すみません、初めて書き込みます。
家族に対する復讐の話で、どうしても吐き出したい事があって、色々探してここを見つけました。
かなりの長文です。しかも頭が悪いので読みにくいかと思います。申し訳有りません。
僕は今年で28になる男です。
今会社は無断欠勤してますが、ごみ処理の仕事してます。
学校は中学までしか行っていません。
僕は子供の頃、母親とその彼氏に虐待されていました。
色々母の彼氏が入れ替わっていたので強く記憶に残っているのは3人です。
記憶に残る一番古い彼氏は金髪で、半グレ、チンピラみたいな奴でした。
僕が幼稚園終わりから小学1年生くらいまで母の彼氏だったと思います。
チンピラは母に会いにアパートに来るたびに僕の事を殴るやつでした。
母は僕が殴られているとき、冷たい目で「あんまりやりすぎると通報されるから」みたいな事を言って彼氏を止めてました。と思います。
一度児童相談所から職員が来た時に、3日間パンツ一枚でベランダに投げ出され、当時植わっていたプチトマトやじょうろに溜まった水を飲んで過ごしたことがあります。
また、チンピラと母がセックスしている時に誤ってアパートに入ってしまい、チンピラに腹を思いっきり蹴られて病院に行きました。骨が折れて膵臓が損傷したらしいです。
4ヶ月程入院し、帰ってきた時にはチンピラは寄り付かなくなってました。(捕まったのかもしれません。)
ただその頃から男がいなかったためか母の暴力がどんどん酷くなっていき、些細なことで怒ってはポットのお湯をかけられたり、フライパンで叩かれたりすることが多くなりました。
2人目の彼氏が一番怖かったです。
多分本物のヤクザで、母は愛人になったんだと思います。
今のアパートを引っ越し、オートロック付きのマンションに家が変わりました。
小学校2年~3年くらいだったと思います。僕はずっと転校を繰り返してました。
ヤクザはあまり長居しないのでそこだけはチンピラよりも良かったのですが、徹底して私を無視しました。
子供嫌いなのか、私が視界に入るとまず母を殴ります。
殴られた母が大声で私にどっか行けと怒るのが日常でした。
一度、ヤクザの使っている灰皿をこぼしてしまったことがありました。
ヤクザが風呂に入ってるとき、唯一家の中を移動できるのでリビングを通って自室(その時僕に個室がありました。それは本当に幸せでした。)に戻ろうとする途中、ガラステーブルの上の灰皿をひっくり返してしまい、その音でヤクザが風呂から出てきてしまいました。
ヤクザは僕が灰皿をひっくり返して灰まみれなのを確認すると、全裸でビショビショの状態でゆっくりと近づいてきました。
あまりの恐怖で僕は一歩も動けなかった。
一拍置いて、ぐったりしていた全裸の母が隣の寝室から起きてきました。
目がドロっとしていました。多分、薬か何かだと思います。
立ちすくむ僕を見ても、まるで庭のアリかなにかを見ているような目つきでした。
ヤクザが僕に近づいてきて、ゆっくりと膝を曲げて言いました。
全身に入墨が彫ってありました。
仏の絵でした。なぜでしょうか、仏様は僕を助けてくれません。
「お前、手を皿にしてろ」
その時、僕は頭が真っ白で言われたとおりに手で受け皿のようにして男に突き出しました。
「良いと言うまで絶対に下ろすなよ、下ろしたら殺すから」
そういって、僕の眼の前でタバコを吸い始めました。
僕は怖くて怖くて、チラチラと母を見ました。
でも、母はどこを見ているのか、ドロドロ濁った目で天井で揺らめくタバコの煙を見てました。
男は僕の手を灰皿代わりに、タバコの火を押し付けてきました。
グリグリとすごい力で押し込んでくるので、最初の2~3秒は恐怖で手を下ろすまいと必死で耐えましたが無駄でした。
その瞬間、顔の左側が爆発したような衝撃を受け、次に気づいたときには風呂場に寝かされていました。
鼻血で風呂場が真っ赤になっていて、起き上がったら僕は風呂をずっと掃除していました。
顔の左半分が面白いくらいに腫れ上がり、痛みと恐怖で一睡も出来ませんでした。
夜に泣くとヤクザや母が起き上がってくるのが怖くて、声を殺してずっと泣きました。
学校を一週間程休み、僕はヤクザに見つからないように音を立てずに生活するようになりました。
他にも色々有りましたが、ヤクザが多分死んだ?かなにかで僕と母はまたアパートに引っ越しました。
