好きなことを仕事にしたり、資格をとって仕事をしてる人に強烈な劣等感を感じながら20代を生きてきました。自分は、好きな仕事はバイト止まりで、地盤を作ろうと入った医療系の学校は強迫性障害を発病して中退していたからです。
自分が許せませんでした。もしも何か努力をしていれば私はどこまでやれたのだろうという思いがずっと付きまとっていました。

同い年の彼女たち(同級生や従姉妹など)のように、外国や好きな地域で自分の好きな仕事をできていたのではないかと思うと、自分は一体何をしていたのだろうと常に思っていました。それなのに、思うだけでした。

小売のパートと好きな仕事(カメラマン)のバイトの掛け持ちの日々でした。どちらもそれなりに頑張り、小さな結果を出すこともできていましたが、30歳になる節目に、怖いけれども好きな仕事に一本化しようと決心し、同時に憧れていた地元から出るということもしようと決めました。
(イギリスに行きたいという考えもありましたが、余りにも目的も薄くお金も無く憧れしかなかったので、現実的ではないと諦めました)

でもそれも一苦労でした。都会での恐ろしい事件の概要を知ってしまったり、怖い事件のニュースを見るたび、私もああして死ぬのかもしれないと思って、なかなか決心できませんでした。
それでもやろうと思ったのは、小売のパートが限界だったのもあります。常にイライラして、自己治療ではどうにもならなくなり、強迫性障害から約10年ぶりに心療内科にお世話になりました。不安性抑うつ障害と診断されました。
であれば、すぐに治療を始めれば、数ヶ月後には動けるようになってるはず、なっていなければと思い、治療と同時に引っ越しと転職に向かって動き出すことにしました。


ただ、私は昔から要領が悪く、覚えも悪く、人の顔色を伺い、人に依存的で、趣味でも仕事でも好きなことのはずなのに全力を出せずやる気が出ない、集中できない、なのにプライドだけは高い、自分に甘い、周りの人のアドバイスを生かせない(例えば写真投稿してみたら、と言われても遠いことのような気がしてやらない、など)人に言わせれば言い訳が多い、自己中だと、そうして過ごしてきました。
なんて出来損ないの怠惰なクズなんだろう、と思いながら生きていました。

楽しいと実感するのは、バイトの時に会場を走り回り、画角を抑えて思い通りの写真が撮れたときでした。
それも、勉強をしたというよりは、カメラの機能をこう弄ればこういう写真が撮れる、という野生的な覚え方でした。本を読んで知識として頭に入れようとしても、入ってこないのです。

それでも、とんでもない罪悪感と引き換えに小売のパートを辞め、物をどう片付けたらよいかわからない(これも病気でしょうか)ながらも引っ越しの準備をなんとかして、怖い、怖い、でもやらなきゃ、と思いながら、周りに背中を押してもらい、東京でまさか受かると思わなかったハイレベルな就職口に入ることができ、引っ越しもできました。

だというのに。
入ってすぐの今に、あまりのレベルの高さに、あるいはわたしのレベルの低さに、ついていけなさを感じています。
わたしの気づかない根本がダメなことに加え、甘さや傲慢さ、下品さ、だらしなさを数週間で見抜かれてしまいました。恥ずかしく、いたたまれません。
ハイレベルなお客さまを相手にする仕事だということを認識しなければならないのに、どうしても心の寄り添い方を今までの小売と同じようにしてしまいます。上に言わせれば要するに田舎臭く安っぽいのだそうです。
小売のパートのときも、その前の時も、なかなか仕事が覚えられず、空気が読めず、苦労したことを思い出しました。
ここで辞めたらまた自分を嫌いになってしまう、せっかくここまできたのに、でも、そもそも形態が向いてないのかもしれない、などと色々と考える中、上司からは1ヶ月で見切りをつけられてしまいました。余程酷かったのでしょうね。研修期間が終わってもカメラは持たせられない、研修期間は伸びる、と言われてしまいました。

カメラマンとして何を撮りたいか、それすら曖昧なままでいます。でも、作り込んだものより、素材そのものを愛せるようなものを撮りたいと思っています。

今の会社には居られなくなるかもしれません。
それでもカメラマンという仕事から手を引くのは嫌だとおもう自分がいます。
最早プライドと意地なのでしょうか。「カメラマンなら周りに示しがつくから」だという潜在意識が自分にあるとしたら嫌悪感で吐き気がします。元々自分が大嫌いなのです。「周りの意見を取り入れられない出来損ないの怠惰なクズ」ですからね。

私は一体何と戦っているのでしょうか。周りは、食べていければいいじゃない、とか、頑張っているじゃない、とか、言ってくれます。それでも、努力を「すれば」どこまで行けたのか知りたくて、しがみついているだけなのかもしれません。努力をする自分への厳しさや集中力を持てないというのに。

この、「努力をすればどこまで行けたのか知りたい」「最終目的地がわからない」にも関わらずプライドばかり高いのはどうにもならないものなのでしょうか。自分が好きになれません。
希死も少し薄れてきたと思っていたのに、また復活の兆しを見せています。

だから何を相談したかったの?という文章で申し訳ありません。
スタッフ様にはお忙しい中大変申し訳ありませんが、この拙い文章を読んで、何かご意見があれば頂戴できればとおもっております。
よろしくお願い致します。

追記
毎日、えづきと吐き気が止まりません。また、よくぼたぼた泣きながらとぼとぼと帰り道を歩いています。惨めです。東京になにをしにきたかわからなくなっています。自分の努力が足りないくせに、悲劇の主人公ぶってる気がして、それもまた嫌いです。母には発達障害の気があると言われました。でも、だからどうしたらよいのでしょうか。抱えて生きていかねばならないのです。死にたいと思うこともあります。

