父と母は仲があまりよくなく、父親に似ている私は母にお父さんに似て鈍臭いなどと言われ八つ当たりをたまにされていました。弟は要領がいいので可愛がられていました。

小学3年生の時にたまたま友達の通っていた塾に自分も通ってみたいと言ったせいで、母がお受験ママに変貌した。自分より後に入った子に負けてはダメだと、その子と比べられ、中学に受かれば勉強はもうしなくていいから!という言葉を真に受けて、やってもやっても終わりの見えない教材の山にゲンナリしていた。

このころから頭痛と肩こりに悩まされ、一度は受験をやめる決断をしたのにまた復帰し、中途半端に受かってしまったのも最悪な始まり。

家から遠い所が受かってしまったので、家族で引越しして…入学した頃には母親は乳がんと診断された。母親の闘病中にシカトなどのイジメも受けた。元の家に戻ってからも通ったが限界を感じ登校拒否しているのに無理やり行かせようとする父親。電車を見て何度か線路に飛び出しそうになった。

母親に自殺しかけた話しをして学校をやめることに。しかし、母親の病気が悪化…転校した半年後には亡くなった。今もだが、母が亡くなってホッとしている自分がいて、たまに父がお母さんが生きてたら…という話しを聞くとゾッとする。それがまた罪悪感でもある。それからの私は休みが多くなる。高校はなんとか推薦もらって入ったけど、高校でも基本は休むか無気力。

よく卒業できたなぁと思う。内部入試で短大に進んだが、疲れきっていて通う気力もなく、電車で通うのが息苦しかった。辞めてしばらくしてから栄養士が取得できる短大に入学して、いきなり休学。その後は1年半はちゃんと通えたが精神的におかしくなって、卒業だけして、その後に通常は2年で取得できる栄養士を取得を諦めてた期間も入れてトータル8年かけて取得した。単位だけの取得で通ってる時も途中で通えなくなったりした。やっと念願の栄養士。

保育園の栄養士になるのが夢だった…そのために取得を頑張ってきたのに、就職先も運良く決まったのに、責任の重さに耐えられず眠れない日々を過ごし、最終的に逃げ出しました。いつから精神的におかしくなっていたのかはわかりませんが、職場の人や保護者と話すのが怖い。

子供と話すのすらしんどいという状態でした。ご迷惑かけてしまったので直接謝罪には行きました。汗がすごかったけど。こんなことがあって、やっと取得した栄養士の証書を見ても達成感が得られず、失望と不安で情けなく辛い気持ちでいっぱいです。

こんな状態で次の仕事を探していますが、働かなきゃという気持ちと働くのは不安だという気持ちで揺れ動いています。どうしたらいいんでしょうか…
最近は父のいい加減さに対してのイライラが酷すぎて発狂ばかりしています。