今や貯金で実家で暮らしてるアルコール依存症のある、41歳の男です。
大学にいる頃から飲酒量が増えて会社員時代に鬱病も持つようになり、結果、飲酒量が激増して会社員を脱落し、その後はアルコール依存の治療をしながら、専門学校生などを経て、今はフリーターとして時々働きながら、運良く得た遺産による貯金(ありがたいことではあります)を糧にしつつなんとか生活しています。
断酒9年目になりますが、その間に抗不安剤のOD、市販の風邪薬のODなどもしました。当初はかなり酷い鬱症状で、一日中寝ていたばかりで引きこもっていたし、断酒会にも所属してましたから依存症の先輩方の苛烈な人生も見聞きしており、いま同世代の周囲(普通に会社員をして働き結婚し、子もいる…)とはかけ離れた生活をしつつも、なんとか〝こんな人生もある〟という風にも考えられ、かろうじて生きながらえていました。

断酒が8年目にもなり、カウンセリングを受けていたときに小6のときの蓋をしていた記憶がふと蘇りました。それまでカウンセリングというのはその時々の不満や思いの丈をただただ吐き出す場所に過ぎませんでしたし、カウンセリングもそういうものだろうと考えていました。

カウンセリングの最中に、昔経験していながら辛い出来事に蓋をするように忘れていた記憶が蘇るというような話は本などで知識として知っていました。ですがそれは過酷な幼少期、年少期を送った人におきる、よっぽどな、特別なことだと思っていました。

それまでアルコールを断ち続けることや薬の類を異常に摂取することをなんとかしないように、そればかりを考えて、カウンセリングを受け心療内科の診察を受けていましたが、去年末頃からどこかで〝なぜ自分はアルコール依存症になったか〟を考え始めたような気がします。

カウンセリングでは、自分の絶えざる強烈な不安感、依存症やODのもとになったような不安感の源に、厳しい父親の存在があったことを訴えてばかりいたのですが、ふと母親の話を振られた時に、小6の時に母親にキスをされた記憶を思い出しました。ドラマの濃厚なラヴシーンを二人きりで見ていたあとに、されたというもので、性的なニュアンスのはっきりしたものでした。

思い出したドラマではお坊さんがラヴシーンをしており子供心に(お坊さんがそんなことをしてはいけないのではないか?)という思いが浮かんで、それがいつの間にか(母と息子がそんなことをしてはいけないのではないか?)という思いに変わり、のしかかられて脚を絡めさせられながらキスされたという記憶が蘇ってきました。〝なんというドラマだったか?〟〝いつの放送のドラマか?〟というようなことをついついネットで調べてしまい、調べていくにつれ(タイトルや放送時期、自分がその時何歳だったか、などが判明しましたが)、上記のような出来事の感触や、また嫌だと思いながら抵抗出来なかった気持ちなどが次々実感として蘇ってきた感じです。

また、同時期と思われる頃に親が漬けていた梅酒を机の下に隠して飲酒を始めたことも、思い出しました。それまで父親の横暴に対する被害者のようにも思えて、むしろ擁護する対象だった母親のことを嫌悪するようになりました。なんとなく自分がどのようにしてアルコール依存症になったか…といったことの原因が分かったようだけれど…。

実家住まいを続けざるを得ないような状況から、毎日両親には仮面を被って相対してなんとか耐えている。誰にも話すことが出来ない、…といった状況が思い出した今年2月から続き、耐えられずにとうとう最近、風邪どめシロップのODをしてしまいました(飲酒欲求がわくとそれだけはいけない、という気になり、そちらに手が出てしまいました)。

また、どこかで〝自分に都合のいい理屈〟もっと言えば〝自分に都合のいいような記憶〟すらも自分ででっち上げたような、何とも言い難いような自分が定まらないような思いもあります。

本当にこんな風な〝記憶の蘇り〟があるものなのでしょうか?こんな年齢になってそんなことが起きるものなのでしょうか?(カウンセリングの先生はそこに疑問は差し挟まないですが…)
…実際にそういう細かい感触といったものを思い出した状態なのですが、半年以上経って、今ではその感覚を忘れて、ないものにして来ていた、ということが信じられなかったり、また自分の判断力も思考も頼りにならない気がしている毎日です。