この頃も母は私と二人きりになると特に癇癪が酷く、近所との言い争いも絶えませんでした。
そこで母の3人目の彼氏がやってきました。
小学校の4年になる直前だった気がします。
今までの彼氏と違い、メガネをかけた普通そうな人に見えましたが、一番つらい日々でした。
とにかく僕に色々と命令するのが好きで、直接的な暴力は余り振るわないものの何かあると言葉でこちらを攻撃してくる人物でした。
「役立たずのグズは服なんか着ちゃだめだよ」「ママに迷惑かけるならすぐにゴミ箱に捨てちゃうよ」「育ったらすぐに働いて稼いでもらうし、それが出来なかったら生きてる意味ないよ」「もし役立たずだったら体の中身を売るから頑張って役に立つんだよ」
こういう事をずっとニヤニヤと言ってくる人でした。
母は3人目の彼氏がお気に入りだったのか、家にはほとんどおらず彼氏の家で生活するようになりました。
お金を3000円程、ツナ缶の4つパックを何個か置いて1~2週間帰ってこないことも有りました。
学校以外に家から決して出るなと言われていたので図書館で借りた本を読んで過ごしました。
そんな生活が続いた後、程なくして母は男と別れました。
母の顔が青あざだらけでした。多分メガネに殴られたんだと思います。
その頃から母が壊れてしまいました。
仕事も行かなくなり、ずっとお酒を飲み続け、変な匂いのタバコを吸うようになりました。
今までよりも情緒は不安定になり、包丁を突きつけられ喚かれたり、ランドセルを切り裂かれたりしました。
ある日僕が家の掃除をしようとして空っぽのいいちこの酒瓶を持ち上げると突然母親が立ち上がり、鬼のような形相で酒瓶を取り上げ僕を殴りました。
酒瓶が割れ、僕の額から噴水のように血が吹き出て、警察がやってきました。
母は逮捕され、僕は絶縁状態だったN県の母の実家に預けられることになりました。
生まれて始めて会った祖父は僕を歓迎していませんでした。
〇〇家の恥晒し、腐った淫売の息子と呼ばれ、僕を汚物のように見るようになっていました。
一緒の食卓で食事を摂ることは許されません。
祖母だけは祖父の見ていないところでは優しかったです。
N県の小学校を卒業し、地元の公立中学に進学しましたが、僕の扱いは腫れ物を扱うようでした。
数少ない変人以外、誰も僕を意識しないように過ごしているのがありありと分かりました。
田舎だったので、僕に関する噂は尾ひれをつけて飛び交っていました。
僕はただそこにいるだけの存在となって中学3年を過ごしました。
その間、色々とあったけれど中学卒業のために全て我慢しました。
僕はそこで復讐を決意しました。
もう、誰とも関わりたくなかったので、中学を卒業してすぐに県外へ、自分のことを誰も知らないところまで逃げることにしました。
もう母も、祖父とも完全に縁を切り、自分ひとりだけで生きて見せる。
お恥ずかしいお話ですが、当時考えうる一番の復讐方法がこれでした。
中学を卒業したあと祖母から少しお金をもらい、僕は中学の数少ない友達に協力してもらい、ある程度働き先のある場所でバイト生活をしました。
そうしてある程度まとまったお金が手に入ったら、人と仕事の多い都市へ移動を続けて暮らしていました。
友人の兄(漫画好きのいい人でした)に譲ってもらった原付きが全ての移動手段でした。
(祖父に黙って原付きの免許を取りました。)
まだ未成年だったときは親の同意書が必要な事が多かったため、危ないところであまり大っぴらに出来ない仕事もいっぱいしました。
それでもなんとか、23歳のときにゴミ処理の会社に就職が出来ました。
社長を含め、本当にいい人たちばかりで何度心が救われる気になったかわかりません。
僕の些細な復讐は、何にも解決されずに実行されていました。
半年前に警察(医者かもしれません、よく覚えていません。)から電話があり、母が病気で入院していることを知りました。
自分を探すのに苦労したと、そう電話口で言われました。
薬物と傷害で逮捕され、刑務所の中で病気になり、そのまま病院に入ったままだといいます。
癌でした。
それ以外にも色々と体はボロボロになっていたと。
転移もひどく、手の打ちようがないとの話です。
正直私は全く会う気はしませんでした。
それよりも医療費とかを払わなければならないのかと思ってげんなりしてさえいました。
