死にたくなる時があります

ぼくの将来の夢はイラストレーターです
だけどその前に自殺してしまいそうで怖いです

いつからこんなことになってしまったかは覚えていません、でも多分きっかけは小さい頃に、両親が離婚してしまったところからだと思います
夏休みとか長い休み期間にはママに会えました、ぼくにはその時下に2人きょうだいがいました、2人はその時状況をわかっておらずパパにも説明されないままでした。

自分はその時にはもうママには会えないのだと気づいていて、でも誰もなにも言わないから自分は知らないふりをしていました。でも笑えなかったからきっとばれてたと思う。

そのまま小学生になり、パパは仕事が忙しいのかなかなか構ってはくれませんでした、しかも1番上の僕だけ。

暇な時とかは一緒に遊んではもらえたけれどスキンシップとかはむり、ママと喧嘩してたやつとなんか一緒にいたくありませんでした。

小学3年生になるとパパは家にあまり帰ってきませんでした、新しい彼女が出来ているらしくでもその人には結婚するまで会うことはありませんでした。
その前にも何人か彼女がいました、そのうちの1人は子供がいて一緒に遊んだりしました、そのときの生活が嫌いでした。

結婚して新しいママが出来た、そんなのいらなかった、前のママがいいのに、パパの勝手で
お母さんとも言えないしママとも言えないから名前で呼ぶしかなかった。

ある日いきなり新しいお母さんが家に住むことになった。帰って欲しかった。

しかも新しいお母さんには子供ができた、女の子、夜、夜泣きが凄かった、目が覚めると話し声が聞こえた、赤ちゃんが泣いていて新しいお母さんは怒鳴っていた。

最後にはクッションを顔にかぶせた様で鳴き声がくぐもった。その瞬間自分も殺られるのではないかと思った。

確かにイライラしたりするとは聞いていたけれどこれはビビった、しかもパパは止めなかった。

そして大震災、みんなが怖がる中自分は楽しかった、このままだと学校崩れるなーとかアトラクションみたいで楽しーとか、その時から自分の感情は壊れてた。

小学四年生、過食で激太りした、毎日馬鹿にされ毎日死のうかと思った。過食の原因はイライラやうっぷんを晴らすために、食欲を満たしていたからだ。

小学六年生くらいになるとほぼ毎日怒られていた、過食は止まらずどんどん太って行った、いつだったから忘れたけどまた赤ちゃんが出来た、次は男の子、なんだかパパと新しいお母さんとの間には壁があって赤ちゃんが出来たことでより強くなっていた。

そしてかまってもらえることはなくなった。あったとしてもあっちの家族中心でのお出かけとかだったし、ずっと表情作って赤ちゃんの面倒とか押し付けられた、1番上だから、1番上だから?生まれてからずっと1番上だからって言ってきて、全部ぼくに押し付ける、パパにだって笑顔作ってるのに。


中学生、地獄だ。勉強、部活、友達関係、全部失敗した。
まず勉強から話すね、今は中学3年生で受験が迫っている。頭は下の上、先生からも期待されていないだけあって、扱いが酷かった。

パパは頭がよかったみたいで、ぼくも同じ様になってほしいみたい、でもできないんだ、きっと病気みたいなものなんだと思う、うつ病みたいな。

パパは怒る時めちゃくちゃ痛くする、黒血なんて毎回だった、頭だって叩かれただから頭悪いのかな、自分の思い通りにいかないと暴力、これからも続くだろう。

進路相談の時パパはほんとは嫌だという頭悪い高校でもいいんじゃないかと言った、ぼくも入れるならそこでもいいんじゃないかと言っていたのだけれど、

「そんなとこに入ったら俺恥ずかしいからみんなに聞かれても言えねーわー」といわれ別の高校をさがしていたのだ、だけどパパはそう言った、つまりぼくが不出来だから捨てたのだ、誰がなんといってもほくは死ぬまでこう考える。

