私はあまりにも人間が嫌い過ぎて、他者への基本感情が憎悪や嫌悪感です。
この状態・性格を何と呼ぶのだろうと思っています。
他人を不幸にする事ばかり考えています。
例えばどれだけ昔であっても、1度でも自分に害や負の感情を与えた人間の事はずっと恨んでいるし、今一切関わりが無くても復讐の想像は永遠にしているし、些細な事であっても時間とともに許すとかはないし、何かしらの仕返しはします(捕まらない範囲で)
性善説という言葉がありますが、私は全く逆の考えです。他者は基本的に自分の敵だと思っているし、悪意があると思いながら生きています。

対抗心・嫉妬心も強い気がします。そんな感情が無ければ幸せに生きられる気がするのに、常に誰かを憎み妬み嫌いながらしか生きてこなかったような気がします。

嫌いな人を傷付けたり不幸にする事に対して、罪悪感も正直ないです。逆に人に影響を与えたという達成感が強いです。

心から好きな人というものも居ない気がします。
なぜなら、好きだと思った人の事すらも不幸にしたいのです。
不幸で、私しか頼る存在が居なければ私を大切にするだろうし、私に依存するだろうと思うからです。
感謝されたいとか大切にされたいとかは思うのですが、相手を幸せにしたいとは思いません。

このような話を誰かにした事はありません。
想像するに、「人を不幸にする事に喜びや達成感がある」などと言えば、「好きな人を幸せにする事に喜びを見出してはどうですか」と言ったような在り来りな優等生回答が来そうですが、好きな人すらも幸せになってほしくないのですから腑に落ちる答えでは無いのです。
辛いカレーが好みの人間に、甘いカレーを好きになりなさいと言っても無理だと思いますが、そんな感じです。
とにかく、自分以外誰も幸せであってほしくない。世界中で自分だけが幸せがいい。全員自分より不幸なら相対的に自分が1番幸せ。

でも毎日常に憎悪の感情にまみれて生きるのもストレスなのです。解放されたいのです。
自分がとても歪んだ人間な事は分かっているのですが、なんという属性で、どうやって対処するのが生きやすい方法なのだろうと悩んでいます。
犯罪で捕まりたくはないので。

補足:こうなった大きな原因の1つは確実に虐待経験だと思っています。
虐待は明るみになる事はなく誰からも手を差し伸べられる事は無いまま大人になりました。
同世代のいとこ達からも虐められていたし、満足な睡眠も食事も無かったので極端に小柄で、体格だけで馬鹿にされたりナメられたり下に見られる事も多いです。
中学時代は学校でも虐めに遭っていました。
成人してからも嫌がらせに遭った事はしばしばあります。
これだけ絶望の中で生きてきたのに、今更他者へ慈悲とか愛情を持てなんて無理な話ですよね。