それでも警察の人が言うのです。
「〇〇(母)さんはもうかなり病状が進行しています。今会わなければ次は無いかもしれません。」
「お母さん、ずっと君の名前を呼んでるよ。一回だけでも会ってあげないか」
本当にイヤイヤですが、これで復讐が完了するなら最後ぐらい会おうかと思い、病院に行きました。
そうして僕は病院に行き、母と面会することにしました。
久しぶりに見た母はげっそりとやせ細り、最初誰だか全くわかりませんでした。
鼻にチューブが刺さっており、指に何か挟んでありました。
このときまで、それでも僕は母に対してなんにも感じませんでした。
あぁ死ぬんだな、くらいしか
でも、僕を見た母が言いました。
「〇〇(僕)ちゃん、ごめんね、ごめんね」
「ゆるして、ゆるして、ホントにごめんね」
もう訳が分かりませんでした。
今更、今更何を言っているのか。
何を許してほしいのか。
産んだことを許してほしいのか。
何に謝っているのか。
産んだことを謝っているのか。
こいつは本当にあの母か。
誰か別の末期患者と勘違いしているんじゃないか。
それとも僕のことを逃げた父だと思っているのか。
僕に熱湯をかけたときも、僕をベランダに放置したときも
ヤクザにぶん殴られたときも、膵臓が破れたときも
罪悪感を感じていたとでもいうのか。
もう何もかも良く分からなくなって、気づいたら病院から逃げ出して二度と戻りませんでした。
それから僕はボーッと働き続け、つい先月母が他界しました。
葬式も何も、関係者は僕一人しかいませんでした。
スーツも持っていなかったので社長に相談したら、30万もくれて新調しろと言ってくれましたが受け取れませんでした。
結局安い喪服を買って、私一人しか参加者のいない簡単な葬儀を執り行いました。
厳密には坊さんもいなかったので「葬儀」では無いらしいですが。
火葬場では他に大人数の火葬が執り行われており、びっくりしました。
普通の人間は、死んだらこんなに多くの人に悼んでもらえるのかと
母の亡骸を焼いて、墓も良く分からないので無縁塚に入れることになりました。
(祖父、祖母が生きているかどうかは知りませんし、調べもしませんでした。)
多分、僕も孤独に焼かれ無縁塚に入るのでしょう。
仕事も何もかも、やる気が起きなくなってしまいました。
自分がなんのために生まれてきたのか、それだけを考えるようになってしまいました。
僕が生まれなければ、哀れな母は今よりもっと幸せだったのか。
母と縁を切った、その選択は本当に正しかったのか。
そんな事をずっと考えてボーッと部屋に寝転んでいます。
彼女とも別れ話をしました。
社長の知り合いで紹介して頂いた理学療法士の本当に性格の良い子でしたが、僕には無理です。
母と会ってから、夢の中で彼女が出てきます。
夢の中では僕と子供がいて、一見すると幸せそうな家族に見えます。
が、いきなり彼女が鬼のような形相になり、一升瓶で自分の子供を殴り始めるのです。
こんな夢を見る自分が嫌で嫌で、情けなくて、悔しくて、もう駄目なんです。
子供は絶対に作りません。
僕の子供に、こんな思いをさせたくありません。
これからは木のように、石のように、林の中の象のように
誰とも深く関わらず、良いことも悪いこともせず
必要な時に飯を食い、必要な時に働き、必要な時に寝る。
それだけの人生を過ごそうと思います。
誰かに聞いてもらいたかった。それだけでこんなに文章が長くなってしまいました。
ごめんなさい。
誰でも歓迎 !
くるみ(ココオルスタッフ)
π- 2024-03-05 12:08
くるみといいます。
文章読ませてもらいました。まるで、小説や映画をみているような感覚になりました。
でも、これが現実なんですよね。客観的に書いてくれてますが、当時のことを思いだして書くのはつらかったと思います。でも、それを自分のストーリーとして、語れるようになったのは、きっと今働いている周りの人達に恵まれたおかげですし、とかげさんの強さがあるから、
今この文章を書けてるんだと思います。
ただ、とかげさんのお母さんが亡くなり、復讐することがなくなり、虚無感になってしまう気持のほうが辛いのかなとさっします。だからこそかもしれませんが、もう一度生きる気力を取り戻す為に、復讐してみませんか?
