母親と物理的な距離を取ろうか迷っています。

私は今年で20歳になります。うちは母子家庭で、父親は私が赤ん坊の頃から別居しています。

少し昔の話をさせてください。小さい頃の私は本当に外に出ない子供で、二個上の兄よりも手がかからなかった、ずっとベビーベッドや室内にいたと母に聞きました。「転がしたら勝手に寝る」「全然泣かないし、本当に大人しかった」と彼女は言います。しかし、母は夜まで働き、物心が多少ついても保育園に上がれない頃の私は、母方の祖母に預けられていました。二人で一緒にエビフライを作った記憶が今だに鮮明に残っていますが、逆に母親と二人で過ごした記憶があまりありません。あったとしても、そこには必ず兄や祖母がいます。

小学生になり、私はよく母の気を引こうとしました。ピアノを聞いてと言ったり、クロスワードパズルを作ったりしました。しかし、母は「聞いてる聞いてる」「またあとでね」と言って、私の心が満たされることがありませんでした。特に、クロスワードパズルは時間をかけて作ったので、今でもそのことが頭から焼き付いて離れません。今では仕事で疲れていたんだと多少割り切れますが、それでも、その頃の私は寂しかったんだと思います。

そんな時、母の友人が保健師でよく二人で話をしていました。「やっぱり保健師はいいね」なんで?と、私が聞くと、「手に職つけた方が後々楽だし、お給料もいいし、子供産んでも復帰できるからね」と言いました。そこで、私は無意識に「保健師になれば認めてもらえるかもしれない」と思いました。母親にひどいことをされたわけでも、罵声を浴びさせられたわけでもありません。なぜか、なぜか私はその頃から保健師になろうと思っていましたし、親にもよく言っていました。

話が逸れますが、私が好きだと言ったものを親がうーん、といまいちな反応をすると「これはだめなものなんだ」と決めつけるような思考をするようになりました。逆に、親がこれいいじゃん、というものを好くようになりましま。

小学校は心に何不自由なく過ごすことができましたが、負の転機は中学一年の冬でした。問題は三つあります。

一つ目は、同居していた祖母と母が口を利かなくなったのです。祖母はずっと家にいて、家事全般をこなしてくれています。なので、家に帰ったら祖母がいつも出迎えてくれるのです。小さい頃からそうでした。空気もどこかぎくしゃくとしていて、私は見えない何かに全身が囚われたような感覚でした。家の中なのに、全然安心できないのです。

無視をしているのは母親だということは明確でした。祖母は訳が分からず、かといって母に何か言うわけでもなく、私に「おばあちゃん、何かしたかね?」と聞いてきます。私は「わからん」としか言えませんでした。私も、母に何か聞こうとはしませんでした。

二つ目は、父方の祖母と文通をし始めました。きっかけは忘れました。二通ほどやり取りをしたところで、父方の祖母から段ボール一箱分に詰められたおもちゃのようなものが届きました。正直、がらくたのようなばかりでしたが、私に邪険にするような気持ちはありませんでした。しかし、それを見た母は「邪魔になるから、いらんのだったら捨てて」「こういうさあ、人にあげるものじゃないようなやつを送ってくるから嫌なんだよあの人」と言いました。私は何も言いませんでした。言えませんでした。心はもやもやとしているはずなのに、言葉が出てこなかったのです。

三つ目は、父が家に来るようになったことです。理由は兄の高校受験で色々と話すことがあったらしいのですが、私はよく知りません。その時の出来事としては、兄が父とどこか(釣りだったかボーリングだったかと思います)に行くと言った時、私は「私も行こうかなあ」とぽろっとこぼしました。それを聞いた母は「れなちゃんも私を置いてくの(こんなような言葉ではなかった気がしますが、裏切るの、みたいなニュアンスの言葉だったことは確かです)」と言いました。結局私は行きませんでした。行きたい!という感じでもなかったからです。

