何かで悩んでいることは憶えているのに、何を話したかったのかは忘れてしまいました。

今年から大学に通っています。
発達障害当事者の女子です。ADHD、ASD、LDのトライアングル持ちです。どれも診断されたのは大学に入ってからです。日常生活では主にADHD(不注意優勢だけどほぼ混合型)に悩まされています。

とりあえず生い立ちを話します。
保育所に通っていた頃、自我というものが全くありませんでした。やりたいことなどはありましたが、主張することが出来ませんでした。またASDの特性でおもちゃなどを自分なりの法則(見た目では他人には分からないものでした)に従って並べるのが大好きでした。同世代の女子と遊ぶということはほとんどなく、常に男子と遊ぶか1人で空想の世界に耽っていました。
この頃既に同じ歳の女子数人にいじめを受けていました。しかし、当時の自分はあまりに世間知らずすぎて「この人達はどうしてこんなことを言ってくるんだろう、悲しいな」としか思っていませんでした。その為周囲の大人に相談することもなく、また周囲の大人からは「あの子達(いじめっ子)と仲良しなんだ」とさえ思われていたようです。

小学校に上がってからは女子との関係が更に捻れていきました。
まず、ADHDの特性により机、ロッカー、ランドセルの中はどれもぐっちゃぐちゃでした。学校からの手紙など大事な書類も持って帰る頃にはランドセルの底の方で皺くちゃになっており、更に存在ごと忘れていました。ちなみに机やロッカーがぐちゃぐちゃなのは、自分的には「忘れ物防止」のつもりでした。お道具箱には入れられるだけのものをいつも詰め込んでいました。毎年教室が替わる前に家に持ち帰り、母と一緒に整理していました。こんな特性持ちなのですが、外見はいかにも真面目そうな女子だったので、そのギャップでもよく悩むようになりました。
小学校ではいじめはありませんでしたが、クラスが替わるごとに友達関係でトラブルがありました。自分は小学校時代も自我が全くなかったので、周囲の我の強い女子からは都合のいいともだちだと思われたらしく、よく板挟みにされました。真実を書きますが、まるでおもちゃのように取り合われました。唯一平和だったのが5年生の時です。他の学年の時は必ず三角関係に悩まされました。

中学校の時は主に障害のことで悩みました。
忘れ物による被害がどんどん増え始めました。学級日誌を家に忘れた時は、クラス全員がいる中先生にこっぴどく叱られ、「無責任だ」と糾弾されました。ちょっとこの記憶はトラウマ並になっており、あまり思い出したくはないです。
提出物が全く出せず、定期テストはいつもボロボロでした。テスト勉強もなかなか出来ず、やる気にもかなりのムラがありました。得意教科はいつも上位(平常点を除く)なのに、苦手な科目は目も当てられないという状態が長く続きました。小学校の時は平常点などなく成績自体は優秀だっただけに、自分や周囲からの期待に押し潰されそうでした。二者懇談や三者懇談では必ず「やればもっと出来る」と激励され、自分もそう信じていました。実際苦手な科目の勉強にも何度も取り組もうとしましたが、気がつくと頭の中は既に空想世界に飛んでおり、教科書の隅に思いついたメロディや歌詞を書き込んでばかりで、全く集中できずに終わってばかりでした。そのことで自分を責め続け、自己肯定感がどんどん下がっていきました。
部活も最低でした。ドラムを叩きたくて吹奏楽部に入部したのですが、1、2年の先輩や同輩と上手い関係を築けずにいじめられました。中1まで自我が全くなかった自分は、この時も「皆楽しそうだけど私は悲しいな、何でだろう」としか思っていませんでしたが…。
ドラムは中3しか叩けないと聞かされ、嫌になったので、中2の時に合唱部に転部しました。仲のいい友人が前から誘ってくれていたので入りましたが、そこで漸く部活の楽しさを教えてもらいました。勉強面で辛い思いばかりしていたので、合唱部での活動が唯一の救いでした。
受験勉強も大したことはしていない…と、自分はそう記憶しています。しかし母は「ちゃんと勉強していた」と言ってくれました。残念ながら母の言葉をまだ素直に信じられていません。自分はサボってばかりだったと思っています。
とても行きたいと思い、専願で受けた私立に受かりました。進学校ですがスポーツなどの部活でもかなり有名な所です。かっこよくて、憧れて入りました。