ちょっと言い方悪いかもですが、
復讐と言っても、幸せになる為の復讐です。
話は変わりますが、私はモラハラの旦那で苦しんだとき、シナリオを習っていたのですが、その当時、旦那が死ぬドラマばかり書いていました苦笑。きっと抑圧されており、書くことで発散したんだと思います。でも、それできっとモラハラ旦那を殺さずに別れる事ができました。ニュースの主人公にならずにすみました。
だから、とかげさんも、このストーリーを、ちゃんとピリオドにして、幸せの一歩を歩めるようにしていきませんか?
自分の今までをまとめて、本やドラマや映画にしてみるというと、ぶっとんでいるように思えますが、同じように苦しんでいる人達の助けにはなると思うのです。
それに今の状態は、まだ物語でいうと、起承転結の転です。
だから、結に向かって、幸せに生きる兆しを見つける事が、亡くなったお母さんに向ける、復讐になるのかなと思うのですが。
応援しています(^^)
とかげ
π- 2024-03-05 14:37
優しい言葉をありがとうございます。
あの文章は母が死んでから何回も何回も書き直しました。
その度に色々な事が思い出されて辛かったです。涙が止まりませんでした。
ただ、今僕が母に対して思っていることは、何故か憎しみではありません。
本当に不思議なことなのですが、今はただ教えて欲しいと思っています。
なんで僕を産んだのか。なんで僕に暴力を振るったのか。
ただただ教えて欲しいんです。
あの文章を書いている間、ずっと母や彼氏達の凶行を思い出してました。
母が死んで、心の中がめちゃくちゃになって、どうにか奴らの仕打ちを思い出して憎しみ抜こうと思いました。
でも、不思議と母を思い出すたびに昔の優しかった時のことばかり思い出してしまうんです。
変な彼氏が来る前は、父は居ませんでしたが暴力も無く、絵本を読んだりしてくれたことが有りました。
仕事帰りにお店から持ってきた酒のつまみを使ってへんてこな面白い料理を作ってくれました。
あれは何だったんでしょう。
本当に母だったのか、いまでは別人であったらどれだけ良いかと思っています。
僕は本を読むのが好きで、アドバイス通りにもっときれいにありのままを書いてみようかとも思います。
くるみ(ココオルスタッフ)
π- 2024-03-05 19:18
お母さんの良い思い出もちゃんとあって良かったです。
死ぬ前に、とかげさんの名前を読んで、ごめんねと謝ったのは嘘ではないと思います。そして、未熟な母親でも、とかげさんのエピソードから、母親としてもとかげさんの事を愛してはいたんだと思います。きっと、とかげさんのお母さんも、ちゃんと愛を知らずに育ってきたのかもしれません。
寂しい人だったのかもしれません。不器用な人なのかもしれません。ただ、推測なので、本当の真実はわかりません。
だからとはいえ、親としてよりも、女としての自分を優先してしまった。それは、とかげさんの立場からしたら、許されないことだと思いますし、とかげさんの体と心の傷消えません。ただ、どんなひどい親でも、親は親だからという憎みきれない気持ちが霞むからこそ、そんな自分を受け入れることが辛くなってしまったりもします。そんな何とも言えない感情を、自分の気持ちを整理するためにも、書いてみてください。
自分を主人公にすると辛くなるなら、自分と似た経験を持った人を主人公にして、名前を変えて、フィクションとして、第三者の視点で、今までのこと、これからのことを書いてみると、また違った感情が湧いてくるかもしれませんし、何か見えてくるかもしれません。
作者の視点は、神の視点とも言われ、一段上から物事を眺めながら、書いていきます。だからこそ、気づきが見えてくるかもしれません。
もちろん、ノンフィクションとして書きあげるのもありです。
本来なら、専門のカウンセリングをうけながら、少しずつ傷を癒していくのが正解なのかもしれませんが…。
とかげさんは、本が好きなんですね(^^)だから、文章がすーっと入ってきて、イメージしやすかったんですね(^^)