半年ぶり、二度目の投稿です。
私は、もうすぐ22歳になる大学4年生です。ACの育ちで、境界性パーソナリティ障害の傾向を持っており、その進行も原因で、2年前からうつ病を患っています。今回は5月半ばから鬱の波に飲まれています。進路については、大学院を考えています。両親に理解を得るのが大変そうですが、それはまた別の話。

悩み事は、対人関係です。元来不安定な性格で、(怒ること、泣くことは昔はよくあったのですが、今むしろ抑圧することで、内面的葛藤が激しい)、自分も他人も、特に対等な立場の人間をほとんど全て疑ってしまいます。

今疑っているのは、1年生の頃から仲が良く、必修の授業ではいつも一緒にいたような友人Yです。専攻選択の時点で彼女とは全く逆のゼミに入ったのですが、それでも親交がありました。彼女は事あるごとに私を頼ってくれて、私は喜んで応じていました。私が彼女に対しても、同様でした。彼女は私を信頼してくれている、だから私も忠義を以って尽くさなければならない、そう考えて、彼女を理想化し、絶対的に信頼できる存在だと認識していました。4年生に上がり、必修の授業が全く無くなっても、何度か会って、深い話をしていました。
Yの様子が変わったのは、6月8日頃でした。彼女とはTwitterでもつながっているのですが、そこに彼女は突然、誰に向けたのか分からないような匿名の悪口を投稿し始めました。そういえば、少し前にも、会うことを話していたら、向こうから有耶無耶にされたなぁ何かおかしいな、などと思いながら。「奴」と名指しされた人の特徴が、見事に私に合致しました。例えば、彼女が嫌う「奴」は自虐風自慢をするといいます。私を思い返すと、それなりの才能や知識がありながら病身ゆえにそれを活かしきれていないことをよく嘆いていました。彼女には病気のことも話していて、理解があると思ったのですが、正直、そんなことで嫌うなんて器が小さいと思います。しかし私は彼女を軽蔑しているわけではありません。むしろ、私には「悩み事」でも、彼女には「自慢」に見えるのなら、私は物事の欠点ばかりに目が行く馬鹿、彼女は卓越を見いだすことができる有徳者であるように思われます。私は彼女に学ばねばならないのです。

この一件で、あるトラウマを思い出しました。女子校だった中学時代に、周囲に溶け込みグループに入ることを義務のように感じてしまい、グループに無理やり迎合し、自分でもあの時の自分はおかしかったと思うほどに依存していました。中1の2学期頃から、なんかおかしいな、この人達は私を嫌っているのではないか、と不安になり、冬頃思い切って真意を聞いてみました。すると彼女らは、「ずっと前からお前が嫌いで、AとBとCと……が、つまりお前の存在自体が嫌いだった」と私の嫌いなところ、自分でも嫌いなところをズバズバと言い当てました。それから中2の頃はぼっちでした。その時の自分も、「友達」も憎くてたまりません。この出来事のせいで、私は疑り深い人間、対人的な見捨てられ不安の強い人間になったのです。

さらに悪いことが起こります。このことを、尊敬してやまない先輩に相談し、絶対にYに本当のことを答えてほしい旨を話したのですが、あまりの私の我儘さに愛想を尽かされました。自分はどうしてここまで悪人なのか、という考えに支配されています。あの人が疑わしい、この人も疑わしい、ならばどの人も疑わしい。全くの人間不信に陥りました。

Yには、私が嫌いなのか、そうでないのか、嘘をつかず、はっきりと答えてほしいのです。私は、どんな悪人でも嘘の道に堕ちてしまう様を見ていられません。嘘で救われるよりは真実で傷つく方がマシというのもそうですが、それ以上に、目の前の人間が誤ること、巡り廻って何かしらのポリス的、道徳的、宗教的罰(特定の宗教を指しません)を受けるのを見ていられないのです。私は善い人なのでしょう。大学がキリスト教系で、教授でもあり神父でもある先生方もいらっしゃるのですが、彼らの宗教的奉仕の精神には共感できるものがあります。

大学のカウンセリングもまだ先で、時間外に押しかけることは迷惑だからやめなければ、それならどこに誰に相談したらよいか、辿り着いたのがここでした。
私に与えられた二者択一。1つには、時間が解決するのを待ち、彼女が落ち着いてから「時効」として対等に話し合うこと。1つには、彼女に直接真意を確かめて、悪い点を心から謝り、改善の努力をすること。
思うに、私はこの二者択一で揺れ動いているのです。もしかしたら、突飛な第3の選択肢を選び、互いに不幸になるかもしれないという不安もあります。いずれにせよ、「私が彼女に嫌われた」ことが、事実なのか、思い込みなのか早々に結論を出したいです。

長々と失礼いたしました。