環境(医者の息子、大きな家など)にいることから不満は言ってはいけないものだと思い、また辛いと感じる意識そのものが甘ったれているのだと思うようになりました。

そうして、部活も人間関係も上手くいかないまま高校を卒業し、大学に行ってもサークルでの人間関係の緊張に耐えきれず、一人で過ごすしかなくなっていきました。

不能感と自己否定感と自己嫌悪に苛まれ続け、さらにそうなった自分を責め続け、本当に限界に近づいたとき、二週間一日二十時間眠り続けるようになりました。

流石に異常だと認識した両親によってカウンセリングに行かされて、家が異常だったのではという可能性にその時にようやく思いいたりました。自分はダメかも知れないけど、そのダメになった原因は自分自身だけなのではない、という可能性です。

そうして、上記したような経緯について、客観的に辛いと言っても良いようなものだと気づいたとき、嬉しいという気持ちよりも喪失感の方が強く出てきました。

あの我慢も、努力も、何にもならない。何の価値もない。部活も友人関係もない、逃げて逃げて逃げて、怯え続けた僕は恐ろしく子供で、20代中盤にもなって人の目が怖い。

恋人も出来たことがない。何にもない奴です。
それなのに周囲の幸せそうな家族やカップルへの良いなぁという気持ちが無くならない。

20代中盤まで、何にもないまま生きてしまった私は、自信もないまま、実績も何もないまま、この後も生きていかなくちゃならないのだろうか。死んでしまった方が、両親への怒りと、その怒りを抱くことによる哀しみや辛さに苛まれることもなく楽になれるのではないだろうか。ということをどうしても考えてしまいます。

他にもこのような人はいらっしゃるのでしょうか。それとも私はやはり甘ったれなのでしょうか。