前々から現代の一般的社会での生きづらさを感じていたのですが、最近生きづらさは愛着障害や機能不全家族が要因のひとつではないかと考えています。
なんだかまとまらない長文になってしまい申し訳ありません。

家族構成:父・兄・自分 母は死別
それぞれ一人で暮らしています。
自分:24歳 社会人1年目

母は私が幼稚園の頃に父と喧嘩し、家を飛び出てしばらくの間行方不明になった後、見つかり母の実家で暮らすことになりました。
私は幼かったのでよく覚えていませんが、母は鬱病だと知らされてはいました。
私と兄は母の実家で過ごしていた期間もあったと記憶していますが、私が小学校にあがったときは父のいる私の実家で暮らしていたと思います。
母は母の実家で別居、父兄私が私の実家で暮らしていた形だったと思います。
そんな家庭状況だったからか兄が不登校となり、私も皆勤が体調不良によって続かなくなってしまったことをきっかけに不登校となりました。
私が不登校となって間もなくだったかと思いますが、母は私が小学生低学年の時に自殺しました。
当時の私にはかなりショックで、その後2、3年はふさぎこんでいました。
ショックだったためか幼少期の記憶はかなり曖昧です。
その後、高校に入学するまで兄も私も不登校でした。
今の私にとって不登校だったことはいい経験だったとは思っています。
ただ不登校だったことは生きづらさの要因のひとつでもあるかと思います。

一人親だったこともあり、家事は兄と分担しながらいろいろやっていました。
父は仕事で休みも不定期で帰りも夜8時頃が多かったように思います。
みんな大変な状況で私は誰かに頼ったり甘えたりすることがあまりできなかったように思います。
頼ったり甘えたりできなかった記憶として母の葬儀の日のことがあります。
急死した母の死に父も兄も祖父母もショックを受けていました。
私は母の葬儀の日に泣きませんでした。
自分が泣いたら他の人が思い切り泣けなくなってしまうのではないかと思っていたからです。
私も悲しいけれど、私よりはるかに長いこと一緒にいた兄や父や祖父母はきっともっと悲しいだろうと思いました。
私は一番子どもで私が泣いたらきっとなだめるなどしてくれてしまうのだろうと思い、泣きませんでした。

父との関係については複雑な思いがあります。
父が私を大切に思ってくれていることはわかっているつもりなのですが、幼少期より直接的な愛情表現(抱きしめる、なでる、ほめるなど)をされることがあまりなく愛情不足で育ったような気がしています。
ここまで男手ひとつで育ててくれたことはありがたいと思うし、尊敬もするのですが、どうも反りが合わない気がしています。
私と父とでは価値観が大分違うように思います。
そして父は自分の価値観が正しいと思っていて、私の価値観を受け入れてくれないところがあるように思います。
もちろん私が若さゆえに甘い考えをしていて、それでは苦労するだろうからもなどと思って自分の思う正しいやり方にするよう口をだしていることも考えられます。
でも私がきちんと説明しても、あまり受け入れてくれる雰囲気ではないことが多かったように思います。
きっと親でなければそのような人とでもうまくやっていけたのではないかと思います。
でも親という距離の近い関係で、近くにいると辛くなるか喧嘩になりそうで、大学から親元を離れて暮らしています。
兄は私以上に父との関係がよくなく、この数年は実家には帰っていないような状況です。
おそらく兄も父の自分の価値観を押し付けがちなところが合わず、距離をおいているのでしょう。
兄は高校卒業時の進路を決めるのに自分の希望を父に否定され、結局父の言う進路にさせられたことがありました。
ちなみに私と兄とは仲はいいほうだと思います。
ただ互いにドライなのでそれほど会ったり話をしたりはしません。

また父に対して、父が母を間接的に殺したというような思いが心の底にあるのかもしれません。
それは母が亡くなった当初、母方の祖父母がそのようなことを言っていたのが心に残っているのかもしれません。
今では父と母方の祖父母は仲直りしてはいます。

私は私の思っているように動いてみたいのです。
それはおそらくいわゆる社会のレールから外れることです。
リスクがあるのはわかっていますが、そちらにいったほうが私はおそらく私らしくいられるような気がしていますし、レールの上でも多くのリスクがあると思います。
それならより私が望むほうへ動いてみたいと思うのです。
でも、父のことを思うとなかなか動けません。
父にはおそらく否定されるでしょう。
不登校から大学まで行かせて、それなりに安定しそうなところに就職できて、それなのにまた枠組みから外れるようなことをするのかと。
上で述べたことを言ってもきっと父は納得しないのではないかと思います。
そして私も父を不幸な気持ちにさせてまで動くほどのことなのかと思ってしまいます。
父は今までたくさんの苦労をしてきたのに、さらに心配をかけるのかと。
同じような思いを母方の祖父母にも感じます。
母方の祖父母には母と叔父の二人の子どもがいたのですが、どちらも早世してしまい、血を分けているのは私と兄の二人だけです。
母方の祖父母はおそらく私がやりたいといったら応援してくれるような気はするのですが、心配はかけてしまうでしょう。

思えば小学生の頃から父や祖父母が死んでしまえば、自分はどこにでも行けるといったことを思っていた気がします。
積極的に死んで欲しいとは思ったことはありませんが、なるべく早く大往生してほしいと思っていました。

期待なんかしないでくれ、それはあなたたちのエゴだと思わずにはいられませんが、親が子を思う気持ちというのは子にはわからないものもあるのだと思います。

私一人が犠牲になって多くの人が幸せになるなら、それもいいかとも思うことも多いです。
でも、私自身が救われたい気持ちももちろんあります。

血縁というものが私にとってとても重い鎖となっているのだと思います。
自分の背中には自由に羽ばたける翼があることを私は知ってしまいました。
私は自由になりたいのです。
おそらく独立願望が高いのでしょう。
でもどうしてもこの鎖を自ら外すことができないでいます。
自分の手で外すことができることはわかっているのに。
どうしたらこの鎖を外せるようになるのでしょうか。
あるいはどうしたら鎖につながれたまま、自分に合わないと感じる社会のレールの上でも心安らかに暮らせるのでしょうか。