今回は私の家族について考察をして見ようと思います
昔に比べ 母の過干渉は劇的に減りました
両親が離婚し 家庭崩壊のような状態になった私の家族

どうしてそうなったのか 母はどうして過干渉になったのか
そういったことを考察 検証していきたいと思います
自分の親が平常でなくなったメカニズムを知ると 扱いやすくなりますし
うまく付き合えるようになっていきます
そういう観点で ちょっと同じような境遇の人は参考の一つにでも 軽く考えていただければと思っています

あくまで私の経験と 仮説と 色々調べ上げた知識からなので
学生の小論文を見る感覚でサーと見ていただければと思います

まず家庭崩壊へとなっていった要因の一つ 一番大きなもの
・ 父の勤めた会社の倒産

父親は仕事のできる実力をもつ人だったんです 実際父が仕事ができる技術を持つ人間であることは
娘の私にも分かりました
しかし 景気に左右されやすい職種で バブル崩壊後 家計は一途に苦しくなりました

会社が倒産したことで 父親の雇用状況が 悪くなりました
そうすると 父が上司に言われたストレスを 母親にぶつけるようになるんですね
それでもって 母親も一気に家計を切り詰めていかないと 生きていけない
ぎりぎりの状態だったので それはストレスがたまりますよね

それが私が幼稚園のときでした
母親と父親が 私達姉妹の目の前で 平手打ちの喧嘩を始めました それが始めて見た夫婦喧嘩でした
姉と私は怯えながら やめてよ といっても聞こえない 私達姉妹は怖くて肩を震わせながらそれを見ていました

まず父は自分のストレスを 自分で昇華できず 家族にやつ当たる性質でした
それは何故なのでしょうか そこから検証していきましょう

父親は元々ストレス耐性の少ない人間で 刺激に敏感でした
恐らくこれは 父が私同様HSP体質だったからだと思います

そして父は暴力を振るったり暴言を吐いたりしました
それは何故なのか

 それは恐らく自分の父親(私の祖父ですね)が同じ事をしていたからです
父の育成家庭を細かく聞いて反芻して見ました

すると 父の父(私の祖父)はご飯一粒残しただけで殴る
「物を取って」 というふうに敬語を使わなかっただけで殴る
ご飯を食べたくない といっただけで殴る 極寒の外にほおりだす
とにかく 異議を唱えようものなら暴力 というのが 当たり前の環境で育ったようです

そうするとやはり 躾=暴力
逆らうのなら 暴力でねじふせるのが 正しいとか 手段の一つ
私の父自身が そういう教育方法しか知らないわけですから 自動的にそういうような
教育方法 家庭環境 になっていきますよね

正直そんな父が 可哀そうだなと思います
そしてそうなった原因の中に 父親が末っ子
というのもあげられると思います 
末っ子の方なら分かると思うのですが 
末っ子って ストレスのサンドバックにされることがあるんですよね

父親は元々気が弱くて 父親の育った家庭そのものが血の気の荒い傾向だったので
相当 色々言われたんだと思います
父親は 好きな分野に対しては 本当に天才だったのですが 勉強は全く出来なかったんですよね
そこがかなりコンプレックスになっていて 自分のことを馬鹿にされたと過剰に反応する父でした。

そういうことを父の父に文句付けられたり したい事が父自身出来なかった環境のようでした 
実際幼少期にアニメやゲームをさせてもらえなかったから
大人になって アニメとかよく見てました

そんな環境から 父は 暴力的になって言ったのだと思います

次にどうして母は過干渉になったのでしょうか

ひとつは 私が 身体障害者だったこと
身体障害者って言うのは やっぱりなかなか理解してもらえなくて
私は一般の学校に通っていた時期が長いので 普通の教育環境を整えてもらうだけで
相当周りの大人と話し合わなければならなかった
そういうのが 母は本当に大変な思いをしたんだと思います
だからこそ 自分の娘には 嫌な思いをさせられない この子を守らなきゃ
そういう気持ちが過剰になって言ったのでしょう

もうひとつは 父が子供の教育に参加しなかったこと
父は子どもの私達の目の前で 子供はお前(母)に任せているというような人だったのです
そうすると 価値観が 母に固定され 多様化しなくなるんですね
そうすると 母は自然と父親の役割をしなきゃいけなくなったり ダメダメといわざるおえないような
環境になってしまうのです
これも過干渉を加速した一因でしょう

