今私は中学校2年生の不登校です。
不登校になった理由は、中学校1年生の頃、起立性調節障害を発症し、そこから不登校となって行きました。
問題はここからで、小さい頃から両親から変な育て方?で育てられてきました。…と、いうより変な環境で育てられてきました。
父親と母親は家庭内別居状態で、何か用があれば私に「お父さんにあれ渡してきて」「お母さんにあれ渡してきて」と、わたしをつてで何か接点があるぐらいでした。
あとは喧嘩。朝起きると2人が蹴りあったりしていて、それを布団から覗き込んで怖くて泣きそうになったのを覚えています。
でもその頃はうちはそうなんだな、みたいな感じで気にせず過ごしていたのですが、
母親が父親からのストレスで過呼吸になり、その頃からではありますが自分の家庭に不信感を覚えました。
そして家庭だけでなく、幼稚園のときも何故かお友達にハブられるようになり、人に不信感を覚えて幼稚園に行きずらくなっていました。
小さいながらストレスというものを感じ取っていたのかな、っていう気持ちです。
そこから数年が経ち、母親が盲腸になりました。そこから離婚の話が進み、小学校3年生の終わりに離婚。最初は不安ではありましたが普通に学校にも登校、普通の生活を送ってました。
それだけなら良かったのですが、母親が父親の悪口を言うようになりました。元から3歳くらいの頃から言われていたのですが、それがヒートアップしたというか。そこから母親に私がなにか失敗したり怒られたりする時に「あんたはアイツに似とるから嫌い」「あんたのお父さんに似とるからそうなった」みたいな事を言われるようになりました。
でもそんな事を言われたって、私だってあの人に似たくて似てる訳でもないし、、等と母親に不信感を抱くようになりました。
挙句の果てには父親の悪口を隣で言ってると思っていたらいつの間にか私の悪口になり、変に怒られる事もしばしばありました。
そして学校で2分の1成人式があった時に自分の将来の夢を話すというコーナーみたいなものがあったのですがその時に、私はデザイナーになりたいと言ったんです。ほんとはモデルになりたいっていう夢があったのですが(今は違います)それだと母親に怒られるだろう、という恐怖心で、デザイナーなら喜んでくれるんじゃないかな、と思ってデザイナーになりたいです。とみんなの前で発表しました。ほかのお母さん達はへえ~だったり、凄い凄い等と褒めてくれて、お母さんも褒めてくれるのかな、と思っていました。
でもそれは違いました。母親が帰ると私に「なんであんな恥ずかしいことを言ったの?他の子は看護師だとか言ってるのに。有り得ない。恥ずかしい。」と鼻で笑われながら言われました。
たった一言、それだけですが、私はそれで完全に母親を信じられなくなりました。まさかそんな事を言われるとは思ってなくて。ショックがとにかく大きくて、未だに忘れられません。
進級して5年生になり、その年に災害でお友達を亡くしました。
まさか亡くなるとは思ってなくて、凄くショックと悲しかったのを覚えてます。今も生きてるんじゃないかって心の中で思ってます。
そしてそこから私が狂い始めました。
5年生を担当する?先生が凄く熱血で、市のドッジボール大会に参加する事になり、私は運動が苦手でそれが凄く嫌でした。
最初は練習もやってたのですが、凄く下手くそでバカにされるようになりました。
自分の元にボールは回って来なかったり、腫れ物扱いをされるような。
それで私は完全に病んでしまって、学校に行きたくないと勇気を振り絞って母親に言いました。
一日休ませてくれました。でも、そこからでした。「なんで学校に行きたくないの?」「理由を話さないと引きずってでも学校に行かせる」と。確かに母親の気持ちも分かります。でも、普通なら(普通ではないかも知れませんが)まだ理由を聞かずに休ませてくれるのかな、寄り添ってくれるのかな、と思っていました。でもそれは期待のしすぎで、ダメでした。