高校最初の1年はとても上手くいきました。学校を休むこともほとんどなく、いい友達に恵まれ、とても楽しかったです。
後の2年が問題でした。クラス替えで女子の顔ぶれがほぼ一新され、あまりいい仲の友達を作ることが出来ませんでした。友達まがいの知人とぎこちない会話をしながら毎日を過ごし、成績も得意科目と苦手科目の差が広がる一方で、どんどん落ちていきました。同じクラスなのに話すらしたこともない女子から、いじめとまで言いませんが理不尽な扱いを受けました。理不尽が大嫌いな自分はその頃からまともに学校に通えなくなっていきました。

高3になり、受験生だからと気持ち新たに新しいクラスに向かいました。
新しいクラスの女子達が集まっていたので、その中に入り、仲良くなりたくて色々と発言しました。
誰も何も返してくれませんでした。返ってきたのは戸惑いと冷ややかな眼差しだけ。
ゾッとしました。その場にいるのが怖くなりました。
あの時のことは忘れません。思い出しただけで涙が止まりません。

それでも暫くは通っていましたが、更にちょっとしたトラブルがあり、完全に不登校になりました。
教室に入るのも怖くて、ドアの前で泣きながら立ち竦むことしか出来ませんでした。母に教室の前までついてきてもらっても入れませんでした。
けっきょく職員室にある小部屋で毎日1時間ほど勉強し、帰る日々を繰り返しました。それで出席日数を稼がせてもらい、なんとか卒業することが出来ました。こんなにたくさん嫌な思い出があったのに、それでも私は母校が大好きです。今も大好きです。

受験勉強をするのも大変でした。やらなければいけない勉強が一切できず、やりたい勉強しか出来ませんでした。この頃から学習障害も本格的に現れ始め、英語は全く出来ませんでした。学習障害と言っても、1番の得意科目は国語です。だから余計に見過ごされてしまいました。
理系ですが物理と化学は全く出来ません。生物も細胞のようなミクロの話はてんでダメですが、動物の話になると途端に専門家並の知識を発揮します。地学も好きで、大学は地学を専門で学べる学部を選びました。しかし地学でも好きな分野と苦手な分野の差が激しく、かなり悩まされました。
センター試験の時は椎間板ヘルニアで右足が常に痺れており、立ち上がって痺れをとる必要があったので、配慮をしてもらいました。試験時間を延ばしてもらった為、英語も割と成績はよく、無事志望大学に合格しました。本当は動物のことを学びたかったのですが、動物行動学を専門に学べる学部が本当になかったので、地学で選びました。

大学に入り、次こそはと思いながら最初の1週間を乗り切り、そしてダウンしました。いじめなどではないのですが、ASDの特性上女子トークというものがさっぱり分からず、自分だけ勝手に辛くなっていきました。精神的に不安定になりすぎてまともに通えなくなり、けっきょく不登校になりました。この時漸く障害を診断してもらい、ADHDとASDがここで分かりました。
前期は単位を1つもとれず、不安で毎日胸が苦しかったです。後期から仕切り直しだと割り切り、地学の実習で合宿にも少しだけ参加しました。同じ学科の皆と仲良くなり、感覚過敏のことや女子トークなどは苦手なのであまりしないでほしいということなど、色々なことを伝えました。皆はとても優しく、暖かく受け入れてくれました。これなら後期から行けるだろうと思いました。
後期最初の1週間を乗り切り、そしてまたダウンしました(笑)正直ここまでくると呆れて笑えてしまいますが。
そして学習障害というものが判明しました。英語が全く出来ず、物理も化学も全く出来ない上に専門分野の地学でさえ出来ない分野があまりに多すぎて、単位をとること自体元から不可能だったことが分かりました。漸く自分の努力不足だという認識が改められました。
今は単位に拘らずに好きな授業だけに出席することにし、同時に大学のカウンセリングルームを利用しています。将来働くつもりですが、興味のないことは全く出来ない自分が果たして働けるのかという不安はどうしても拭えません。

