今私は大学1年生です。今から相談させて頂く話はすべて過去の話で終わった話です。

今でもなお引き摺り続ける私が可笑しいのかどうか教えてください。長文でごめんなさい。

子供の頃からピアノや箏など音楽が大好きで、中学に上がってからも吹奏楽部に入って音楽に囲まれて育ちました。

才能がある訳でも、特別上手なわけでも無いのですが、音楽が大好きで、幸せでした。

だから、高校に入っても続けようと思うのは自然な流れでした。その高校は地区の大会は毎年金賞(1番いい賞です)で、県大会には必ず行くような、地元では少し有名な高校でした。

私は直接会ったことは無いのですが、すごいインストラクターの方がいたそうで、その人のおかげで今まで記録を残せていたそうです。

私はついていけるか不安でしたが、それでもワクワクしながらその部活に入りました。

インストラクターの方は私が入学する前の年にある日突然消えてしまったそうで、私が入部する頃には学生のみで運営していました。

「高校生になると学生だけで運営できるようになるんだ!すごい!」その頃はとても期待に満ちあふれていました。

同級生とも仲良くなり、5月くらいになると特に仲良くしていた女の子が、急変しました。

俗にいう病んだ状態で、よく「俺は必要とされてない」「同級生はみんなこわい、誰とも遊びたくない」と言うようになりました。私は驚きつつも励まし続け、隣にい続けました。

しかし、だんだんと私も面倒くさいと思うようになってしまいました。その頃にはその子は部活で腫れもの扱いを受けていました。

この部活は学生主体で、幹部と呼ばれる生徒が中心となって部を運営していました。

通常の部活は生徒のストレスのぶつけ先は顧問であり大人です。しかし、この部にはその発散先が居ないので幹部という人たちはいつも矢面に立たされていました。

私はその人たちに対して「大変なのだからせめて自分くらいは負担をかけないようにしよう」と思っていました。

何故そう思ったかというと、私の学年(10人くらい)がみんな少しづつ病んでしまっていたからです。

今思うとすごく狂った空間だと思います。
そうしてコンクールが終わると、私は幹部に選ばれてしまいました。面倒くさくなく聞き分けのいい、使い勝手のいい後輩だからです。

私になにかリーダーシップがあるとか、そういうことではありません。そうだと思っています。選ばれたからには今まで以上にがんばらなければいけないと思いました。

「幹部は人前で愚痴ったりしちゃいけない」「幹部は人前で泣いたりしちゃいけない」「幹部はしっかりしてなきゃいけない」

これを言われながら、バラバラの学年をギリギリの状態でまとめ、仲の良くない2年と3年の間を取りもち、部活を運営しなければなりませんでした。

特に私は「使い勝手のいい後輩」でしたから、色んな人にいろんなことを言われていました。

それでも幹部だから笑ってないといけなかったのです。そんな環境で過ごしていくうちに私は人に本音で話すことができなくなりました。悩みを相談するなんて以ての外です。

それでも笑って、なんとか過ごしていました。
ある日、合奏中に同じく幹部である、密かに恋愛的な意味でも敬愛的な意味でも好きだった男の先輩に、「お前の性格は不快だ」と言われてしまいました。

今でもその声色顔の表情、先輩の背後の窓の外の空の色、みんなが凍りつく感じ、視界が歪む感じ、口の端が引き攣る感じが鮮明に思い出せます。「人前」でしたから私は「笑ってないといけなかった」のです。

でも、好きな人からそんなことを言われて、しかも後から詳しく聞いたら私の元来の性格の話ではなく、この部に来てから歪んだ方の性格が不快だと言っていたのです。

私はこの時「お前らのせいだ」と叫びたくて仕方ありませんでした。でも、この時この先輩は絶大な権力を持っていましたから、逆らうことは出来ず、私は私の性格が人様に対して不愉快な感情を及ぼすことを認めざるを得ませんでした。今でも、自分の性格は人様に対して不愉快な感情を及ぼすのだと思っています。