その三つが関係しているのか分かりませんが、その頃から私は徐々に人の目を気にしたり、被害妄想が強くなったり、誰かに過剰に依存したりするようになりました。依存したいのに、人が怖いから距離をとっていました。かなりきつい部活に所属してその責任もあったので、不登校になることはありませんでした(寧ろ、部活をしていた方が気が紛れました)。しかし、部活が終われば同級生の部員すらも敵に見え、パニックになって大声で叫んだり、過呼吸にも何度もなりました。学校も怖く、かといって家に帰っても祖母と母がぎくしゃくしていて、本当に帰りたくありませんでした。

そして、私は学校のカウンセラーを受けるようになりました。カウンセラーさんに色々と家のことについて相談して、何度もカウンセリングをしているうちに、親と一緒に面談をするにまで至りました。何を話したのかは全部忘れました。それよりも、帰り道に親が言った「家のことを他人に色々と話されたくなかった」の一言で、頭が真っ白になったのです。
私がこんなにも苦しんでいるのに、あなたの言いたいことはそれか、気にすることはそれか、と。今は憎む気持ちでいっぱいですが、その時の私は何も考えられませんでした。寧ろ、話した私が悪いのか、と自分を責めていました。

保険証もお金もない中学生の私が病院に行けるわけもなく、カウンセラーさんに相談をしても「薬を飲んでも依存だとかそういうのがリスクになる」と言われました。その時の私はカウンセラーにも見放されたという気持ちになり、それ以降あまり相談という相談をしませんでした。あの時の私は誰でもいいから誰かに助けてほしかったのかもしれません。

それからの記憶はあまりありません。中三に上がる頃には比較的落ち着いていました。なんだかんだで、祖母とは別居することになりました。母が祖母を無視していた理由は「子供達も大きくなって、面倒をみてもらうこともなくなった。なのに働かずにまだ家にいるのはなんで」と思ったからだそうです。色々と分からないことが多いですが、私にとってはもう開けたくないパンドラの箱です。

話に戻ります。落ち着いたとはいっても、元どおりにはなりませんでした。元々内気だったのがさらに内気になったような気はします。人の目も気にしますし、その頃から、よく思われたい、ちゃんとしなければならない、ということが概念として私の中に定着していました。

中学を卒業し、高校に上がると友人にも恵まれ、とても過ごしやすい三年間になりました。冗談を言ったり、バカみたいなことをしたり、ムードメーカー的存在でした(ただ、部内という自分のテリトリーの中だけで、教室では誰かと話すわけでもなく、落ち着いていました。)

進路選択では、小さい頃からずっと言っていた保健師になるために看護の学校を目指していました。しかし、私のその頃文章を書くことが好きで、そういう大学も視野に入れていました。三者面談の時に、看護の学校を希望する旨を言った時、先生は「文章系の大学はいいの?」と聞きました。先生にはうっすらとそのことについて話していたからです。親には何も言っていません。私は親の目を気にして「はい。いいです」と言っていました。親はそのことについて何も触れていません。私は勝手に、小さい頃から保健師保健師って言ってたのに、今更文章の大学に変えるなんて何か思われるかもしれない、と怖かったのです。

そして、看護専門学校に行き、再び体調を崩しました。学校自体に行くのが怖く、電車に乗るのも怖く、ずっとカバンにしがみつくようにして座席で揺られていました。信頼できる友達は一人いましたが、それだけで私の精神が安定することはなく、実習も授業も演習も、何もかもが怖かったのです。
電車の音がうるさく感じ、話し声もナイフのような鋭利なものに見えて怖くて、人の感情のやりとりも直に頭に響いてくるようで、ほんとうに辛い思いをしました。
しかし、私は嫌だと言えませんでした。誰かに無理だ、やめておけ、と言われない限り、やめられませんでした。

そんな状態が一年半。ついに、去年の秋に中学以来パニックを起こし、教務長に流されるようにして休学しました。在学中も看護学校のカウンセラーさんとお話をしており、助けていただいていましたが、どうにもなりませんでした。

