もう解放されたいです。

過去に執着する自分をどうにかしたいと思っていろいろとやってきましたが、うまくいきません。
病院で治療を受ければ、よくなるのでしょうか。


わたしは過去に母から虐待を受けていました。

父の不倫が原因で両親が離婚してから、わたしは母とふたりで暮らしてきました。

母は、就業経験がないまま結婚して、二十年以上専業主婦として生きてきた人でした。
それが、夫に裏切られ、まだ小学校に上がったばかりの娘を女手ひとつで育てていかなければならなくなりました。とくに親しい人もいない地元に戻って、敬遠する両親を頼ることになり、慰謝料があるとはいえ働かなくては生活ができない。
当時の母は大きなストレスを抱えていたことでしょう。
実際に母は情緒不安定で、泣いて喚き散らしていた姿をよく覚えています。
「(父の不倫相手である)あの女の家に火をつけてやる!」と叫んでもいました。

離婚調停中に、深夜のリビングで両親が言い争っていました。
「下の娘はまだ小さいのにどうするの」という母の問いに、父は「俺はふたりめは男が欲しかったのに、また女だなんて」と吐き捨てました。
わたしには姉がひとりいますが、ずいぶん歳が離れています。それは間に流れた男子がいたからです。両親と暮らしていた家にはその子のための仏壇がありました。

父が母に自分の長年の不義を告白し離婚を申し出たことが始まりでした。曰く「相手の女性が自分との子を妊娠した。責任を取ってそちらと再婚する」と。
ふたりはW不倫の関係で、相手にも夫と息子という家族がいました。
しかしこれからは、相手の連れ子と生まれてくる子も含め四人で新しい家庭を築くと、父は母に言ったのです。

当然、母は父を憎み、母に味方する親族は辛辣に父を罵りました。
母方の祖母も、そのひとりでした。

祖母はわたしの姉のことは猫かわいがりしていましたが、わたしのことは以前から疎んでいました。
実家に身を寄せることを決めて泊まった初めての晩、わたしは祖母と母の口論を盗み聞いてしまいました。
「あんな男の娘を連れてくるなんて」「ここにあの娘は住まわせないよ」というその夜の言葉の通り、翌日祖母は、おばあちゃん家で暮らすと無理やりにはしゃぐわたしの頰を打ち「あんたなんかと暮らせるわけがない」と言い放ちました。

そのこともあって、母はわたしと暮らすための家を実家の近くで借りました。

母は、蹲るわたしの背中に何度も拳を叩きつけ、歯を食いしばって息を荒げていました。
「あの男(父)と目がそっくり」と言ってつねられたり「あの男と同じ歩き方をするな」と後ろから足を蹴られたこともあります。
「あの男のところに行ってもらう、それか施設にやる」と電話をかけようとしたり「あんたなんか産まなきゃよかった」「生まれてこなければよかったのに」と言ってくることはしょっちゅうでした。
包丁や裁ちバサミを持って追いかけてきて馬乗りになって振りかざしてきたり、目の前で食事をひっくり返されたり、風邪を引いて寝込んでいるところを蹴ってきて耐えきれず嘔吐したこともありました。
いちばん嫌だったのは、諦めたように笑いながら涙を流して、媚びるように「いっしょに死のう?」と縋られることでした。

ある日ふと目を覚ますと、寝ているわたしに跨った母に首を絞められていました。
そのとき、わたしはぼんやりした頭と凪いだ心で「ああこの人も可哀相な人だなあ」と思いました。


上記のようなことを、忘れまいとしているかのように何度も繰り返し思い返してしまいます。
そうでなくとも、日常のある場面をきっかけに思い起こされることもあれば、ぼーっとしているときに思い浮かんできたりもします。

何かにつけ自分の"かわいそう"な過去を引き合いに出しては他人と比べて落ちこみます。
問題が起きたり、とくに人との付き合いのなかで都合の悪いことがあったりすると「自分にはこういう過去があるからしょうがない」と思っているところもあります。

小学校低学年のときは毎日通学中に<効果的な自殺の方法>を考えていました。
それは"どう死ねば母を苦しめることができるのか"というものでした。わたしには、わたしが死んだことによって母が悲しむというビジョンがありませんでした。
きっと、人前では憔悴した面持ちで、多少なりとも自責や後悔の念は抱くけれども、その実、安堵を感じるところが大きいだろうと考えていました。だから、どう死ねば世間から"ほどほどに"母がバッシングを受けるだろうというところに思いを巡らせていました。
あまりにも責められるような状況になれば、母も間をおかずに命を絶つだろうという予想があったのです。それでは困ります。辛い思いをする時間は長ければ長いほどいいのです
わたしの死をもって母に後悔して欲しい。自殺がそのときのわたしにとって考え得る最大の"報復の手段"だったのです。
けれど、あるときを境に「なんでわたしが死ななくちゃならないの?」と考えが変わり"母を殺す"という考えに取り憑かれていた時期もありました。

ずっと「いつ死ぬんだろう(殺されるんだろう)」と不安を抱えていたので「死にたくない」と強く思ってきました。それは生きるための意地でもありました。

けれどもここ数年「死にたい」とほとんど無意識に呟いてしまうことがあります。その度に「死にたくない死にたくない」とひとり否定するのですが、嫌なことがあったりすると(首を締めて欲しいなあ)と思って自分の首を絞めてみたり、よくわからない不安で眠れない日に首を絞められている想像をすると、ほっとする感覚で眠りに入れます。

こういった自分をどうにかしたくて、セラピーを勉強して資格も取り、そのときはいわゆる"トラウマ"を克服したと感じましたが、揺り戻しというのでしょうか、以前とまったく同じとは思いませんが、やはり過去のことにこだわってしまう自分がいます。

もう疲れました。
少しずつ変わってきてはいると思います。けれども、いつまでこんな思いを抱えて生きていかなければならないのだろうと、足がずぶずぶと地面に沈んでいくような感覚があって、歩みを止めてしまいたいと思うことがあります。


ごく親しい友人には、いくらかのことは話していますが、深く相談することはできません。
こんな話をしても困らせるだけだとわかっていますし、なにより理解を得られるとは思っていないからです。

わたしには他人への信頼というものがまったくなく、親しい友人のこともつねに疑っています。
いつ裏切られるのだろう、というより、いつどこで裏切っているのだろう、という考えに近いです。
人は裏切るもの、という認識であり、それをしない人間を強く求めているものの、誰のこともそうとは思えません。
恋人がいたこともありますが、そのときも期待することを諦めてしまっていました。
わたしがはじめから"受け入れてもらうためにぶつかっていく勇気や力"を持たず、信頼する努力を放棄していたのです。
信頼したいとは思います。
でも信頼することは怖いし、まずそもそも信頼とはどうするべきなのか、その方法がわかりません。感覚がつかめません。

専門機関でカウンセリングを受けようと何度も考えましたが、一度身体を壊したときに心療内科で受けた対応があまりよくないものだったので、疑心があります。
処方される薬に依存してしまったら嫌だな、とも思います。

でも、受診して治療していけばこの状態から抜け出せるのでしょうか。

いつまで頑張ればいいのかもうわかりません。
頑張らなくなったら、死ぬしかないじゃないですか。
死ぬのはいやです。それが本心かも、もう分からなくなってきているのですが。