モヤモヤした気持ちを吐かせてください。
わたしは、学生時代から社会人になるまで約8年間心療内科に通い、投薬を続けてきました。
心療内科には自ら行きました。病院に行こうと思ったのは、母と口論になったときでした。
母とは普段は仲が良いほうだと思います。わたしは昔からいろいろなことを母に話をするタイプでした。
その日は、母と口論になりました。その時わたしは、自分の気持ちが抑えきれず感情的になりました。今までもそんなことは多々ありました。でも、それに加えて最近自分が何かおかしいと感じていました。電車やバスに乗ると冷や汗が止まらず、立っていられないほどの苦しさを感じる、友達もいて特に嫌な思いをしているわけではないのに、講義室の前のほうに座るのが怖いと感じる(自分の後ろに人が長時間いられることが苦痛)などです。そのことを人に話すことはできませんでした。昔からわたしは小さいことを気にしすぎるとずっと言われてきました。だから両親にはどうしても話せませんでした。でも、こういうことがあって自分が自分じゃないみたいでおかしい。精神科に行こうと思う、と話しました。母は精神科に行くことなんて恥ずかしい。説得すると、そんなこと言うこと自体おかしいから行ってくれば。と言われました。そして、その日に心療内科に初めて受診しました。
パニック障害、広場恐怖症、鬱。自分で受診しようと思えたので、まだ軽いほうだったのかもしれません。でも薬が自分の身体に馴染むまでの苦しさ、学校やバイトにも行けないくらいで、段々と自分の信用や居場所がなくなっていくことが本当に地獄でした。なんとか学校も留年せず卒業し、就職。今は、結婚し家を出ました。
主人は本当にわたしの全てを受け入れてくれ、どんな話でも受け止めてくれる人です。彼のおかげで、あの日から9年目にしてやっと断薬できました。心療内科に通っても、精神疾患になった原因が正直わからなかったのです。でも、今になって自分が一歩引いた視点で見れるようになって、大きなことではなく積み重ねな気がしています。
両親はわたしのことを今も昔も大切にしてくれています。大きな反抗もせず、俗にいうと平凡に育ってきました。でも、ずっと何かが引っかかっています。母は感情的になりやすく、手が出ることもありました。幼い頃、自分の思いをしっかり聞いてもらえた記憶はありません。母に突き飛ばされて家具の角で少し頭を切ったとき、父には話さないように言われたこともありました。わたしは物心ついたときから、ひどく泣くと手足が痺れ動けなくなります。今もそうです。全て普通だと思っていました。でも主人に打ち明けたとき、自分はそうならないと言われ、初めて普通じゃないのかもと思いました。口答えではなく、ただ自分の思いを聞いてほしかった、何も考えていなくて話さないのではなく、動けなくなる言葉が出なくなる。精神疾患の治療とともに両親にも少しずつ打ち明けられました。
もう大丈夫なはずなのに、人から嫌なことを言われたりされたとき 自分が嫌になります。そんな姿が母の目に映ったときには、そんな人の為にクヨクヨするなんて損。そう一喝されてしまいます。自分がもっと強くならないと、そうやって苦しくても笑って生きてきました。
善悪の判断はすごく大切だと思います。ただ、わたしには少し寂しかったのです。特に幼い頃には。共感してほしかった、自分はあなたの味方だと言ってほしかったのかもしれません。
自分の過去や現在と向き合う難しさを感じています。

長々とすみません。少し楽になりました☺︎