そうして1年を過ごし、2年に上がると、某中学校を全国大会まで導いた様な凄い音楽の先生が異動してきて、吹奏楽部の顧問となりました。好きだった男の先輩は部長になり、指揮を振っていましたから、その顧問の先生とはよくぶつかっていました。

その度私は両者をとり持たなければなりませんでした。同じ学年のa君は吹奏楽が大好きで、その凄い顧問に教えを請い、強くなることを望んでいました。

しかし部長の学年は部長の指揮で最後のコンクールを終えたいと望んでいました。そして、新しく入ってきた1年生たちも、大多数が部長の指揮を望みました。私は部長の指揮を望んでいましたが、中間管理職ですから、希望は言わず間を取り持っていました。

ですが、部長とその仲良しの3年生の男子2人が、遂に顧問と喧嘩し、退部しました。その時部長は私に「お前しかいない。頼んだ」と言って辞めていきました。

私は本当は部長の指揮が大好きで、部長のことが好きで、部長の吹奏楽部で音楽を続けたかったので、部長が辞めるなら私も辞めたいと考えていました。

でもそう言われてしまっては、辞めるに辞められませんでした。その時学生の中で指揮の経験があったのは、私だけでした。じゃあ頑張ろうと意気込んだ矢先、部長に彼女さんがいらっしゃることを知り、私はもう何もかもどうでも良くなりました。

ひたすら無で、意見を聞く毎日でした。
大失敗の夏のコンクールの後、部員同士の大喧嘩が起こりました。
この時私は部長でした。

つまり全ては私の責任です。
この結果部員の半数が辞めることになります。残った大半が私の学年で、私は3年生から最後の部活を奪い、1年生のこれからを奪いました。このことを私は今でも後悔し続けています。

でも誰にも相談なんて出来ません。私のせいだからです。さらに私の学年は辞めた人を憎んでいました。

余計に言いだせませんでした。
そうして苦しんでいると、同学年の男の子が、すごく支えてくれる様になりました。

a君がものすごくスパルタで、部員に厳しいことを言うたび、私はその空気を変えねばならず、胃痛に悩まされていましたが、その男の子は、無理している私に気付いて支えてくれました。部活の中に初めて相談できる人ができたのです。

その男の子とはいつしか付き合い、互いに支えあっていました。そして私は部活を辞める決意をしました。部長なのに、です。しかしか、この時私の身体や精神は限界でした。

もともと気管支が弱く喘息を患っていましたが、悪化し夜中に発作が頻発するようになり、胃は食べ物を受け付けず、微熱は続き、私はもう疲れ切っていました。

顧問と喧嘩し、失望されながらも私は部活を辞めることができました。凄い解放感でした。

男の子とはその後別れました。二股のような、浮気のような、嫌な終わり方でした。もう連絡すらとっていません。私みたいな奴にもう二度と彼氏なんて出来ないと思いました。ごめんなさい。

そうして、今も「私のせいで部活がめちゃくちゃになった」など後悔をしています。涙が出るほど辛い時もあります。集団でやる音楽が恐ろしく、出来ません。

それでも聞くのは好きだから、コンサートやライブに行きます。そうすると音楽したいって思えますが、それでも実際にやるまでには至りません。こわいのです。音楽の作品を読んでは「こんな音楽したかった」「私の何がいけなかったのだろう」と思います。

同じ学年の子に聞いても、もうそんな後悔をしてる奴はいません。
私だけなんです。みんなもうあれは嫌な思い出だったねって言って、先へ進んでいます。

私だけが、あの夏の音楽室に取り残されているのような気がします。どうしたら私は先へ進めるのでしょうか、どうしたら私はまた音楽ができるのでしょうか。私は「おかしい」のでしょうか。

長文乱文大変失礼いたしました。
お返事お待ちしております…