あとは 母の育った環境

母の育った環境 母の母 私の祖母は 一人では何も出来ない人
と語っていました

母自身 自分の母親のことを 相当甘やかされて育ったんじゃないか?といっていました

母は自分の母親を 頼りに出来なかったと語っています
会話もないし 自分の親が家事をしているところを全く見た事がないそうです

母は子供の頃 気づいたときには自分で独学で家事をしていた というようなことを話しているのです
ご飯もまずくて 作ってもらった記憶がほとんどないと。

今の時代なら 立派なネグレクトですよね

そして母自身が 自分の親に 誉められたことも 怒られたこともないそうです
可哀そうですよね
ほめられた事がないわけですから 誰かのことをほめたり出来ない 自分を誉める 
肯定する方法しらない 怒られたこともないから 自分を客観視する力も付かないでしょうし

何より自分が愛されているという感覚を 育む事が出来なかったといえるでしょう

そういうところから自分を正しく愛する事ができずに
依存体質になっていったのではと思います

叱られたりほめられたりした経験がないということは 反抗をする機会もないでしょうから
自分の意思を明確に持つということも 難しくなるかもしれません

実際母 は「子供は何でもいうことを聞くものだと思っていた」

といっていたのです これは 自分が親に反抗したりした機会を得る事が出来なかったからだと思います
この固定観念は 過干渉を加速させた一因といえるでしょう
母は自分が子供のときに反抗した経験を持たないので 子供はいうことを聞くのが当たり前なのだろうと
思ったと考えられます

子供は何でもいうことを聞くもの と私の母は思っていて 子供は意思がないというような考え
をもっていたようですから 自分に子供が逆らう等現象が想定外でしかなく
自動的に自分の言うことを聞かせるという事が 前提になっていったんだと思います

何より 母は自分の親が頼りなかったと語っているので
ずっと奥底に不安を抱えて生きてきたのではと思います
母が一番頼りにしていた人物は? と質問すると 母は 元夫(私の父)と答えるのです
つまり 母にとって 自分の夫は 自分の母親と 同意義な存在だった といえるのかもしれません

母は自分の実家のことを 会話も全くない家庭 今考えると 実家が少し息が詰まるようだった
と話しています 

母はそんな生い立ちから 自分の家庭に関するコンプレックスを抱えているようなのです

会話の絶えない 平穏でにぎやかな家庭 というものに
途轍もない憧れを抱いていたようなのです

しかし 蓋を開けてみると 自分の築いた家庭は 最初の頃こそ 笑顔の耐えない家庭だったのですが
どんどん間逆に転げ落ちていったわけです
そうするとその圧力が どんどん私にかかってきたんですよね
なにより夫が暴言を吐いてくるわけですから ストレスが積み重なっていく

依存体質な母は 姉ではなく 私に圧力をかけてきました
それは何故でしょうか

母にとって 私の性格基盤が自分に似ていたから
そして 自分に自信の無い 依存体質なは母は 私に依存したかったのでしょう
そして自分のストレスを解消する相手が必要だった それが私。

母にとって 私はもう一人の自分だったのです

物事に反論しない 大人しい 真面目 勤勉 そういうところが
母は私の事がもう一人の自分に見えていたのだと思います

母にはこの時点でもう一つのコンプレックスが生まれてしまいました
それは 自分の家庭作りに失敗したというコンプレックスです

そこから過干渉は一気に加速しました
母は 自分の夫に頼れないし 姉は出て行ってしまったし
依存対象が私しか居ないのです

母が過干渉になったのには 自分のような失敗をさせたくない
自分の手元に依存対象の私をずっと置いておきたいそんな気持ちがあったと思います

そして自分が子供の頃 親に甘えた経験がないことから
自分が親にして欲しかったことをやっているつもり なのかもしれません


私は就職活動を 公務員しかさせてもらえませんでした

何故なのか よく聞いてみると 「 もし将来結婚して離婚しても食っていけるように 」
でした
そして何故母は私にだけ厳しいのか と聞くと 貴方は言うことを聞くから
でした

こんな母から過干渉を脱するのには
かなりの時間を要しました
次はどうして私が母の干渉から脱したのかを書いていきたいと思います

今回は親が過干渉になるまでの背景を書きましたが
過干渉になるのには その過程で必ず理由があると思います
自分の親の過去を聞いていくと何かしら ヒントがあるかもしれません

最後まで読んでくださった皆さんありがとうございました