自分が誰に対して嘘をついているのかわかりません。
自分に対して嘘をついているのか、他人に対して嘘をついているのか。
それが分からず本当の思考回路も嘘なんじゃないかと疑ってしまいます。

他人の前で笑っている自分は嘘で、
他人の前で笑っている自分を庇う為に更に違う嘘をついて、
更に違う嘘を否定するためにまた嘘をついて、
どれが本当の自分かわからなくなりました。

気持ちが昂って整理がつかなくなった時、SNSでアウトプットしてしまうのですが、そこに自分が書き込む意味が自分でもわかりません。
自分自身をかまってちゃんだと思っていたのですが、普段会うくらい仲のいい友人は私の精神の振れ幅を知っているので何も言いません。
私からもどう思ってるのか聞きません。
それならSNSに書く必要はないのでは?と思ったのですが、文字を書くという行為はしたくなく、手軽に消せるSNSを多用してしまいます。
SNSの文章もいつも長くなるので、読み飛ばす人がほとんどだと思います。

ただ、書いている理由でひとつあるのは、自分と関わって欲しくないという気持ちです。
仲のいい友人は読んだところで対応は変わらないし、親しい人ももうこれ以上いらないし、薄い繋がりの人が「この歳でまだこんなことしてんだ、呆れた」って思ってくれればいいとまで思います。

ですが、これだけでSNSに書く理由にはならないのかなとも思います。
なんの為に書いているのか自分でもわかりません。

また、SNSへの書き込みと同じく、リスカをしてしまう理由もわかりません。
リスカに甘えているのはわかっています。
別にそこまでしんどくない時や、波が来て落ち込んで、少しおさまったかなという時も「リスカしなきゃ」と思ってしまいます。
リスカをすることに対して後悔があるのかないのかわからないのですが、あー、こんなこと辞めなきゃ、と思えたことがありません。

それなのに確固たる意思があってリスカをしている訳でもなく、手軽な苦痛に逃げているだけなことをわかっていながら繰り返してしまう理由がわかりません。
逃げることに逃げている、という表現が1番正しいと思うのですが…

夏に長袖を着用したりはしないのですが、クセで無意識に腕の内側を見せないようにしています。
長袖を着ていて、室内が暑くて何も考えず袖を捲ってしまった時も、気付いたら下げるようにはしています。
生傷状態の時も傷が瘡蓋になるまでは絶対に腕を出しません。

リスカに関してはかまってちゃんでもなくただ自分のため、既に残った痕で陰ながら引かれている経験がありその時は悲しさを覚えたにも関わらず、やめられないのはどうしてでしょうか。

日常生活から思考回路まで、すべて、自分がもうわからないです。