お返事お待ちしております。特にお子様をお持ちの方や、子供が好きな方は閲覧しないことを強くお勧めいたします。

こんにちは、ダーウィン結節です。いつ頃からか定かではありませんが、赤ちゃん〜未就学児くらいまでの小さい子に強い嫌悪感を覚えてしまいます。

そのくらいの子がいる家族連れにも同様の感情が湧いてきます。なお、小学生くらいの、日本語でのやりとりがある程度できる年齢の子には特に何とも思いません。

恥ずかしいながら、昔から、赤ちゃんや小さい子を特段可愛いと思った記憶がありません。友人の家族の赤ちゃんに会いにいった時も、可愛いというよりは馴染みのない生き物を興味深く観察するような気持ちでした。(これが噂の自然微笑か、だのモノの重みじゃないなあ、だの。)それでも、ある時までは小さい子を見ても何とも思わない程度で、嫌悪感まではありませんでした。いつからか小さい子の泣き声は耐え難い苦痛に感じますし、電車を待つ列の中に家族連れがいたら車両を変えるくらい嫌です。途中駅で乗り合わせるとどうしようもなくイライラしてしまいます。(お喋りに夢中になってついつい声が大きくなってしまった子を親御さんが諌めている場面は、寧ろ大変そうだなあ、別にそこまで問題じゃないよ、なんて思います。

制御のしようがない年齢の赤ちゃんが泣いていると、泣き止ませることなど不可能なのは知っているが、だからといって……。と腹立たしく思ってしまいます。)

 生来、聴覚が少々過敏なところがあります。泣き声や燥ぐ声は、ノイズキャンセリングイヤホンを使うことでかなり苦痛を軽減できています。しかし、イヤホンをつけて、安心できる状態で電車やバスに乗っても、子連れの人を見ると嫌悪感が湧くのは変わりません。ショッピングモールで、子供が飽きて泣いているのもかまわず買い物を続ける人を見ると、そこまでして?などと酷いことを考えてしまいます。そんな私の方が場違いな人間なのでしょうが。

 ネット上にあった記事に、「子供が嫌いな人は精神的に未熟」「発達障害の可能性」といったことが書いてありました。一つ目は否めないから良いとして、二つ目は、明らかに侮蔑的な書き方がなされていて、伏せ字にした方が良さそうな言葉が沢山浮かんでしまいました。
 「子供が嫌いな貴方も昔は子供だった。」「貴方も迷惑をかけて大きくなった。」「子育ては大変なのだ。」「子を持てば大変さが分かる。」
その通りでしょう。何も言い返せません。人でなしと言われている気分です。実際、そう言う側にとっては人でなし以外の何者でもないのでしょう。
 
生存や種の保存に有利な性質を持った者が生き残ってきました。小さい子を好きになれない私はその観点において特に、邪魔者でしかないでしょう。
「産めば変わる。」
というのもよく聞きます。

しかし、私のような性質を持った人間を産んだところで、きっと生きづらい人間を再生産するだけのことです。私の一存で、辛い人を生み出したくはありません。

子の自己肯定感をしっかり養って、他人にも自分にも優しくできるような子になれるよう努めて、勉強を楽しめるような土壌を整えて、本人の力さえ足りていれば如何なる進路を希望しても支えられる状態を作って……。

子を持ったことのない私が思いつくだけのやるべきことが、既に私のキャパシティを超えています。絶対、もっとやることはあります。できないことをやるつもりはありません。
 
大好きな人が初めてできた時、この人との子供が欲しいとは思いませんでしたが、大好きなこの人の遺伝子が残ってほしいと強く思いました。

無論、子を持つ意義は人の数だけあるのでしょうが、子を持ちたいと願う人の気持ちにほんの少し近づいたような気がしました。「子供とは愛の結晶である。」なんて所詮綺麗事で、欲を良いように言っただけだと思っていた中学生くらいの頃からは、多少変われたと思います。それでも、ついて回る諸々を考えたら、到底子を持つなど無理です。産めば変わるなんて簡単に言われても、と思ってしまいます。

 こうなった心当たりはありません。こんな状態で、生きるのが面倒臭いです。嫌いなものは少ない方が良いに決まっています。好きになるのが難しくても、嫌悪感だけでも除けたらと思います。
 無茶だとは思いますが、受け止めていただけたらと存じます。長文、乱文失礼しました。