母親は元々高圧的で、何を言うにも声が大きく、メイクも濃かったので今でも怯えるほど苦手です。特に自分は音が苦手なので、声を荒げられると凄く胸が苦しくなります。
そのような感じで理由も言えず、それでまた怒られる。それの繰り返しでした。
そして学校まで引きずられ、保健室でわんわん泣いてました。
友達からは白い目で見られ、母親は高圧的な態度と声で荒げられる。怖かったです。
もうそれで完全に人を信じられなくなった私は、ついに吹っ切れたかのように明るくなりました。
小学校6年生のときはみんなから面白い面白いと言われ、毎日学校が楽しかったです。
でもどこかで人を傷つけるんじゃないか、どこかで迷惑をかけるんじゃないか、凄く心配でビクビクもしてました。
そしてコロナが流行して、卒業式もまともに出来なくて、そのまま中学校に進級しました。
中学校になり、またコロナで1ヶ月学校に行けなくなった時に起立性調節障害を発症しました。
最初の頃はそれでも学校に行ってたのですが、どんどんご飯が食べられなくなり、痩せていきました。
そして学校に行くのが不可能になり、ずっと行けてません。
学校のみんなは優しいし、私自身が行きたいのですが、今の体重が160cmの37㌔で、体力が凄く落ちて、学校に行けなくなりました。
今は色んな病院で検査を受けています。
そして今はおばあちゃん家と自分の家を行き来してる状態です。
今私は人が怖くて仕方ないです。
どうしてこんな体になってしまったのかもわかりません。
どうして生まれてきたのかもわかりません。
なんで私はこんな顔なのか、体なのか、考え方なのか。
自分のことも他人のことも何も分かりません。
将来が不安です。
人の目ばっかり気にしてしまいます。
もうこの生活辛いです。
長々と申し訳ありません。
ここまで読んで下さりありがとうございました。
色んな方の意見をお聞きしたいので、ぜひコメント下さると有難いです。
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ひょろひょろ
π- 2021-06-27 02:15
大変丁寧に相談を書いてくれて、ありがとうございます。
家庭内の問題、体の病気や痩せ過ぎの問題、学校の問題など、いろいろな苦労をしてきたんですね。今は不登校であるみたいですが、大丈夫ですよ。ゆっくり家で休んでください。ただ、痩せ過ぎの件については、もうこれ以上痩せないように気を付けたほうがいいと思います。
痩せ過ぎだと体力がすごく落ちますよね。食べたい時に食べて、不足する部分は栄養ドリンクとかで補ってください。
お母さんの、ふうさんに対する態度が本当にひどいですね、、、これは明らかにお母さんのほうが悪いです。ふうさんはモデルになりたいと思っていたんですね。将来の夢があることは素敵なことだと思います。学校での発表の後のお母さんの言い方がひどいと思います。ふうさんは、ふうさんの歩みたい道を歩めばいいと思います。
学校にも無理やり行かされたみたいで大変でしたね。学校は無理してまでも、行くような所ではないですよ。もし高校進学する場合は、ふうさんに合った高校に行くといいですよ。高校は様々なタイプの高校がありますから、参考にしてください。通信制高校、夜間高校(定時制高校)、全日制高校、高校に行かずに高卒資格を取る高卒認定試験などがあります。ふうさんの思い通りにならないかもしれませんが、様々な高校がありますよ。
ふうさんが早くに体調を回復して、両親から自立できるといいなと思います。今までに辛い経験が多かったので、人が怖くなったかもしれませんね。これから楽しい経験を積むといいと思います。何か楽しめることが見つかるといいですね。
ふうさんは全く悪くないですよ。むしろ、過酷な環境の中、ふうさんは頑張って生きてきて立派だと思います。災害で、お友達も亡くなったんですね、、、また将来、きっと素敵な出会いがあると思いますよ。
今は、心と体をゆっくり休めてください。また回復することを願っています。