嫁いびりが異常な家で育ちました。母親が京都の人間で、姑である祖母からいやがらせを受けたり、子育てに関与するな、と邪険に扱われてました。母親は京都の祖母に電話で話を聞いてもらっていたりしていましたが、その京都の祖母が癌で亡くなり、母親の心の拠り所が無くなったことで今までの堪忍袋の緒が切れ、祖母VS母親のような家庭崩壊に近い溝が出来ました。父親もずっと母親の力になれるように努力していましたが、父親も堪忍袋の緒が切れいい加減にしろ!と暴れたことがあります。京都の祖母が亡くなったのは私が小6の頃、父親が暴れたのは中学生になった頃。私は三姉妹の真ん中なのですが、1番多感な時期に目の前で父親が暴れ、この家にいたくない、絶対家を出てやる、と決意しました。
そして時は流れ高校受験のことです。祖母の口癖で「私の母、あんたのひいおばあちゃんの代から某女子校(ここでは伏せます)卒業してんだ。お姉ちゃんも受かったんだからあんたも頑張りなさい。」と、特に行きたい学校でもなければ学力も足りない学校を受けさせられました。案の定不合格、滑り止めで受けた私立高校に進学しました。「あんたは金のかかる娘だ」と祖母だけでなく祖父にもネチネチいびられ、心を閉ざしてしまい、学校でも友達が出来ず、半年近く学校にも家にも居場所がありませんでした。
そして大学入学を期に上京、それから約7年、ずっと東京にいました。4年生になり就活、なかなか決まらず最終的に介護の仕事に就きました。が、腰を痛めたりと色々あって、元々行きたかったデザイン業界に入ろうと転職を試みました。派遣で夜勤しながらアルバイトと学校に通っていたのですが、今年の3月初めに「うつ病の傾向があります。休養を勧めます」と初めて行った心療内科で言われました。正社員で働いてた頃から症状はありましたが、なかなか病院にも行けず休む勇気も出ずにずっと過ごしていました。そこで3月いっぱいで派遣やアルバイトのかたをつけ、4月より2週間程度休養として地元の茨城に帰ってきました。私は休養のつもりで帰ったのですが、父親から「仕事探してる身なのに面接に行けるような服も持ってきてないとは何事だ」と怒られました。とりあえず休みたくて帰ったのに…。これは私が甘いのか父親が正しいのか、正解が分からないです…。
帰省して1週間でもう既に東京に帰りたいです。お金はないけど家に居たくない、仕事もまだ見つかってない、この先どうすればいいのか分かりません…。