生い立ちは以上です。
家族についても少し触れておいた方がいいかと思います。
まず、兄もADHDです。検査結果の数値的には私の方が重度だったんですが、日常生活で母や私がより手を焼いているのは間違いなく兄です。兄は昔から明らかにおかしい人でした。勿論それは私にも当てはまりますが、兄は私よりずっとADHD不注意の症状が強く現れていました。ただ、中学校までの成績は本当によく、高校も全国レベルでかなり有名な所へ行きました。
二浪して私立大学に入りましたが、最初の1ヶ月で不登校になりました。診断されたのはそれからです。
ちなみに、母は初め私に障害はないと言い切り、なかなか信じてくれませんでした。やはり兄の存在が大きいのですが。このままでは診断してもらいに行く段階にも進めないので、私は大胆にも「うつ病っぽいから病院に行く」と言って病院に行き、発達障害の検査を申込みました。家に帰って母に「話をしていると先生に発達障害かもしれませんと言われたので検査することになった」と言いました。嘘も方便だと言い聞かせながらも、結果を見て落ち込む姿ばかり想像しては怖くなりました。実際の結果は想像と全く違い、兄より酷いADHDに加えてASDまであることが判明し、少し安心しました。しかし今度は障害だと言って甘えているように思えてきて、時々「本当は後天的な心因性によるもので発達障害ではないのではないか」と疑ってしまい、苦しいです。
父はそんな私達兄弟にほとんど関心を示さない人です。どこの学校へ行こうが、そこでどんな問題が起ころうが、発達障害が判明しようがどうだっていいと思っている人です。もはや父が1番子供です。人のすることには文句ばかり唱え、自分がすることはダブルスタンダードを突き通します。おかげで今ではすっかり家族の中で浮いています。私は娘なのでまだ可愛いらしくそれなりに接触してこようとするのですが、私はそんな父に生理的な嫌悪感しか抱かず、なるべく避けています。
母は父親失格の父の代わりに私達を支えてくれました。父は失業中で家に1日いる時でさえ家事をまっっったくしないので、本当に何もしないでパソコンに浸って電気代を無駄にしていくので、朝から晩まで働いている母がそのまま全ての家事をこなし、更に私達子供の世話までしている状態です。現在我が家は借金だらけです。
あまりに背負い込みすぎて、母は最近疲れ切っています。仕事、家事、父の世話、兄の世話で疲れています。この3人の中では1番しっかりしている私に負担を求めてくるようになりました。兄の監督責任を負わされたこともありますが、私も同じ障害者(検査結果としてはかなり重度の)である以上、そんな負担はとても背負えません。このままでは母と私の神経がすり減らされる一方です。今は何とか均衡を保っている状態です。母が心配でならないのと、自分に掛かる負担が多くて正直辛いです。
借金まみれなおかげで、お金の話題もよく出てきます。母によく「ちゃんとした所に就職して、返してくれ」と言われます。なんとなくプレッシャーを感じ、とても嫌な気持ちになりますが、迷惑をかけているのも事実だと思うと何も言えません。「老後はきっちり面倒見てもらうからね」と言われると介護するのも嫌になってきます。しかし面倒を見ないわけにもいかないので、このまま行くと将来親共々行き倒れになるのではないかと心配しています。