再度追記
依存心が高いところも嫌いです。遠距離で付き合っている彼がいるのですが、弱音や甘えたことをいうのは、わたしが子供だからだそうです。あちらも会いたいのは同じだけども、大人だから我慢して自律していると。
遠距離で、新しい環境で、寂しくてつらくて漏らしてしまった言葉や、少しの甘い言葉をねだるのもおかしいことなのでしょうか。
依存心が高い自覚があるので、言わないように我慢しようとしても、どうしても出てしまいます。受け入れてもらえなくて、どうしようもなくかなしい。母も彼と似た感じですし、相談できるような友達もいません。
ひとりぼっちです。

再々度追記
彼氏と別れてしまいました。促した形ではありますが、振られた側です。
友達として応援すると言ってくれましたが、わたしが友達として見れると思っているのでしょうか。
そして、やりとりの中で、仕事に関する心構えの話題が出て、彼の一言にカチンときてブチ切れてしまいました。これで未練がなくて清々する!と、思わなくては。思わなくては。と、思っています。

また追記
あっ、どうしよう。ちょっと疲れてるだけで、仕事もそこそこ上手く行き始めた、母が来て色々世話を焼いてくれた、彼のことはそこまで気にしていない、休憩中でお腹はいっぱい、自分で楽しみも作らなければと用意した、なのになぜ、つかれたな、しにたいなと思っているんだろう。ふわふわとした目眩も取れない。

またまた追記
死にたさが止まらない 疲れた 手の湿疹や目眩 えづき 異常な眠さ おさまらない
現実逃避 ロンドンへの憧れが捨てられない たまに仕事で行ければいいやと思ってたはずなのに 自分を誤魔化してたかもしれない
外国でフリーフォトグラファーとして一人で仕事できたらどんなにいいか もう会社に属するのに向いてない 足手まとい 役立たず 自分だけなら自分にしか迷惑かからない
でもそう思うたび無理に決まってんだろって嘲笑う自分がいる どちらかを殺さないとずっと辛いまま どっちを殺そう 勢いあまって本体が死にそう 今心スカスカで寂しくて悲しくて死にそうだし しにたい
(仕事が終わったら)
わりと今は落ち着いてます。1日の間で情緒が変動しすぎで、疲れます。というか、ふつうに考えておかしいよなあ

またまたまた追記
今日もメンタルがおかしくて他人に愛されない寂しさと自分の仕事のできなさに落ち込んで死にたい…とつぶやいていたのですが、そこに少しだけ悔しいと感じることができてまだ完全に心が死んでなくてよかったなと思いました。
というところに、一月から正社員になるかそれとも試用期間を伸ばすかという話を社長からいただきました。余りにも社会常識が弱いから最初の契約よりお給料は下がりますし、現場の方々は正社員には相応しくないと思っているそうですが、やらせてくださいと言いました。
この弱ったメンタルに引きずられてマイナスな選択をするのはおかしいと思えたからです。
とにかくこれでカメラがあと1ヶ月で持てます。
ついていけるのか不安でしかありませんし、今度こそ心が折れるかもしれません。でも、世間知らずで周りに迷惑をかけることにはなりますが、迷惑かけてすみません、でもがんばります、というのがきっと今のわたしには正しいと信じてみることにします。

12/5 午前3:36
4時間泣いてむせて咳き込んで透明な胃液を吐いて泣き叫びながら何度も何度もハサミをダンボールに突き刺していました。やっと落ち着いてきました。叫んでいた内容としては、なぜまともにできないのか、なぜ普通に仕事ができないのか、どうして、なんで頭が回らないんだ、うまく考えられない、という感じです。
最近では、全く別な作業中に初めて電話対応を突然指示され、近くで聞かれている緊張と突然のことで焦った挙句言葉使いを指摘されました。また、わたしだけの責任というには納得が行かない仕事のミスで叱られ、でも黙って謝っていました。
そして、うまく仕事を回せないことにもお叱りを受けました。
頭が回らない。焦るとうまく説明ができない。優先順位が簡単なことでもわからない。
まともに生きていけない、社会人としておわっていると思いました。
正社員になってこの調子だと病むほど叱られるそうです。当然ですよね。
もっとまともになりたかった。もっと冷静に整理して物事を考えられるようになりたかった。
ハサミは怖くて手首に突き刺せず、表面をなぞるだけでした。母に買ってもらった物だと思うとそれ以上できませんでした。

ずっと怠さと眠気と、咳がとまらず、最近はそこに上半身の芯と手と噛み合わせの震えが加わりました。この症状は知ってます、以前心療内科に通っていたときに出ていました。
なんだか妙に冷静です。悪化しているんでしょうかね。なんだかそこに関してはどうでもいい気がしています。それがあっても、とりあえず稼がないと生きていけない。でも、周りに迷惑をかけないと働かない。苦しいです。辛いです。ついていけない、本当はつらいと言ってしまいたいです。でも、正社員にするためにさまざまな手続きを忙しい上司たちにさせてしまいました。わたしが正社員にしてくださいと言ったせいです。言わなければ、やめておけばよかったのかもしれません。もう何が何だかわかりません。どうしてこんなに泣いて叫んで吐いてひとりぼっちでのたうち回っているのでしょうか。限界というやつでしょうか。でもまだ冷静になれるし、結局自分を保たないと生活ができません。今の仕事を辞めてもまた次のところでもまともに仕事が出来ず、迷惑をかけるのでしょう。そうなるくらいならいっそそこに存在したくありません。今の会社にも本当は存在したくない、写真、撮りたかったなあ