家族の前で本心を打ち明けてふるまえずどう付き合っていけばいいのかわかりません。
現在高校生の者です。最近になってようやく自分の母親が毒親なのではないかと思いはじめました。物心ついた時から母親が望むように、母親に指示された通りに行動してきました。母親の価値観は絶対で、母親の意見と食い違う見解は絶対的に間違っている悪い考えだと知らず知らずのうちに刷り込まれて育っていたようでした。私の母親は、経済的な支援こそしてくれましたが、それも全て母親の思い通りに動く、なおかつ世間からの評判のよい子供を持って自尊心を満たしたいためだけであって、子供の感情や考えを尊重してくれたことはおそらくほとんどありませんでした。母親は、たとえそれが母親の意見に対する反論ではなく、純粋に物事を違った視点から捉えた上での感想だったとしても、自分の意見と子供の意見が一致しないことが許せないようでした。母親は子供に、自分の意見への同意と肯定ばかりを求めていました。そして私は徐々に自分の思考を失っていきました。小学生の頃にはすでに、人生はこれから先も誰かの指示に従って誰かの期待を満たすためだけに生きていくものなんだと思い込んでいました。その頃にはすでにうつ病的傾向が現れていたように思います。友達関係でも無理して「いい人」を演じ続けて全く心のこもっていない耳障りのいい言葉ばかりをはきだしていました。それなりに友達と呼べる人はいましたが、本心から楽しいと思える関係は築けたことがありませんでした。中学生になってからも家族にも友人にも本心を、または本心に近しいものを打ち明けることは恐らくほとんどありませんでした。その頃はとても精神的に追い詰められており、毎日毎日学校へ行くのも苦痛でした。しかしそれを相談できる相手がどこにもいませんでした。その苦痛の原因は他でもない母親からの抑圧だったからです。母親の機嫌をとる為に自分の考えを放棄して母親の言うことに従順に従おうと思ってしまってからは、私は出来るだけ母親の言うことを忠実に聞けるように、自分の本心を押し殺しました。反対意見をそもそも抱かないようにしてしまえば、母親の言うことを心から信じていられれば、よりよい子供でいられると判断したからです。そして私は母親の肯定マシーンになり、徐々に喜怒哀楽を失っていきました。その頃の自分は何が原因なのかはわかっていませんでしたが、どうしようもなく毎日が苦しい、辛いという思いだけしか抱けていませんでした。小学校高学年から中学校、そして割と最近まで、ずっとそうでした。自分の人生に希望もなく喜びも楽しみもなく、ただ早く死にたいと思っていました。そして中学生の頃急激なダイエットをして体調を崩した事や、その後反動で過食気味になった時がありましたが、母親は深刻に取りあってはくれず、具体的な行動は何も起こしてくれませんでした。父親は仕事でほとんど会うことなく、母親は自分の感情を押し付けるだけで私の話を聞くつもりは全くなく、機嫌が悪いと当たり散らし、自分がそうなるように育ててきたのにもかかわらず「自分の頭で考えない」「何も考えていない」等馬鹿にするような暴言を吐いたり、機嫌がいいとさも自分が常に理想の母親でいられているかのように恩着せがましい、自分が気持ちよくなるためだけのアドバイスなどをして満足そうにしているのみでした。子供の状態なんて全く目に入っていなかったようです。最近母親が毒親だと気づき、自分なりに当時の状況等を振り返ってみて、そこそこ気持ちの整理ができてきたと思っていたのですが、ふとした時に当時の母親への憤りや怒り、そして誰にも相談できなかった寂しさや悲しさといった感情に飲み込まれそうになります。現在両親は離婚しており、私は兄と父と生活しています。母親の言動がおかしかったというのは兄と父と私の間では共通認識なのですが、父は私の当時の、そして今も当時の影響下にある精神状態を軽く考えており、また、幼少期から中々家で会う機会がなかったので、完全に心を許しきれていません。仕事に全力を尽くして家庭を支えてくれようとしているその姿には感謝しかありません。しかし、精神的に頼ることはできないでいます。何度か、過去の苦しかった出来事について相談しようとしたことはありますが、私の気持ちを尊重するよりは、自分の体験談や根性論的激励ばかりを送られて勝手に解決した気になられてしまいます。そして私も仕事で忙しい父親にあまり精神的な負担をかけたくない、重い相談を頻繁にしたくないと思ってあまり込み入った話はできずにいます。兄も同様です。兄も母親からの支配と抑圧の下育ったので、基本的に母親への愛と承認に飢えています。そしておそらく私にそのかわりを求めているところがあります。兄もまた、自分の話を聞いてくれる人を必要としており、自分の話の方へ意識が向きがちで、あまり私の話を聞こうとしてはくれません。父と兄の前でも作り笑いを浮かべ心にもないことを言ってしまう事が多いです。実の家族の前でも本心を出せません。父親に母親の代わりを求めるのは負担をかけすぎてしまうと思うのですが、それでも私の本心からの言葉を聞いてくれる存在が欲しいと、わがままを承知で思っています。このまま父親、兄の前でも適当に当たり障りのない会話のみをしたり無理して明るく振舞ったりし続けるのは嫌なのですが、こんな悩みを全て言えるほど家族に心を開けておらず、また聞いてくれなかったらどうしようかと思うと結局言えずにいます。家族に本音ってどこまでいうものなのでしょうか、悩みなどはどこまで相談するものなのでしょうか。
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イリス
π- 2018-08-13 00:57
少し共感するところがあったので、書き込みさせていただきます。
私の母親も「毒母」といわれる親で支配するのが大好きな親でした。
その背景には、父(母からしたら夫)と上手くいっていないことや、私に足に障害があるため一人前に育てなくては
というプレッシャーなどがあったと思います。
しかし、毒母になった一番の原因は、母の自己肯定感のなさ だったのではと私は分析しています
簡単に言うと「自分に自信がない」ということです。
母は自分に自信がないから、私を支配し、無力化することで自分を正当化したかったのだと思います
そしてその支配と依存の関係が成立するのは、私自身が「母親の意図を汲み取ってよい行動をしなければならない」
という考えの癖があったからです。
私には障害がある、だから母に助けてもらわねばならない、だから私はその代わりに
母親の理想どおりに生きねばと。でなければ、見捨てられると思いました。
私も自分の意思をことごとく否定されてきたので、そうやって刷り込んでいくんですよね。
しかし、母と私は別物の人間です、言ってしまえば「そのお腹から生まれただけの他人」なのです。
家族といえど「別固体の人間であり、分かり合えないのは当たり前」です
ですから自分とそれ以外の人との境界線をしっかり持った上で、完全に理解してもらえなくてもいい
とおもいながら少しずつ、話せることだけ話していけばいいと思います。
あなたのお母様が支配をしたがるのは、自分に自信がなかったり、あるいは自分も同じような環境で育ってきた
というのがあるのかもしれません。
文面を見るに、投稿主様はお母様の心の支配からまだ解放されていないのでは、と思います。
あなたは世界でたった一人のオリジナルの人間です、替わりになる人などいないかけがえのないものです。
自分は自分だという心とその境界線をもって、自信を持っていきていけたらよいのではないでしょうか。
私は4年ほど経ってようやく母の支配から脱却し、今は母と対等に話す勇気を持って
自分らしく生きていけるようになってきました。
投稿主様も、少しでも心が晴れる日が来るといいですね
私の経験からですが、参考までに。