もう10年ほど前になるのですが、人生において重要な事柄を、大学時代の先輩に相談したことがありました。相談を受けてくれたその時は、とても親身になって聞いてくれているようで、話しているこちらも安心しながら話をしていました。人生を左右するような内容だったため、相談すること自体が私にとってとても勇気が必要なことでした。そもそも、私はあまり他人に人生相談などを持ちかけるような性格ではなかったため、余計に慣れないことで、切り出すのが怖かったことを覚えています。
 その何ヶ月か後、相談を受けてくださった先輩を含めた大学時代の先輩方とお会いする機会がありました。その時の私は、色々と人生がうまくいっていなかったこともあり、先輩方に心配をかけていないか、色々と言われてしまうのではないかと、少し不安だったのを覚えています。しかし、私の不安は最悪な形で的中することとなったのです。
 私が集合場所へ行った時、既に先輩方は揃っておられました。そこへ入るなり、なじるような、小馬鹿にするような、先輩方の言葉の応酬が始まったのです。それは、相談を受けてくださった先輩も例外ではなかった。
 頭が真っ白になりました。
 なじるような、小馬鹿にするような言い方を同時に複数の人間にされたのももちろんショックだったのですが、相談を受けてくださった先輩も、実は最初に相談を受けてくれた時から心の中ではバカにしていて、親身になって話を聞いてくれていたのは嘘だったのだろうか、と。
 しばらくはショックがあまりにも大きかったために反論することも何もできずに呆然としていたと思います。
 しかし、時間が経つにつれ、事あるごとにその後も思い出したようになじられ続けたために、私はたまらずにその場を飛び出し、帰宅してしまいました。
 色々あって、その後、相談を受けてくれた先輩だけは、私に謝罪してくれました。
 しかし、その時の私はもう、その先輩のどんな言葉も信じられなくなっていました。その謝罪すら、今後私との関係がめんどくさくならないようにという考えからなのではないかとか、本心ではやはり変わらずバカにしていて、体面上で謝っているだけなのではないか、とか、色々と考えてしまうようになったのです。

 以降、私は誰のどんな言葉も信じられなくなってしまいました。その先輩のことを信頼していたからこそ、反動も大きかったのではないかと思います。
 今では、人と付き合うときにあれこれと考え過ぎてしまうようになり、常に他人の言葉に裏があるのではないかと考え、疑いながら付き合うことしかできなくなってしまっています。
 今の自分が異常な状態であることは、分かっています。人間が誰も彼も、そこまで信用できない存在ではない、ということも、理屈ではわかっているつもりです。しかし、どうしても、感情の部分でブレーキがかかってしまい、他者と深い付き合いをしないように、常に相手のことを警戒するようになってしまいました。

 自分のことも怖くて中々話せなくなり、話したとしても、変な風に思われたのではないか、また裏では小馬鹿にされているのではないかと、そんなことばかり考えてしまいます。
 とても、苦しいです。他人と深い付き合いが出来ない自分に原因があるとわかっていても、辛いし寂しいと思ってしまいます。自分の感情がひどく理不尽で矛盾しているとも理解していますが、もうどうにもできない。他の人に相談しようにも、やはりそこでも疑心暗鬼が顔を見せてきます。現にこの相談の場においても何一つ具体的なことを書かずに、警戒してしまっている始末です。
 私は、どうすれば良いのでしょうか?
 こじれたややこしい話で恐縮ですが、何かのきっかけになればと思い、相談させていただきました。よろしくお願いします。