憎悪の方向性について

冒頭から話が逸れて申し訳ないのですが、おそらく、自分は摂食障害です。
仕事の上司のパワハラ的な態度によるストレスを食事で慰めていたのが原因です。
非嘔吐過食だったので、数ヶ月で15kg増えました。
食べることに対する嫌悪と恐怖、でも食べることはやめられなくて毎日後悔して泣きながら食べ物を胃に詰める日々。
転職してからは太っている自分が醜くて仕方なくなり、拒食に移行し毎日17km歩いて通勤する過活動に陥っています。
もともと代謝が悪いので元の体重に戻すまで1年弱かかりました。
元の体重に戻した今は、痩せ願望が頭を支配します。
基本的には拒食ですが、1ヶ月のうち数回は過食をしてしまい、最近は嘔吐するようになりました。

冒頭で、摂食障害のきっかけは上司のパワハラ的な態度と申し上げました。
今までもパワハラ的な態度を示す人間と幾度となく接して来たのになぜ今回はこんなにこじれたしまったのか、考えてみました。
親の態度を彷彿とさせるからです。

私の親は私に厳しく接しました。
何かを失敗してしまえば殴られ蹴られ、挙げ句の果てには人格否定や汚い言葉で罵られ、過呼吸になるまで詰められます。
意にそぐわない行動や言動をした場合にも当たり散らされ暴力を振るわれ罵詈雑言、精神までボコボコに傷つけます。
親は自分の言っていることが全て正しくて、親より立場が下の子供は親にこうべを垂れ言う通りに言いなりにならなければならないと思っている節があります。
少しでも親の思い描いているルートを外れるとこちらの事情も顧みず暴力や人格否定・罵詈雑言で無理やりルートに戻そうとします。
それが物事の分別のつかない幼少期から大学を卒業し家を出るまで続きました。

幼少期はあまり記憶はありませんが、過度なストレスによる虚言癖・異食症(ティッシュ)を発症していたのは覚えています。
異食症には気づいていなかったようですが、虚言癖には激しく叱咤を繰り返しました。
私自身、まだ生まれたばかりで生きる知恵もない中、嘘をついて少しでも自分を守ろうとしていたのだろうと思います。
自分を押し殺し親に付き従って生きなければ、自分は自分で守らねば誰も守ってくれないと思い始めた頃です。

やがて思春期に入り、進学する高校を決める時期がやって来ました。
私は今までの経験則と自分を守るために自分の学力で絶対に失敗しないレベルの学校を選択していました。
失敗したら殴られるからです。失敗したら人格否定されるからです。
しかし親は私を傷つけている自覚がありませんので、当然上を目指せと言います。
失敗したら殴るくせに、人格否定するくせに、絶対許さないくせに無責任に目標を上方修正します。
もう何を言っても無駄だと諦め始めた頃です。

高校の次は進学先の大学を選びます。
高校では家に帰りたくないがために打ち込んだ部活動がありました。
幼少の頃から趣味としていたもので、高校に進学してからやっとコンスタントに活動することができました。
いずれはそれをきちんと学び、仕事にしたいと思っていました。
大学も進学先としてきちんと学べる所を選択していました。
しかし親の中でのルートからは大きく外れていたようで、今まで3年間真面目に打ち込んできた事を全否定し、またもや目標を勝手に上方修正します。
もう完全に諦めました。自分のやりたい事をやることを認めてもらえないどころか唯一鬱屈とした感情を忘れられる大事な趣味でさえ全否定され。全てを諦めた方が楽になると悟りました。
私のことを考えて言っていると、都合のいいことを親は言います。
今まで生きてきて、私のことを考えているというよりは、私が成功すればそれに乗りたいだけなのです。
案の定失敗すればアテが外れたことになるので、私に待っているのは八つ当たりです。暴力や人格否定、罵詈雑言。
私のことを考えているなんてことはなく、私をコントロールして自分たちに迷惑がかからないようにリスクマネジメントをしているだけなのです。