部活はバスケ部にはいった、弱小校なのだけどほぼ親友の友達が入るからついて行った、バスケは初心者で1、2年はレギュラーにもはいれなかった、2年生になると状況が変わった、

三年生4人で、1人はマネージャー、二年生は6人で一年生は5人、三年生が少なかったので練習試合とかは二年生から2人出れるのだけれど、二年生だったときに練習試合に出たのは数えるほどしかない。

二年生後半、先輩たちが1人の2年生をいじめた、センター候補で面白い子だったのに、その子は今も学校に来ていない、その子の問題はなんとか収束していったが三年生はなにを焦っているのか、練習中も怒鳴り散らす様になった、先生から何度か注意はされていた様だが一向に治らなかった、

そんな時ぼくが標的にされた、これも死にたいと思う理由の1つになっているのだが、ぼくは自分なりに先輩たちをお手本に頑張っていたのに、先輩たちはみんなでぼくをいじめた、

アップの最中はよく怒鳴られた、泣くこともしばしばだった、練習試合のときも応援が聞こえないとか言って怒鳴る、実際先輩より声が大きいので聞こえないことは無いはずなのだ、

ある日の練習試合当日、ぼくは熱があったけどここで休んだら先輩たちにまた何か言われると思って無理して行った。その日は少し遠出をして山向こうの学校に行った。

現場につくと具合が悪くなってきた、先輩たちに今日は熱があったけど来たと言うと面倒そうな顔をされたけど理解している様に見えた。試合が始まり応援をしだした、

隣にはいつも先輩と一緒に試合に出ているはずの友達がいた、今日は膝がジャンプできないほど痛くておやすみらしかった、ベンチにはマネージャーの先輩とぼくと友達だけだった、

応援は三人だったが先輩とぼくは声が大きいから普段なら問題なかった、でもぼくは熱で頭が痛くなっていたし友達も喉が痛くて声が出なかった、試合後、先輩はぼくと友達を罵倒した、

先輩が持っていたシャーペンは折れた、自分で床に叩きつけて、そんな時でもぼくはシャーペンかわいそうと思っていたのでやっぱり熱で頭がおかしかった、

怒り疲れた先輩は泣き出して僕たちが悪いみたいになった、他の先輩達にも睨まれた僕たちはステージ裏に引っ込むことにした。
友達は泣いていた、

普段先輩たちにちやほやされていて怒られる側ではなかった友達は相当ショックを受けただろう、その後先輩たちは舌打ちをしながらも許してくれた様で、熱が悪化したぼくは帰ることになった。

そして三年生、部長になったのは親友同然の友達だった、その友達は部長なのに後輩にアドバイスなどはしないという有様だった、挙げ句の果てには人を思う心がないのか嫌なことをたくさん言ってきたりした。

だんだん気持ちが離れていくのを感じた矢先、自分のミスで足を捻挫した、生まれてこのかた大きな怪我はしたことがなくて、せいぜい転んだ傷とかが大きな怪我だったくらいだった、

捻挫中はボールも触らせてもらえず、ずっとみんなが走ってるのを見るだけだった、その時から部長からのいじめが始まった、周りの人も同調して一人ぼっちになった、

だんだんエスカレートしていってついにはみんなが練習中なのに部室で泣き出してしまったことがある、その日から部活には行かなくなった、そして転部した。

人間関係はもう初めから決まっていたのだけど、みんなに避けられていて、しかも自分が本当に友達と思える人はいない、笑顔なんて全部嘘、ありがとうも全部。

自分が自殺に走りそうになるのはママがいない喪失感から、今の自分の頭のよさなんてママがいたらいくつかは変わっていたはずだ、無理やり奪ったくせに、

おぎなえだなんてひどい話だ、今自分がこんな考え方になっているのもママがいないから、慰めてくれる人がいないから、これを書きながらぼくは悲しい思いに浸っています、泣いてもいます、…、

これが書き終わったらきっとぼくは死ぬことを考えていると思います。将来の夢を叶えるまでは死ねません、だれかぼくを助けられる人はいませんか?