同性愛に関連する事柄が含まれることにご留意ください。
 お世話になっております。ダーウィン結節です。いつぞや見かけた「女の子が先ず身近な同性に恋心にも似た憧れを抱くのは、来たるべき運命の異性との恋愛の練習のためなのだ。」という趣旨の文章がずっと頭に引っかかっています。
 私は女性で、性別に違和感はありません。また、異性愛者です。厳密に言うと、異性愛者としておくのが、一番違和感が少ない上に生きやすいだろうからそういうことにしておきたい、という具合です。最もしっくり来るのは、女性なのは間違いない、性的指向はほぼ異性愛だろうが能く分からない、という説明です。回りくどい言い方になるのは、高校時代に同性を好きになったかもしれないからです。
 高校は女子校で、好きになった(断定しかねている)人(以下Iとします)は、
・当初より受験校のレベルを下げて、私の第一志望校に入学した
・博学で、優しくて、面白い
・ボーイッシュとまではいかないが格好良い
という人でした。憧れと恋愛感情を混同していたのだと一笑に付されても仕方ないと思います。私もどこかでそう思っています。詳細は省きますが、片想いが何となく終わった後、同じ大学の先輩(男性)に告白されて、付き合うことになりました。相手の学業が忙しいとのことで別れることになってしまいましたが、とても良い思い出になりました。この一件で、Iへの思いは思春期に能くある気の迷いと結論付けた筈なのに、「女の子が……。」という一節に、もの悲しい、もの寂しい、疎外感、急き立てられるといった感じがします。ずっと、所謂恋バナについていけませんでした。小・中では、誰かを好きになるという感覚自体が分かりませんでした。Iへの思いは、本来もっと幼いうちに経験する筈の疑似恋愛だったのでしょうか。
 彼女が男だったら付き合いたい、というより、彼女と付き合いたかったです。一言、
「月が綺麗ですね。」
とでも言えていたら、と今でも思います。今までで一番輝いていた高校時代の象徴が彼女だったというだけの話なのでしょうか。信頼できる人に、能くある勘違いだった、と話してお終いの筈だったのに!
 もう何に悩んでいるのかも判然としません。いつも以上に纏まりのない文章ですみません。もし痛覚に変換されるとしたら、相当痛いです。
 読んでくださってありがとうございました。