大学生になると、バイトやサークル活動・研究室での研究や授業を目一杯詰め込んで、なるべく家には居ないようにしました。
やりたい事は学べませんでしたが、今までの人生で一番穏やかで一番のびのびできた時期です。
なので、親に衣食住を依存し養われなければ生きていけなかった鬱屈とした時期はここで終わると思っていました。
家さえ出てしまえば解放されると思っていました。

度重なる人格否定や暴力・親からのコントロールによって、健全で等身大な自己肯定感と成長することができませんでした。
常に自信がありません、常に失敗してしまうんじゃないかと気が気でありません。
常に完璧な自分を演じていないと見放されてしまう気がします。
本当の自分は危機回避のために絶対失敗しない選択をするので、常に逃げているのではないかと思います。
そしてそれを許せません。完璧ではないので。
逃げているのに完璧を求められている、そのギャップが苦しいです。

その鬱屈とした記憶が呼び覚まされたのが前述の上司のパワハラ的な態度です。
一気にフラッシュバックし、上司への憎悪に代わり親への憎悪が止まりません。
自分が常に正しいとしておきながらダブルスタンダードなことも、弟は甘やかしやりたいことをやらせ挙げ句の果てにはニートになりそのことを周りに当たり散らすのも、弟と差をつけ育てられたことも、親とは2回り以上生きている年数が違うのに親と同じ振る舞いを強要されたこと、弟は失敗しても甘えても全てが許されること、勉強だって頑張って大学まで恥ずかしくない成績を維持していたのに褒められず私より勉強ができない弟は褒められ甘やかされること、大学でやりたい事が出来なかったのは自分たちのせいじゃない・お前がやりたいと言わなかったからだと言い捨てられたのも、「迷惑をかけるな」と言ってつきはなすことも、衣食住全てを依存しないと生きていけなかったのに金銭の脅しをかけたことも、全てが憎い。
今この上司の元で仕事をしなければならないのも、摂食障害になり普通の食事ができなくなったのも、醜い体になったのも、過食のためにお金も食材も無駄にしなければならないのも、精神が不安定になると何かを買わずにはいられないのも、毎月首が回らないのも、終わった事が全てに紐付いているように思えて一挙手一投足すべてにいちいち親がフラッシュバックするのも、彼氏に甘えてしまうのも、今の自分が許せなくて気持ち悪いのも、どんなに食べ物を体に詰めても溢れるほど酒を飲んでも部屋に入りきらず散乱するほど服を買っても何一つ楽しくなくて満たされないのも、すべて親のせいだと思ってしまいます。

親として子供を育てることは義務であり恩を着せる、ましてや親と子に上下関係を強要させ全てが親の言う通りに支配して育てることを言うことではありません。
衣食住を完全に依存しなければ生きていけなかったことを抜きにしても、支配していい理由にはなりません。
暴力を振るっていい理由にはなりません。
人格否定していい理由にはなりません。
親のリスクマネジメントとして子供をいいように生かしていい理由になりません。
子供を、束縛していい理由にはなりません。

それでも、未だに親に愛されたくて褒められたくて認められたいとも思っています。
完全に縁を切れば楽になるのに、考えなくて済むのに、頭の中で常にフラッシュバックさせながら家に帰る理由を必死に探してしまいます。
行ったら行ったで精神不安定になり帰った後に過食嘔吐することは目に見えています。
友達と遊んでも彼氏と過ごしても、鬱屈とした記憶を覆うほどには足りません。
憎んでいる相手の愛を欲してしまいます。
私を見て欲しいと思ってしまいます。

私が感じていることはわがままなのでしょうか。
この憎悪は正しいものなのでしょうか。
親はいわゆる毒親なのでしょうか。
親を憎むのも弟を憎むのも許されることなのでしょうか。
どうしたら鬱屈とした記憶やフラッシュバックや家族を断ち切れるでしょうか。
どうしたら、憎い相手に対する承認欲求を断ち切れるでしょうか。
私の気持ちと欲求が重なり合わないので困惑しています。
もう限界です。