結果、看護学校はほんとうに私が望んでいた道ではないということがようやく分かりました。無意識に親の期待に応えようとしていたこと、認めてもらおうとしていたこと。しかし、親はそんなことを一言も言っていないといいます。たしかにそうでした。だから、母は「もうあなたのやることに口は出さないから好きにして」と言いました。それはそれで、見放された感じがして、私は一歩も進めなくなりました。

それでも、歩まなければならないとわかっています。バイトを探して面接をしたり、色々な専門学校のオープンキャンパスに行ったり、塾長や友達と会ったりと、色々なことをしました。今までも自分一人でできたことはできたのですが、それでもやってこれなかったこともできるようになり、どこか解放された気分でした。

それでも、いちいち親に許可や承認を求めてしまいます。「レコーディングエンジニアに興味を持った」「この服どう?」「こういうバイトに応募した」など。親が聞いてくるときもありますが、私も母に言います。いいんじゃない?という言葉を期待している自分がいるのです。

それでも、私のやることにそういう言葉をもらうことは少ないです。最近では、違う人間なのだから承認されないのが当たり前、と思うようになったら、少し楽になりました。しかし、安全な場所かつ帰ってこれる場所がないと、新しいことにチャレンジできません。子どもは、安心して戻ってこれる場所があるからこそ、色々なところに行けるのだと、看護の小児の授業で習い、そうなんだ、と納得した自分がいました。

今日、家からは遠い飲食店の面接に行き、受かりました。やっと受かったバイトです。接客は初めてで、コミュニケーションも上手くありません。でも、やってみたい、と思う自分がいたことは確かで、受かった時はるんるんでした。しかし、母は「飲食店ならこの近場でもいいんじゃない」「お兄ちゃんは飲食店なんて絶対やらないって言ってるよ。臭いし」「れなちゃん配膳とかするの重いからできなさそう」最終的には「まあ、れなちゃんのすきにしたらいいけどね」と散々不安を助長させるようなことを言って投げ逃げをしてきました。さらには「挨拶とかできる?」という一言でぶちんとしました。
私も挨拶くらいできる、仕事でやるわけだし、なんでそんなこと言うの、意地悪を言ってるように聞こえる…色々言ったと思います。親は「じゃあ聞くな」「言ったら言ったでそういうし、何も言わなかったら見捨てられたような感じを出す」などと言われました。もう、いくら自分にこれは私の決めたことだから、と言い聞かせようが、結局は私は親の言うことに振り回されてばかりなのだなあ、と思うと、悔しくてなりません。

長々と拙い文章ですみません。本題です。こうした状況の中で、私が私の人生を生きるためには、親と物理的な距離を取った方がよいのでしょうか。手段としては一人暮らしです。
学校に行くにしろなんにしろ、これからも様々な選択をしなければいけない時がきます。そうしたときに、親の承認や言葉に振り回されて何もできないよりかは、寧ろそれをできない状況においた方が、自分はもっと解放的にいられるんじゃないかと思います。
なんども、なんども自分はこれでいいのだ、と言い聞かせて、休学してからは自ら行動してきました。誰に応援されているわけもなく、ただ、帰ってこれる家があるということだけにしがみつき、今でも随分とましになった方です。それでも、もうこれは限界なのかな、と思い始めました。正直、仕事で疲れて帰ってきた親の顔色を伺う自分もいて(私はずっと家にいるので)、後ろめたい気持ちでいっぱいです。親は何も言っていませんが、私の被害妄想か、単に空気に敏感すぎるのかもしれません。HSPの可能性は極めて高いと自分では思っています。

別件で父親のことですが、母はとても嫌っていますが、二個上の兄はたまに父と会うそうです。私も今年になって少しずつ会うようになりました。母親にはもちろん言っていません。何を言われるか分からないので。

支離滅裂で分かりにくい文章かもしれません。どうか、ご相談に乗っていただけたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。