家族関係で悩みを思い出しました。
母や兄に関してですが、愚痴を言うことが出来ず悩んでいます。ただ話を聞いて共感してほしいだけなのに、愚痴を言うと必ず明確なアドバイスが返ってくるのです。しかもそのアドバイスはだいたい「何で〜〜しようと思わないんだ?」という形で返ってくる為、被害妄想が強い私は常に責められているような気分になります。特に兄は口調が強く、感情もこもっていないことが多いので、蔑まされているように感じてしまいます。実際は本当に私のことを心配してくれているらしいのに、それが全く伝わってきません。
いつの間にか母に趣味の話をすることが出来なくなりました。全てにアドバイスを返されて終わりそうな気がして怖いです。私は趣味の話をする時はだいたい共感してほしくて話すのですが、単なる愚痴ですら共感してくれない人に、生きがいである趣味を話すことなどとても出来ません。母は私が趣味の話を一切しないことを不思議がっています。
最近、私が言ったところでどうにもならないだろうと思って諦める、という癖がついてしまいました。おかげで最近は何事にもあまり期待しなくなりました。予防線を張っておくことで、どんな結果であろうと傷つかないで済むようにしているんだと思います。
一応ここに色々書いておりますが、これについても返事はあまり期待しておりません…それなのに書いてしまってすみません。

ここまで色々話してきましたが、実は対人関係についてまだ話していないことがあります。
それは保育所時代から大学に入るまでの全てにおいて重大な影響を及ぼしてきたものなのですが、ここで話せることではないような気がしています。今まであまりに酷い経験ばかりしてきたので、また辛い思いをするのではないかと思うと怖くて話せません。今はまだ置いておきます。

とりあえず、何を相談したかったのか完全に忘れてしまったので、今は何か一言でも下さるといいなと思っています。
褒めてくださればとても嬉しいです。大変だったんだねーとか、よく頑張ったねーとか、そんな簡単なひとことでいいので褒めて下さるととても嬉しいです。
勿論、あまり期待はしておりません…信じられなくてすみません。現在大学のカウンセリングで人間不信になりかけているという相談をしているところです。
ここに相談してよかったと思えるようになる日を夢見ています。

※追伸:悩みをひとつ思い出しました。どうも幼い頃から重度の解離性障害があるらしく、最近いよいよやばそうになってきたなーと思い始めました。普通に大学から家に帰っているのに、帰り道で突然「うわ、今自転車こいで家に帰ろうとしてる!」と驚くようになりました。想像上のお友達は保育所時代から常にいますが、最近は想像人格並に成長してきており、ちょっと危ういような気がしています。まだ多重人格までは進んでいないと思いますが、なるべくそうならないよう注意しようと思っています。
ちなみに幼い頃から日常的に解離をしていたのは、感覚過敏のせいもあると思います。最近まで、私の世界の見え方が他の人とは全く違っていることを知らなかったので。聞こえている音の多さも臭いも圧倒的に違うようで、正直驚いています。
これらの過剰な情報を処理しきれない為、思えば日常的に解離していました。私はずっと当たり前だと思って自分の行動のひとつひとつをいちいち脳内で解説していましたが、どうもそれは当たり前ではないようですね。とは言え、感覚過敏を抑える為に解離しているのならそれは障害とまでは言わないと思うので、治したいとは思いません。しかし、あまり酷くなりすぎて先ほどの話(うわ自転車こいでる!)のような症状まで日常的に起こるようになるとかなり困るので、そこは何とかしたいです…
あともうひとつ思い出しましたが、ただ今絶賛真夜中です。昼夜逆転とまでは言いませんが、眠りたくないと思う日があって困っています。今も本当はこのまま起き出して絵を描いていたいと思っているのですが、明日は出かける用事があるので寝なければならないと思って葛藤中です。

※追伸2:女性恐怖症です。できれば心理士の方は男性の方をお願いします。私女子なんですけど、女性が怖くて仕方ありません。すみませんが男性の方をお願いします。本当にすみません。