私は大学で心理学を学んできました。自分が授業で心理検査を受けるまでは、ただの病んでる女の子くらいの気持ちでいましたが、心理検査の結果では重度の抑うつなどの結果が度々でて、自分のココロについて考えるようになりました。
小学生、中学生ではいじめや、軽い暴力は当たり前でそれを苦痛ではなく受け入れていました。高校では性行為や恋愛への依存が激しく毎日のように昼間は学校へ、夜は遊ぶという生活でした。大学では真面目に取り組もうと最初は頑張りましたが、次第に馴染めなくなり友達と呼べる人はおらず、一番学校の思い出の少ない時期でした。大学3年になった頃に、仲が良いと思っていた親が実は浮気していたことが発覚して、家庭の崩壊を体験しました。
嫌なことからはすぐ逃げたくなります。全てを捨ててでも逃げたくなります。それでも私は今まで過ごせていて、彼氏もいて笑うこともあって、ただ甘えるているのではないか。抑うつ傾向という結果に甘えていて、可哀想に思って欲しいだけなのではないかと、考えてしまいます。
心理学を学んで、鬱は誰でもなる可能性のあるものである、とわかっていても、自分が鬱なのかわからなくて
病院に行ってちゃんと心理検査を受けて、セロトニンの量を確認して、鬱と診断を受けたら私は安心するでしょう。辛いと感じるのに、今を頑張ることが限界と感じるのに鬱じゃなかったら、私は本当にただ甘えていただけになってしまう、それが堪らなく怖いんです。だから、学校の先生に病院を勧められても怖くて行けないのです。今の私の感情が偽りだったら。
学校の先生方は私を傷つけないように、気を使いながら接してくれます。それがまた私には傷になります。先生が本当は私は病ではなく甘えだと思っていたら、ただの怠けと思っていたら、私が気分が辛くて動けなくて学校を休んでしまった時、裏でサボりと考えられていたら、考えれば考えるほど嫌になります。考えちゃいけないと、先生はそんなこと思っていないと考えても、負の考えが溢れて動けなくなることがあります。学校を休みたいんじゃない、仕事をしたくないんじゃない、私のこの感情は正しくて偽りではないもので、私のせいだけど私のせいじゃないという証明が欲しい、そう考えてしまうんです。